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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第一部 神戸大学出身のJリーガー

⑥ 「ごちゃごちゃ言わんと」

 

 ガンバかレッズか。2チームから誘いを受けた西野は悩んだ。

 ガンバ大阪は、早く声をかけてくれたこともあるし、西野にとっては地元と言っていい。気持ちとしては大阪に行きたいものがある。

 ただ、レッズの誘いは熱心に感じた。「ぜひ来てくれ」というレッズのスカウトの言葉に比べて、ガンバは「来てもいいよ」というムードがあった。

 そのころ、翌年開幕のJリーグの前哨戦としてヤマザキナビスコカップが行われていたが、その予選リーグ最終節、10月11日にレッズは神戸ユニバー記念競技場でガンバと対戦した。西野はその前日、当時レッズの監督を務めていた森孝慈氏と神戸市内で食事した。

「ごちゃごちゃ言わんと、うちに来いや」

 会った瞬間に森氏の人柄にひかれてしまった。

 西野は大学3年生になるとき無理をして、在学中に公認会計士試験合格者が数人出る有名なゼミを取った。しかし3年生になってもサッカーをやめなかったことで、在学中の資格取得はあきらめ、卒業後、通信教育で勉強するつもりでいた。すでにそのための教材も購入していた。

「お世話になります」

 公認会計士でなく浦和レッズ・西野努が誕生したのは92年10月11日だった。

 93年春、レッズは10人の新人選手を獲得した。その中でJ1デビューを果たしたのは5人。そして5人の中で最も長く現役を続けたのは西野だった。

92年Jリーグヤマザキナビスコカップ最終節(G大阪戦)を終えた

森孝慈監督。この前日、西野と会食した(92年10月11日)

「神戸大出の異色のJリーガー」「サッカーに学歴はいらない」

 すぐにクビになる覚悟もしていた西野が、9年間現役を続けられたのは、その言葉に反発したからでもあった。

「たしかに人の好さはグラウンドでは邪魔になる。でも、それでもプロとしてやっていけることを証明したる」

 がむしゃらに身体を鍛えた。精神面は、サポーターのブーイングと度重なるケガが鍛えてくれた。

 Jリーガーとして成功を収めた原動力が、実は「神戸大学出身」にあったことに本人が気づいたのは、現役を引退してしばらく先だったようだ。

(第一部終わり)

 

【メモ】

西野努(にしの・つとむ)1971年3月13日、奈良県生駒市生まれ。県立奈良高校から神戸大を経て93年にレッズ加入。DF。加入1年目にJリーグデビューを果たしたが、その後骨折により約1年半のブランク。95年に復帰した後も出場機会は少なかったが、97年からレギュラーとして復活した。2001年を最後に現役引退。スカウトなどクラブスタッフとして活動。その後、イギリス・リバプール大学に留学しMBA(経営学修士)を取得。以降はOBとしてレッズと関わりながら、スポーツビジネスに取り組み、会社経営、大学の客員教授など多方面で活躍してきた。2019年12月、チーム強化の実務を担当する、浦和レッズ・フットボール本部テクニカル・ダイレクターに就任した。

 

(文:清尾 淳)