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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第二部 9年間、闘ってきたもの

⑧ とうとう右肩も

 2000年。レッズがJ2で戦ったシーズン。西野努は第4節のサガン鳥栖戦から試合に出始めた。警告累積による出場停止や戦術上の途中出場、途中交代もあったが、ほぼレギュラーとしてチームのJ1復帰に向け戦っていた。

 

 少し前から、西野は不安を抱いていた。

(左肩を脱臼したんは、生まれつき緩かったからやろう。左が緩いんなら右も同じかもしれん)

 左肩は手術で固めたからもう再発の心配はない。しかし、もしかしたら右肩もはずれやすい体質なのかもしれない。

 それを防ぐにはトレーニングするしかなかった。脱臼するときは、力を抜いているときだから、意識しないでも筋肉が関節を守るようにしなければいけない。

 筋肉には意識的に動かす「アウターマッスル」と、無意識に動く「インナーマッスル」があることを学んだ。アウターマッスルは、いわゆる筋肉トレーニングで負荷をかけて強くするが、インナーマッスルは細かい動きを何度もやって鍛える。

 西野はインナーマッスルである、肩の関節の周りの細い筋肉を強くすることに努めた。

 

右肩脱臼後も出場

2000シーズン、右肩を脱臼した西野は終盤も試合に出場した

 

 しかし、とうとうその日がきた。

 8月5日、アウェイのベガルタ仙台戦。ヘディングの競り合いで相手に乗った西野は、下から突き上げられた瞬間、右肩がはずれてしまった。試合開始後わずか14分間で西野は退場した。

「どうしようか」

 肩を入れてもらって西野は考えた。

 これで右肩がはずれやすくなったことは間違いない。2回目が起きないうちに手術した方がいいかもしれない。しかし西野の身体は、手術にリスクがあった。97年に発症した薬アレルギーの再発は嫌だった。

 

「手術するとしてもシーズンオフにする。今は筋肉を鍛えよう」

 このころ、鎖骨骨折で休んでいたDF室井市衛が復帰してきたこともあり、西野はしばらく出番がなかった。その間に肩の筋肉強化に努め、2か月半後の10月12日、大分トリニータ戦で復帰。最終戦まで先発で出場したのだった。

 J1昇格に向けた最後の正念場に間に合った。6試合をフルに戦っても肩は何ともなかった。

(続く)

 

(文:清尾 淳)