さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#102
外国人、Shinji Ono


 7月22日、小野伸二がオランダに向けて飛び立った。今日はやっぱり小野のことを書くしかないよなあ。

 14日。ジェフ戦の試合前、スタンドをうろついていた僕に、あるサポーターが話しかけてきた。
 「清尾さんは、伸二のこと、どう思ってるんですか」
 その日のMDPは、まさに小野伸二のファンクラブ会報だった。全28ページの中で、小野伸二の名前か写真が載っていないのは、全面広告を除けば成績表のページだけだった。そんな冊子を1人で作っている男に、小野に対する意見を聞いてどうするんだ、とも思ったが、実は彼の質問は僕にとってかなり有り難かった。小野伸二という選手に対する自分の考えを正確に戻すことができたからだ。
 「俺は…、小野は日本語を話す外国人選手だと思ってるよ」。
 それは、99年あたりから僕が自分の中で小野に冠してきた形容詞だった。彼は素晴らしい選手だし、間違いなくレッズの一員ではあるが、心の底から仲間だという意識が薄かった。もちろん僕の側にである。
 加入前から有名人だったから。
 大原で毎日のように記者に囲まれていたから。
 リーグ戦の最中でもユース代表で引っ張りだされ、出場試合数が少なかったから。
 毎年のように海外移籍、海外移籍と騒がれていたから。
 99年2ndステージの後半、4試合連続Vゴール負けという苦しい戦いの時期にいなかったから。
 レッズのほかの選手に比べてうますぎたから…。
 理由はいろいろ考えられる。みんな小野本人のせいではない。彼自身は普通の若者よりだいぶ常識をわきまえた、好青年だ。ファンのサインにもできるだけ応じるし、取材にもぶっきらぼうではない。しかし、とにかく小野伸二はそう遠くない時期にレッズからいなくなってしまう選手、という意識が何となく僕にはあった。いなくなると戦力的なダウンは否めないが、精神的な支柱がなくなってしまうという気はしなかった。では誰がレッズの精神的な支柱か、と問われると困ってしまうのだが(これについては別の日に考えることにする)。
 小野のフェイエノールト移籍が取り沙汰されてからというもの、それを残念がり、ショックを隠せないサポーターの声が僕のところにも数多く届いている。それは理解できるのだが、ではもしこの移籍が別の時期に行われたら、どうだったろうか。レッズ在籍3年半で最高の輝きを見せていた時期だから、移籍を惜しむ声が何倍にも増幅された、と考えるのはおかしいだろうか。
 冷静に考えればわかる。5月6日の東京V戦でトゥットのゴールをアシストしたのを皮切りに、ほとんどの試合で直接、間接に得点あるいは勝利に絡んでいる。小野の働きが勝利につながったことは過去何試合かあるが、それがこれほど連続した時期はない。
そもそも在籍した3年半で、出場停止を除いてハーフシーズンすべての試合に連続出場したことなど一度もなかったのだ。この活躍を見れば、熱烈なシンジスタ、シンジーナでなくても、彼を惜しむ気持ちになるのは当然だ。
 そのムードに流され過ぎてはいけない。僕はMDP183号で編集者としての自分と、サポーターとしての自分を使い分けた。多くの小野伸二ファンの惜別の念にこたえる部分を全体に散りばめながら、自分の意見としては小野1人にこだわって目の前の試合に負けたら何にもならないぞ、とアピールしたつもりだった。
 そしてサンフレッチェ戦には、散々迷ったあげく「IT DOSEN’T MATTER」とプリントされたTシャツを着ていった。勝ち点を20に乗せられるかどうかの大事な試合だ。感傷に浸るのは勝ってからにしてくれ、というつもりで。
 ジェフ戦の決勝ゴールとなるFK。壁に当たってゴールインしたときの雄たけび。
 これまで何度か彼のゴール後のパフォーマンスを見てきたが、いつもどこか余裕を感じるところがあった。今になって思うと、99年5月15日の鹿島戦(国立)のFKの後の大ジャンプにすら、それを感じた。うれしいのはもちろんだが、ある意味では当然の仕事をして、自分の力を確認するというムードがあったのだ。本人にはそんなつもりはないだろうけど。
 ジェフ戦のFKの後はガッツポーズと呼べるものではなかった。自分の駒場での最後の得点、1−1に追い付かれた後の勝ち越しゴール、いろいろな意識が合わさって、あの雄たけびになったのだろうが、僕は単純にあれを見て「ああ、小野伸二は間違いなく俺たちの仲間だな」と思った。これまでは「同じ釜の飯を食った」気がしなかったのだけど、その認識が改まった。
 サンフレッチェ戦の後半。3−1になってから小野がフリーで持ち込むシーンがあった。小野はペナルティエリア近くまで来て、中央へ詰めてきた田中達也にパス。結局、ゴールにはならなかった。いつか聞いてみたいのだが、小野はどうして、あのとき自 分で打たなかったのだろう。やや外へ流れ気味だったが、時間と点差を考えれば自分で打ってもいい場面だった。自分のゴールにこだわるよりも、後輩の田中にハットトリックを達成させたい、という気持ちがあったのだろうか。勝利をより確固たるものにするため、少しでもゴールに近い位置にいる選手が打つべき、と思ったのだろうか。

 小野が出発してから、あらためて思った。小野伸二は「日本語を話す外国人選手」ではなく、「過去の外国人選手並みのスピリットを持つ、浦和レッズの選手」だったのだと。レッズでの最後の期間、在籍3年半で最高の輝きを見せることができたのは、小野にとっても、チームにとっても、ファンにとっても、そして僕にとっても幸せだった。

(2001年7月23日)

 追伸。
 ところで選手の海外移籍に絡んで一言。7月20日のあるスポーツ新聞で、某サッカー通の作家が「選手の海外移籍は結構だが、それによってチームがうける戦力的、興行的マイナスを考えると手放しで喜んでいていいのか。プロ野球で、松井秀喜の大リーグ入りに巨人が反対しているのもうなずける」という趣旨のコラムを書いていた。
 おいおい。あんた、お友達のサッカージャーナリストと一緒に、日本のサッカー選手が海外に出ることを奨励していなかったっけ?出さないのはそのクラブのエゴみたいなことも言わなかったっけ?
 そもそも野球には、オリンピック以外に日本代表という存在がなく、選手が海外でプレーするのは日本のレベルアップのため有効、という発想もない。いわゆる移籍金を放出した側のチームが受け取ることもない。サッカーよりも個人人気が強いプロ野球 で、看板選手がいなくなることをチームが嫌うのは当然であり、Jリーグとは比較できない。
 こんなこと、サッカー通のあんたには言わなくてもわかっているはずだけど、締切りに追われると、とんでもないことを書いてしまうんだねえ。