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土田尚史「クリア!の声が聞こえる」

第三部 ケガ、リハビリ、復帰

② 開幕前日の帰国

 96年2月27日、オーストラリア・アデレード合宿で右目眼球内出血の重傷を負った土田尚史は3月9日、ようやく眼帯がはずれ、退院することができた。しかし日本に帰国するまでに、さらに数日待たなければならなかった。

 血が引かないうちは目玉を動かすことが許されず、そのため健康な左目まで眼帯で覆われ、異国の地で家族とも離れ暗闇の中で11日間過ごしたあげくだった。

「なんで!なんで帰れないんだよ」

 まだ完全に視力が回復しない右目を気にしながら、土田は憤った。

 医師は答えた。

 出血は引いたが、完全に治った訳ではない。飛行機に乗れば、気圧の変化が眼球に悪影響を及ぼす。もう少し回復を待ちながら、少しずつ目を気圧の変化に慣らしていかなければならない。

 それから1週間、土田はオーストラリア国内を特に用もなく飛行機で旅した。30分、1時間と比較的短い飛行時間で都市を移動していく。そうして日本までの10時間以上の旅に眼球が耐えられるようにしなければならなかったのだ。

 土田が帰国したのは渡豪から1か月近く経った3月15日。96シーズン開幕戦の前日だった。

 成田空港。二歳の娘、桃子ちゃんが父親を見つけて駆けよってきた。もちろん妻の江美子さんもいた。サポーターも大勢で迎えてくれた。

「日本に戻ってきた。もう大丈夫だ。またレッズでプレーができる」

 レッズのゴールキーパーは自分だ、Jリーグ初年度の93シーズンこそケガのために休んだが、それ以外はほとんど一人でレッズのゴールを守り切ってきた。前年の95シーズン、レッズはようやくJリーグの一員として恥ずかしくない成績になった。今年こそ優勝を狙える。ポジションは絶対に譲れない。

 身体全体は何ともない。2か月もリハビリすれば、またゴールマウスに立てると信じていた。

 ケガの当初は失明の不安に襲われた。その後は暗闇との闘いだった。眼帯が外れてからは日本に帰りたいという気持ちを抑えるのに必死だった。

 だが本当の苦しい闘いはここからだったのだ。

(続く)

 

(文:清尾 淳)