さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#047
波打ち際での闘い・その1「フロント編」


 「波打ち際の論理」というのを聞いたことがあるだろうか。

 浜辺の波打ち際は、波が来たときには海の一部になるし、波が引いたときには砂浜になる。その境界がはっきりしない、というものだ。

 そういう構えでいる方が、いろんなことに対処できるのだが、僕は波打ち際に打ち込まれた1本の杭になりたいと思っている。波が押し寄せてきたときには、杭は海の中にあるし、波が引いたときは浜辺にある。しょっちゅう立場を変えているようだが、それは、周囲の状況が変わったからで、杭は実際の場所を少しも移動していない、というものだ。

 などと言えば格好が良いが、思っているだけで実際はそんなに簡単なことではない。特に今回のMDP増刊号に携わった約1ヵ月間、僕はかなり揺れた。

 レッズにかかわるときの僕の基本的な立脚点は、試合、応援、雰囲気などすべてを含めたスタジアムだ。サポーターの声は、試合の日のスタジアムで拾うのが一番だ。できれば少人数のときがいい。ギャラリーや仲間が多いと、つい意識して真意と違うことを口走ってしまう人もいるから。クラブのフロントは、ホームページに寄せられたり、FAXで送られてきたりするものしかサポーターの声に触れられないかもしれないが、それはレッズサポーター全体を網羅したものではない。積極的に手紙やメールを書く人の意見は、こちらから聞きにいって初めて引き出せる意見と必ずしも一致しないのだ。

 しかし、この約1ヵ月間は立脚点とする試合がなかった。たまにサポーターと会って話をする以外は、メールや手紙、FAXが情報源だった。飛び交う評論だけを読んでいると立脚点を見失いそうになる。

 たとえば、レッズの中川代表、横山GMの2人が留任を決めたことについて。

 寄せられた意見で言えば、ほとんどが「留任反対」あるいは「留任疑問」だった。当然だろう。昨年のレッズフロントに満足している人など1人もいないのだから、わざわざ「留任賛成」という意見を表明する人はいない。「やみくもな留任反対はおかしい」という人が1人いただけだ。

 本来、「満足していない」=「辞任要求」ではないはずだし、そもそもフロントは人気投票で決まるのではない。レッズに限らず人事というのは「誰がやるか」より「何をやるか」の方が大事だ、と思うのだけど、「あのフロントから方針なんか聞きたくない」とか「フロントがやめないのなら、もう応援しない」という意見もあった。さすがに、違う人がやったほうがいいのかなあ、と僕も思ってしまった。

 そんな僕を揺り戻したのは、「性根の腐った奴ら」とか「イスにしがみつく」とか「居座る」などという表現だった。ちょっと待ってよ。時代劇の悪代官じゃあるまいし、その言い方はないだろう。今のレッズのフロントのイスは、しがみつきたいほどの「うまみ」もなければ、居座りたいほど座り心地は良くないはずだ。「針のむしろ」の方が当たっている。書いているうちに、ついつい筆が滑ってしまうことはよくあるが、度を越した表現は、読む者をかえって冷静にさせることがある。

 チームの成績が悪いときに、誰かを悪役にしたいのはわかるけれど、相手は商工ローンの社長でもなければ、前の大阪府知事でもないのだ(同じ横山だけど)。差出人不明の脅迫状みたいな手紙も、大いに刺激になった(僕に送ってくるなよ、そんなもの)。

 それで、「今大事なことは、フロントをやめさせることでなく、フロントからはっきりした方針を引き出すことだ」と思い直したのだった。もちろん、その結果「だめだ、こりゃ」ということになる可能性もある訳で、さてみなさんはMDP増刊号を読んで、どうお感じでしたか。

(2000年2月4日)