さいたまと
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COLUMN●コラム


#063
  恥じかきMDP物語〜鳥栖編


 ちょっと前の3月30日、サガン鳥栖−レッズ戦のときの、僕の個人的な心情を吐露しよう。吐露というほど大げさなものじゃないが。

 あの日は僕自身にとって結構大変な日だった。MDPというのは、28ページのうち3分の1は、最後の試合が終わってからでないと作れない内容だ。そしてMDPの編集作業の締切りはホームゲームの前々日。ということは日曜日にホームゲームがあって、その前の試合が木曜日だったりすると、木曜の試合の後から金曜の夕方までにMDPの約9ページ分を作り上げなければならない「地獄」の20時間が来るのだ。

 3月30日の鳥栖戦−4月2日の甲府戦と続くこの日は今季最初の「地獄」だった。30日の試合がホームか、あるいは大宮、平塚といった近郊ならまだいいが、鳥栖でのナイターとなると当然日帰りはできない。ホテルでも移動中でも仕事はしているが、福岡を朝一番の飛行機でも浦和に着くのは10時すぎだから、このロスは大きい。

 でも、この「地獄」はそれまで何度も経験していたことで、そのたびにきちんと地獄から「生還」している。つまり何とか失敗なくMDPを作り上げてきた。しかし今回は、会社の都合で埼玉新聞社の写真部が派遣されないという状況がプラスされた。前回書いた仙台と同じ状況だ。だから鳥栖戦から使用する6〜7枚の写真を全部僕1人で撮らなければならない。デーゲームならともかく、鳥栖戦はナイター。ナイターの写真は厳しさが倍以上になるのだ。これが大変なプレッシャーだ。

 さらに、さらに。埼玉新聞は毎月第一土曜日に「MDPスペシャル・浦和レッズ応援特集」というのを1ページで掲載しており、これも僕が担当しているのだが、やはり鳥栖戦が終わるまで3月の結果の大筋は書けない。4月の第一土曜日というと1日。つまり31日には埼玉新聞の最終原稿も入れなくてはならなかったのだ。そこまで3連勝のレッズだったが、万一鳥栖に引き分けたり負けたりということを想像すると、大パニックになってしまう。

 地獄でパニックになることを予想しながらプレッシャーたっぷりの仕事をする。鳥栖戦に臨んだ僕の心境は、そんな感じだったのだ。

 ハーフラインあたりで選手入場と集合写真を撮り、エンドを見定めてからレッズが攻めるゴール裏に動く。イスを広げ、カメラをセットする。あら?岡野が来る。ちょ、ちょっと待ってよ!シュート、DFに当たって永井の前へ。そしてゴール!あっらー、撮り損なっちゃった…。

 しょうがない。とりあえず流れをメモしなければならない。あ、岡野がまた来る。GKかわしたか?ああ、駄目か。今日は岡野デーだな。と、メモしていたそのとき、スタンドが騒がしい。なんだ?GKにレッドカードぉ?どうなるんだよ、この試合は…。

 1点リードして11人対10人。とりあえず勝ちは決まったようなものだが、レッズの2点目がなかなか入らないから、僕の心は焦っていた。勝ちが確定しないからだけではない。永井の先制点は撮り逃がした。(おい、まさか、このまま1−0で終わるんじゃなかろうな。唯一のゴールシーンがMDPに載ってないなんて、マズいぜ)と、だんだんプレッシャーが強くなっていたのだ。しかし31分にアンジェイ・クビツァが来日初ゴール。そして先制点を挙げた永井も2点目を奪い、そのシーンは2枚とも押さえた。岡野のゴールはゴールとDFに重なって駄目だった。

 ハーフタイムには少しホッとしていたが、もう一つのプレッシャーがしのびよって来る。言うまでもなく「ちゃんと撮れているか」心配なのだ。4回もゴールシーンがあって1枚も撮れていなかったら、4月2日(甲府戦)はサポーターに顔向けできない。念のため、後半もあと何点か欲しいのだけど…。もう点はいらないと思う事情も少しあったのだ。

 

(2000年5月19日)