コラム

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「 "エールの交換”について思う」
清尾 淳
 


 僕は、実は試合前のエールの交換というやつが好きではない。僕は、スタジアムの中は、表の世界とは違った非日常の空間だと思う。そこでは、日常の世界では味わえない雰囲気が作りだされるべきで、その一つが相手サポーターとの「戦い」だと思うのだ。相手サポーターは、いわば「仮想敵」というわけだ。

 今の社会で、敵味方をはっきりさせて、戦闘的な気分になることなどほとんどしない。しかしJリーグのスタジアムにくれば、人間の持つ闘争本能を蘇らせて、しばし戦いの気分を味わうことができる。Jリーグの楽しみとは、選手のプレーだけではないと思う。

 その雰囲気をより強く味わうためには、キックオフ前から、”擬似戦争状態”になっている方がいいはずで、試合前はサポーターが自己暗示をかけていく時間でもある。僕が試合前のエール交換を、「?」と思うのは、そういう訳だ。


98年11月3日の横浜戦の前に起きた「ヨ・コ・ハ・マ」コールの意味は明らかだ

 それで思い出したが、「試合のときの清尾は愛想が悪い。いつも怖い顔で歩いている」という評判をよく聞く。たしかにその通りなのだけれど、あれも似たような意味で、僕自身がもう”戦闘モード”に入っているからなのだ。あんまりニコニコしていたり、サポーターと和気あいあいとしていてはいけないような気がしてしまう。だから自然と無愛想になってしまうのだ。ふだんの僕は争いを好まない小市民なのですよ。

 何の話だ。そうだエールの交換だ。これまでレッズサポーターが試合前に相手のコールをしたときが何度かあった。だが僕が理解する限りそれは、その試合を「お互いに頑張ろう」というような意味ではなかったと思う。たとえば2002年ワールドカップの開催国決定を前に、日本招致を成功させるためにお互いに頑張ろう、という意味であったり、フリューゲルスとマリノスの合併問題で苦悩する横浜のサポーター頑張れ、という意味であったりしたはずだ。

 では試合の後はどうか。勝って喜ぶ、負けて悔しがるのは当然だが、いつまでも相手との戦闘状態を続けていては良くない。スタジアムの外へ出るときには、戦いの自己暗示は解かなければならない。

 イングランドなどでは両サポーターの通る道がはっきり分かれているところが多いし、ミラノのサンシーロで見たインテル−ボローニャ戦では、ビジターのサポーターは最後まで残され、武装警官の壁の間を通って、バスまで歩いていた。

 しかし日本ではほとんど帰り道は呉越同舟だ。戦闘モードのままでは、本当の戦闘になりかねない。多くの人は何も意識せずに、”武装解除”しているはずだ。そして日常の世界に帰っていく。程度の差こそあれ、ほとんどのファン、サポーターはこういう”変身”をしていると思う。そのためには試合後はエールの交換も有効かもしれないけれど、試合が終わってからの冷め具合はサポーターによって違うのだから、”強制冷却”しなくてもいいような気もする。

(1999.1.20)