さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#095
プロ野球の応援は、力になっているのか?


  久しぶりにプロ野球を見に行った。まず東京ドームで日本ハム−千葉ロッテ戦。これは外野自由席のほぼ真ん中。次に神宮球場でヤクルト−巨人の外野自由席。そして同じく神宮でヤクルト−巨人戦の外野指定席。
 3試合とも接戦で最後はホームランで決着がつく、という内容で面白かったが、どうしても目が行くのはサポーター、いや応援団。ロッテの応援団はテレビで見ていて、いつか生で味わいたいと思っていたのだが、想像通りの迫力だった。ビジターのユニフォームの色、黒にほぼ統一された服装で半袖の腕をいっせいに振り上げると非常に目立つ。そして声中心の応援で、笛やトランペットもたまにはあるが、それはあくまでリードを取るため。何よりパタパタうるさいメガホンがない。みんなではねる応援もあった。守備のときは最初に投手にコールを送るくらいだから、試合中ずっと、という訳ではないが、これぞ応援、というイメージを強く持った。やはりロッテはサポーターと言ってしまいそうだ。

 その次に行った神宮球場。ヤクルトも巨人も、これが正しい野球の応援、というものだったが、とにかくパタパタがうるさくて声が聞こえない。まあ聞こえなくても支障はないのだが、はっきりと選手の名前が聞こえるロッテの応援にくらべると、今は巨人の攻撃で松井が打席に立っているから松井の応援なんだろうな、という具合。
 神宮の外野はセンターにスペースがあるから、どっちつかずの席がない。僕は巨人側のセンター寄りにいたのだけど、応援団のリーダーらしき人がだんだんこっちにやってきて、「この辺の人も立って応援しましょう」と攻撃になるたびに呼び掛ける。僕は巨人ファンではないし、試合をじっくり見たかったから立たなかったけど、周りが全部立ち上がったらどうしようか、と思っていた。
 「立とうが立つまいが俺の勝手だろ」と文句も言えるだろうが、「外野自由席というのは応援するところだ。試合を見たけりゃ指定席に行け」と言われたら、Jリーグのゴール裏をそういうところだと思っている僕は反論できない。まあ、あまり強く言われはしなかったし、周りの巨人ファンも半分くらいしか立っていなかったので、そういう論争は実現しなかった。

 たとえば僕が巨人ファンだとして、応援の中心部分に行きたいと考えるだろうか。まずないだろう。そんなに魅力のある集団ではないし、巨人なら応援しなくたって勝つだろうから。最近ちょっと調子を落としているけど、底力は一番ありそうだ。そう言えば3日で5連敗。ということは僕が見た5月29日の試合が「最後の」勝利という訳か。
 じゃあロッテファンならどうか。中心でなくてもあそこで一緒に立って応援したいと思わせる魅力たっぷりだ。どんなふうにリードを取っているのか、リーダーはどんな感じなのか、遠くてわからなかったけれど、あそこにいれば試合と応援とダブルで楽 しめそうだ。今度は千葉マリンスタジアムで味わってみたい。
 今年のロッテは開幕スタートが好調だったし、一時落ちたけれどまた復活してきて、首位もうかがえる位置にいる。ロッテファン、いや千葉サポーターは楽しい毎日を送っているだろう。だって他のチームと違って、勝利のために応援が少なからず役立っていると感じられるだろうから。

 応援が、どこまで選手の力になっているのか。レッズサポーターなら一度は自問したことがあるだろう。選手は「力になる」と言うが、具体的な数字で示すことはできない。「応援なんて関係ねえよ」という人もいる。
 でも実際に声を出して応援している人なら感じたことがあるだろう。「今日は俺(たち)の応援が勝たせたよな」「あそこでもっと応援していれば勝てたよな」と。その実感がある限り、サポーターの応援が試合と無関係ということは絶対にない。手ごた え、というものはあいまいなようで、案外正確なものなのだ。
 野球よりもさらに「流れ」が勝敗を左右するサッカー。その中でもスタジアムにぎっしり人が詰まっているレッズの試合。観客の反応が選手に影響を与えないはずはない。
そして観客の気持ちを左右するのは、選手のプレーとともにサポーターの動向なのだ。
 レッズも早く、応援しようがしまいが常に勝つ、というチームになってほしいと思わないでもないが、そうなったらそうなったでつまらないだろうな、とも思う。そんな気遣いはしばらく無用だろうけど。

 ところで3試合一緒に行った、巨人びいきの13歳の息子が言う。
 「巨人は好きだけど、巨人ファンは好きじゃない」
 それは正しい反応だと思うけど、お前が言うと自己撞着じゃないか。
                            

(2001年6月4日)