さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#112
珍しくレッズのこと

 今回、火曜日になったのは僕のせいじゃない。祝日は更新が出来ないからだから、念 のため。

 9月22日、土曜日のレッズ−アントラーズ戦は「惜しい」の一言だった。
 ある意味ではレッズのゲームプラン通りだったのかもしれない。あれだけ押し込まれ て、どこがゲームプラン通り?
 スタメンを見れば、守備的であることがわかる。それも前から守るというより、中盤 から後ろで相手をしっかりつかまえる、という守備だ。だから押されるのは当然と言え ば当然。
 そして後半、阿部を入れてから攻撃にリズムが出てきた。これも狙い通りだろう。そ ういう意味では、ピッタ監督は選手の特徴をよく見ているのかもしれない。今回初出場 した早川にしても、19日のサテライトの試合でいい動きをしていたから引き上げられ たのだろうし、河合にしてもそうだ。
 そう。ピッタは選手をよく把握していると思う。問題は使い方だ。例えばアドリアー ノのFKは決まる可能性が高いのだから、エメルソンのドリブルがどんどんFKを誘う ようだったら、アドリアーノを置いていたほうがチャンスになる。しかし相手の守備や 審判の動向で、ファウルがもらえそうもなかったら、よりよい展開を狙って結局はチャ ンスをつぶしてしまうことが多いアドリアーノは、1人トップ下には置いておけない。 だれかに替えた方がいい、ということになる。
 では、誰を使うか。そこが、チーム全員の特徴をよく知っている(つもりの)我々と 、監督に就任したばかりのピッタとの違いだろう。トップ下に置いたときの吉野や福永 がどんな活躍をしたことがあったか。我々はいい場面だけ頭に焼きついているから、「 どうして使わないんだ」とヤキモキするが、監督にしてみれば話だけでは使いにくい。  それはFWとしての福田も同じで、何度も福田に快感を味合わせてもらった我々と違 って、ピッタは福田のいい場面をナマで見たことがない。そういう意味では、我々が「 ここに彼を使えば」と嘆くのは、その選手が信頼を獲得するだけのプレーを監督に見せ ていないということだ。
 もし、19日のサテライトで吉野がもっと持ち味を発揮していれば、鹿島戦のメンバ ーに入っていたかもしれない。後半途中の交代が、「アドリアーノ→永井」ではなくて 「アドリアーノ→福永(または吉野)」+「トゥット→永井」だったら、もっと面白か ったと思う。それをしなかったのはピッタだが、させなかったのは選手だ、と言い切っ ていいと思う。これは別に吉野だけの話ではない。今のレッズに一番欠けているのは、 指導者でも補強でもなく、「この危機を俺が救うんだ」という選手の気概だと思う。  チーム全員で戦う、とは精神的な意味だけではない。すべての選手が、「監督、俺だ 。俺を出せ!」と毎日プレーでアピールすることだ。まさかファン、サポーターから「 誰々を使え!」と声が上がるのを待っているんじゃあるまいな。

(2001年9月25日)