コラム

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Jリーグ中断の間に、こんなサポーターの話
医者に内緒で大阪へ(飯浜克芳さん)
清尾 淳 


 9月22日の夜、電話がかかってきた。

 「すみません。チキは大阪に行ってますか?」

 チキとはもちろん中盤の職人ベギリスタインのこと。電話の主は、飯浜克芳さんという38歳のレッズサポーター。特にチキの熱烈なファンだ。

 チキはスペインのバスク地方出身。バスク地方はスペインの中の独立国と言われるほど、地域性の強いところだ。外国人選手を応援するのに、出身国の旗を振るのはよく見られる光景だが、飯浜さんはスペイン国旗ではなく、バスク地方の旗を使いたいと考えた。

 しかし当然ながら、どこにも売っていない。仕方なくスペインの観光パンフレットを入手し、そこに書かれているバスク地方の旗を見て自分で作ったのだった。これは98年の4月ごろの話。それ以来、駒場はもちろんアウェーにも出掛けて、飯浜さんはその旗を振っている。チキ本人も、とても感激している。

 ところが飯浜さんは今年の8月ごろ体を悪くし、入院してしまった。ちょうどチキの誕生日の直前で、準備していたプレゼントは奥さんに託して大原に届けた。手術後、約1ヵ月入院し、現在も通院中だ。

 「駒場には行けるようになるでしょうが、もうしばらく旗は振れません」と飯浜さん。チキも腰痛のため、試合に出られない日が続いていた。だからといってレッズの応援をやめるような飯浜さんではなかったが、医者からスタジアム行きを止められるぐらい具合が悪かった。

 そんな飯浜さんが9月23日、万博競技場のゴール裏にいた。隅の方の最前列に立ち、バスクの旗は、壁に張っていた。レッズが新外国人を獲得する方針で、3人枠からはみ出すのはケガがちのチキの可能性が大きい、と心を痛めていた飯浜さんは、ガンバ戦にチキが出るかもしれないと僕から聞いて、たまらず大阪に駆けつけたのだった。

 後半、永井に代わってチキが登場。相手が1人少なくなって、逆に焦りがちなレッズの攻撃をうまくコントロールした。ボールが収まる、というやつである。

 そして山田が倒されPK。福田かと思われたが、チキが蹴るようだ。ボールを抱えて集中に入るチキ。セットする。レフェリーの笛。1歩、2歩踏みだし、左足を振り上げ、GKの動きを一瞬見て、ゴール右上隅に決めた。2−1。勝利に、というよりJ1残留に大きく一歩を踏みだすPKだった。そういえば、チキが前回出場したのも大阪で勝利したセレッソ戦だった。

 試合後、「医者には内緒です」と話す飯浜さん。バスク旗こそ振れなかったが、ゴール裏に張られた赤と緑のシンボルは、チキの大きな励ましになった。

 そうそう、飯浜さんの病気は「椎間板ヘルニア」、つまり腰痛。何もそこまで似ることはないのにね。

(1999年9月27日)