さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#093
  「替える」より「変える」方が


 「別の機会に」とは当然(?)このコラムのこと。
 何って、MDP180号に書いた「変わる」と「替わる」の違いのことですよ。
 人でも団体でも、そのものが違うものになる場合は「替わる」。人や団体の構成は同じだが性格や外見が前とは違う場合は「変わる」と書いた。
 「替わる」の親類に「代わる」と「換わる」がある。似ているけどちょっと違う。たとえば「換わる」をサッカーでいうと、草サッカーなどで両チームが顔を合わせたときに、どう見ても圧倒的に力の差がありそうなので、AチームとBチームのメンバーを少し入れかえることにした。「(うまい)福田と(へたな)清尾かわろうよ。じゃないと、試合になんない」と言えば「換わる」だ。お互いにかわった後、選手としてプレーするのだ。
 これに対して、清尾がプレーしていて、福田が同じチームのメンバーとしてベンチにいた場合。「清尾じゃ駄目だ。福田、かわれ」と監督が言うときは「代わる」なのだ。福田が清尾の代わりにプレーする。清尾は引っ込んでもうプレーしない。
 「替わる」は一般的。上記の使い方がよくわからないときは「替わる」と書いても間違いではないことが多い。ちなみに二番目の例の場合、清尾の立場からすると「先発で出たけど、途中で福田と替わっちゃった」と家に帰って息子に言うことになる。清尾は福田に代わってベンチを温めた、と言えないこともないけど。それはサッカー的にはおかしい。わかったかな?

 国語の時間はこれくらいにして、MDP180号の「STRIKE BACK」で言いたかったことは、選手やチームの調子が悪いときに、すぐに「監督や選手を替えろ」と言わないで「変わる」のを待つことだって必要だろう、ということだ。もちろん「変われ」とチームに要求することは必要だし当然だ。「変わる」ために選手や監督を「替える」ことが有効なときもある。ただ、たとえばベギリスタインのことを98年まではみんな何と言っていた?ウーベ・バインだって本領を発揮するまで半年以上かかったじゃないか。名古屋のストイコビッチも来た当初は90分まともに試合に出たことなど数えるほどしかなかったはずだ。
 その選手の使い方を変えるとか、周りの選手との関係を変えるとか、いろいろと努力はすべきだが。しかし今の不調を見て、すぐに選手そのものを替える、のは早計ではないか。僕も今のアドリアーノはあまり機能していないと思うが、本当にいますぐアドリアーノを「替えろ」と言って後悔しないのか?そういうことなのだけど。

 人を「替える」のは簡単だ。金さえあれば。しかし、それでチームが良い方に「変わる」保障はない。人を「変える」のは時間も能力も必要だ。しかし「変わった」後は大きな力になることは確実だ。人は「変わる」ものなのだ。
 DF?
 うーん、毎試合失点がして、少しパニクってるところがあるから、休ませた方がいいかなとは思う。結局、いま休みに入ってしまったから、わからないけれど。

(2001年5月21日)