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Weps うち明け話 #1011

明日(2020年3月11日) 

 

 9年前はホームゲーム前日の金曜日。もうMDPの作業は僕の手を離れていて、印刷も始まっていた。頭の中は明日の試合のこと、そして次のMDP(たしか予定では連戦だったはず)のことでいっぱい。そんな3月11日の午後だった。

 

 その明日から後がいきなり、とんだ。

 翌日のG大阪戦はもちろん、当面試合は中止となった。レッズの練習も休みとなり、予定していた仕事が全部なくなった。

 異常事態だったが、僕らは耐えられないほどではなかった。東北地方には、仕事どころか明日からの生活が成り立たなくなった人たちがいたし、本当に明日がなくなってしまった方々が大勢、―自分が直接知っている災害の中でもケタ違いに多くの方がいたのだ。

 

 それから1か月半、募金活動や埼玉県に避難してきた子どもたちへのケアなど、レッズの支援活動を取材しながら、頭の中では「明日」ということをときどき考えた。

 原発事故の処理がどうなるかによっては、明日が急に変わるかもしれない。また大きな地震が来ない保証はどこにもない。自分がああしよう、こうしようと描いている、ーときには何も描かずに迎えることもあった明日。その明日が必ず来るとは限らないんだと考えると、今日を漫然と過ごすことがものすごくもったいないことに思えた。

 それが、非常時に備えたモノを整理しておくことと共に、2011年の東日本大震災で学んだことの一つだった。

 

 今年の状況は似ているところもあるし、違うところもある。

「明日」ということでいうと、9年前に僕が学んだのは「明日があるからというのを気を抜く理由にせず、その日を精いっぱい生きる」ということだった。実践しているかどうかはともかく。

 しかし今は、現実的に明日がどうなるかわからない状況だ。もしかすると自分や身近な人が感染するかもしれない可能性もある。

 また9年前は初めて仕事の資金繰り、というやつに直面したが、Jリーグの再開が4月24日と決められていたから、それまで収入が激減していても何とかなった。今は、4月3日再開を目指して「全力で努力する」という状況だから、100パーセント確実なことではない。

 

 9年前、「明日」について教訓めいた考え方ができたのは、だいぶ時間が経ってからだった。今年のことも、何か生きる指針になるかもしれないが、今はそこまで考えられない。

 だがJリーグの中止・延期以降、2011年のことを何度も思い出したし、異常事態の真っただ中にあって「3.11」を迎えたことは象徴的だ。

 日常の仕事がなくなって漫然としがちだが、今すぐに自分ができることや、再開に向けた準備など、実はやるべきことは多い。Jリーグ開催中は「それだけ」しかやらないから上限があるが、逆に今は上限がないのだから。

 

 今日、これからどれだけアクティブになれるか、という気持ちにあらためてなった。

 困った。そう考えるとやりたいことが次々と浮かんできて、今日中にはとても終わらない。

 

(文:清尾 淳)

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