さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#110
真相


 1日遅れた分、「大作」です。  1999年。この年からJリーグは1部・2部制になり、毎年2チームが自動入れ替えになるシステムを採用した。1部の下位チームは降格阻止のために必死になるし、2部のチームには1部昇格の希望を持って運営ができる。Jリーグの活性化のために、どうしても必要なシステムの一つだった。
 しかし2部制を実現したのはいいが、J2の盛り上がりの低さにJリーグは頭を抱えていた。下位のチームはもちろん、昇格争い組と言われる川崎F、FC東京、大分、仙台もいまひとつの入場者数で、札幌が地元としては盛り上がっているぐらい。それも昇格が厳しくなってからは、全体の活性化にはつながっていない。
 「J2を盛り上げる手はないだろうか」
 「J2にはまだ人気チームがないですからね」
 「いっそ、浦和、鹿島、清水あたりがJ1から降格してくれるといいかもな」
 などという会話が交わされたかどうかは知らない。しかし、J2の中に話題となるチームが必要であること。新しいチームを作るより、J1の人気チームが入れ替えで降格する方がてっとり早いことは、Jリーグ事務局の内部で語られていてもおかしくない。

 99年5月29日。1stステージの最終節で浦和レッズが1-8で名古屋グランパスに大敗し、13位になった。13位といっても勝ち点13。同12の京都(14位)、市原(15位)とはわずかな差だ。2ndステージは残留のための争いが待っている。
 ここにおよんで、Jリーグから浦和レッズに極秘指令が下ったのではないか。
 「Jリーグ全体の発展のために、日本一の人気チーム・浦和レッズに1年間J2に落ちてもらおう」
 とんでもない話だが、日本サッカーを支えてきた、というより日本サッカーの重鎮を数多く輩出している三菱としては、「Jリーグの発展のため」と言われれば無下に断れないところがある。しかも実際に落ちても不思議のない成績で1stステージは終 わった。
 「1年でJ1に戻れるように、見えないところでバックアップするから」「必ず日本代表候補に最低1人は呼ぶようにするから」などという条件も提示されたかもしれない。Jリーグ、浦和レッズ共に超ウルトラスーパートップシークレットとされたに違いないが、99年6月時点で「レッズJ2降格」の路線が敷かれていたことは、6月以降のレッズの動きを見れば容易に推測できる。

 しかしレッズとしては簡単にはいかなかった。まず現在の原博実監督は三菱時代からの生え抜きで、「J2に降格させた」汚名をきせるのはしのびなかった。
 また、勝つより負ける方が簡単だが、いきなりコロコロ負けて、すぐに降格を決めてしまっては市民やサポーターに与えるマイナス影響が大き過ぎる。そんなことをしたら、いざJ1に復帰したときにサポーターが戻ってくれなくなるかもしれない。最後の最後まで踏ん張ったが駄目だった、という形にしたい。
 監督問題は、まず原博実氏をクビにすることで解決した。この時点でやめれば「降格させた」ということにはならない。しかもナビスコカップ2回戦で大分に逆転勝ちした後に解任を発表したことで、「原監督でまだまだやれたのに、クラブがあせってクビにした」という状況を作れた。生え抜きの原氏に大きな傷をつけなくてすむ。
 後任監督選びが難航したのは、おそらく「最後まで戦いながらギリギリで降格する」などという難しいシナリオを書いてくれる人を探していたからだ。最終的に、超ベテランであり、今後指導者としての野望があまりなく、日本のチームを2部に落としたくらいではビクともしない経歴の持ち主、ア・デモスに白羽の矢を立てた。デモスとしても1stステージ13位なら「あの成績で、あのチームでは俺がどれだけ頑張っても駄目だったよ」と言い訳できる余地がある。
 デモスが指揮を執りはじめてからのレッズは、クラブのシナリオ通り進んだ。指導は厳しくて具体的だが、専門の通訳を置かないことで、100%のコミュニケーションが取れないようにしたのも思惑によるものだった。
 成績は理想的だった。まず開幕4連敗して年間15位のボーダー下に位置した。これで他チームが負け続けても、レッズが負けさえすれば「降格の座」は確保できる。しかし、あまり負けて16位になってはいけない。希望が早々となくなっては困るのだ。5試合に1回ぐらい勝っていれば沈むことなく、浮かび上がることなく降格ゾーンにいられる。そこで第5節のセレッソ大阪には勝った。これで「最後まで頑張る」とサポーターの腹が座った。
 第6節から9節までの4連続Vゴール負けは、そういう目から見れば芸術的だった。もちろんベンチのデモスは気が気ではなかっただろう。選手が頑張りすぎて、勝ってしまいそうだったからだ。
 磐田戦では大柴が相手DFにプレッシャーをかけるなど、下位チームらしからぬプレーで一度は同点にしてしまった。
 鹿島戦では福田が点を取ってしまったので、2点目を取らせないように渡辺を交代させた。その渡辺が攻撃に上がって行くのを見て、あわてて止めた。ロスタイムにようやく鹿島が同点にしたときは、その遅さに腹が立って水の入ったペットボトルを投げつけた。
 福岡戦でも、まさか城定が先制するとは思わなかった。Jリーグ無得点と聞いていたのに。やはり後半から盛田を入れることで追加点を取らないようにしたのだが、その盛田が頑張ったのにもヒヤヒヤした。
 4試合目の名古屋戦でも負けたので、勝っても14位に浮上しないガンバ大阪戦は予定通り白星でよかった。まさに「ファイナル5」までのシナリオは順調だった。
 デモスがあせったのは最後の4試合だった。市原、平塚に勝つのは予定の行動だった。ホームでもあり、残留を争っている相手に勝つことはサポーターの気持ちを離さないために重要なことだ。誤算なのはレッズが平塚に勝った節、市原が神戸に負けてしまったことだ。ここで初めて14位に浮上してしまった。しかも勝ち点3差をつけて。これでは残り2試合に勝ったらJ1残留してしまう。
 Jリーグも青くなったに違いない。平塚と市原がJ2に行っても、盛り上げという点でのプラスはゼロに近いのだから。
 デモスは考えた。V川崎に90分勝ちしたら、市原と勝ち点3差の14位で最終節を迎えることになり、広島に大敗しない限りJ2降格はない。ホームで大敗して降格したのではサポーターのブーイングを浴びることになり、クラブのリクエストに反してしまう。理想はV川崎に負けることだが、ファイナル4は全勝するつもりで練習してきたから負けるのは無理だ。市原はどうしてこんな大事なときに負けたんだ。
 結果はV川崎に引き分けで勝ち点1。市原は大差で勝った。デモスは飛び上がって喜んだ。なぜなら最終節をホームで勝ってもJ2落ち、という最良のシナリオになったからだ。
 万が一にも広島に90分勝ちしないように、デモスは万全の策を採った。それは市原、平塚で得点した福田をスタメンからはずすことだ。土壇場での、この男の力は危険だ。そう知ったデモスは、何としても90分以内に得点するポーズを取るためにFWを投入したが、その順番はまずJリーグ無得点の盛田、そしてファイナル4初出場の大柴。福田を入れたのは残り20分を切ってからだった。そして結果はまさに理想通りだったではないか。
 これがレッズの99シーズンの戦いの真相だ。

 書いていて気分が悪くなった。
 推測でもなく、憶測でもなく、自分が知りえた材料を都合のいいようにつなぎ合わせてまったくのフィクションにする。それが面白ければいいけれど、自分のチームをボロボロに言う内容なんだから、ヘドが出そうだ。それにしては長いって?
 言うまでもないけど、これは全くの作り話。2000シーズンのJ2がレッズによって盛り上がったという事実。99シーズン最終節でデモスが福田の出番を遅らせた疑問。この2つをメーンに、三菱のサッカー界での立場、勝ち試合の後の原監督解任、最後までもつれた「15位」などを絡み合わせてみた。
 信じた人いるんじゃないですか?誰もが知っている状況が「証拠」として並べられているし、びっくりするようなことの方が「真相」と呼ぶにふさわしいから。でもこれはデマです。間違えないように。
 デマの巧妙なところは、いくつかの事実をつなぎ合わせたり、疑問を解き明かしたりする形を取っていること。そしてみんなが「へえー、そうなの!」と驚くような内容になっていることだ。
 逆に「真相」「本音」なんて簡単なもののことが多い。簡単だとみんなつまらなくて納得しないから、もっとセンセーショナルなことを期待して「真相は?」「本音は?」と突っ込んで聞きたがる。だからデマのはびこる余地がある。でも人の心の中の本音はなかなか明かされない。本当の「本音」など活字にするのは不可能、といってもいい。
 大事なのは「事実」。「真相」や「本音」には、それを語る人の思惑が入っているから、かえって事実と違う。現在、市会議員をされている方が95年にサポーターに暴行したときも「真相」や「本音」という名目で「思惑」「言い分」が飛び回った。でも「事実」は一つだった。

 チッタ辞任という衝撃的な「事実」。みんな「真相」や「本音」を知りたがるし、その需要に応じて語る人もいる。でも「事実」は一つ。チッタが辞めたということ。いまの監督はピッタだということ。そしてレッズが2ndステージ1勝3敗で、今季トータル24の勝ち点しか獲得していない、ということだ。

 韓国の話を書きたかったのに…。

(2001年9月11日)