コラム

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2000年のMDPは誰がやる?
清尾 淳 


 「清尾さん、来年もレッズのマッチデー・プログラム(MDP)は出るんですか?」 「J2になっても出るんですよね?」。いやはや、こんなに「疑われて」いるとは思わなかった。11月28日以降、何度聞かれたことか。

 MDPは浦和レッズというクラブの発行物であると同時に、レッズサポーターがこれまでの8年間で作り上げてきた文化だ。「J2へ行こうと、浦和レッズがある限りレッズサポーターであり続ける」と同様にJ2に降格しようとMDPがなくなるはずがない。また、浦和レッズはMDPをなくすようなクラブであるはずがない。

 ただし、どういう人間がその文化の担い手となるかは別問題だ。レッズがMDPを発行し続けること、イコール僕がMDPの編集長であり続けることではない。

 ここでちょっと聞いてもらいたいのだけど、MDPの発行者はレッズだ。レッズはMDPの編集を全面的に埼玉新聞社に委託し、埼玉新聞社は社員である僕をその任に当たらせている。レッズ→埼玉新聞社→清尾という流れで仕事が来ている訳だ。

 だから、レッズが諸事情からMDPの編集を埼玉新聞社に委託するのをやめる、ということはあり得るし、清尾を担当からはずしてほしいと言ってきても、内部干渉や越権行為ではない。みなさん、僕を辞めさせたければ、レッズに「清尾が編集するMDPなんかいらない」というメールをどんどん送ればいい。また埼玉新聞社内部の人事異動で僕が担当から替わることも十分ある。こちらの方が可能性が高い。

 過密スケジュールでMDPを発行しているシーズン中は、よほどのことがないと編集長交代というのはあり得ないけれど、シーズンが切り替わるときはその機会である。僕は毎年この時期になると考えている。来年も自分がMDPをやれるのか、またやった方がいいのか、を。選手のように契約更改交渉はないが、来シーズンが100%決まっている訳ではないのだ。だから冒頭の問いに対して、「当然来年もあります」と答えたいところだが「あると思います」という答えになってしまうのだ。

 「担当を交代させられるのかな、交代した方がいいのかな」と自問する例年だが、今年はもっと深刻に考えている。J2降格の責任というのはMDPにはないのか、MDPを作ってきた人間にはないのか、と。

 読んだことのある人は、わかってくれるだろうけど、MDPはクラブからのお知らせを数枚綴じたパンフレットではないし、試合に関してはどのチームにも公平な一般マスコミでもない(埼玉新聞を除く)。そこにはレッズを支える、というはっきりとした意志がある。特に99シーズンのMDPは人間臭い生き物だった。

 最後まで「J1残留を信じて闘おう」とサポーターを励ましてきたMDPにも、その編集長にも、J2降格の責任はあるはずだ。逆に言えば、レッズのMDPにはそれだけの重みがあると思っている。MDPを読んで、「よし頑張ろう」と思った人は少なくないはずだ、というのは思い上がりだろうか。

 僕は責任を取ろうと思う。

(1999年12月22日)