さいたまと
ワールドカップ


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COLUMN●コラム


#149
必然が呼ぶ偶然

 レッズのホームゲームでスチュワードのボランティアをしている三瓶(さんぺい)さんから、4月23日、メールが届いた。
「韓国と日本のワールドカップ会場を歩いて回っている韓国人グループと偶然知り合いになりました。明日、浦和に入るそうなので会うことにしました」
 ふうん、何だろ。聞いたことないな。でも少し面白そうだ。明日24日はレッズの練習も休みだし、僕も行ってみようかな。三瓶さんと連絡を取った。
「僕も明日は時間が取れそうなんで、できれば会いたいですね。何時ごろ浦和に来るんですか」
 このとき僕は勘違いをしていた。
「今晩は新宿に泊まるんですが、明日朝出て、戸田橋を渡って行くので何時になるかまだわからないんです」
「ちょ、ちょっと。新宿から歩いてくるの!浦和まで電車で来て、埼スタまで歩くんじゃないの?」
「違うんです。大分から神戸まではフェリーに乗ったそうですが、そこから大阪、静岡、横浜とずっと歩いてきたそうです。明日は北浦和に泊まって、明後日埼スタに行き、その足で柏経由で鹿島に行くらしいです」
「じゃあ、それから仙台、札幌…。ずっと歩いて?」
「じゃ、ないですかね」

 これはすごいことだぞ。僕はてっきり、その開催地までは電車で行って、駅から歩いてスタジアムに行くのだと思っていた。大阪から静岡ぁ?何キロあるんだ。
 三瓶さんがもらったという資料をFAXしてもらった。それによると、一行はお寺のお坊さんが中心になっていて、ソウルを出発したのが2月28日だという。もう2ヵ月近くたっているのか。たしかにそういう行程では、何時にどこそこ、などという待ち合わせはできない。僕は覚悟を決めて、一行とまだ一緒にいる三瓶さんに連絡を取った。
「戸田橋を渡るなら国道17号を歩いて来るんでしょう?僕、白幡あたりまで出て北浦和まで一緒に歩きますよ。歩きながら話を聞かせてくれるように言ってください」
 土地カンのない人のために説明すると、国道17号とは東京から埼玉県を通って群馬県に抜ける幹線道路。戸田橋とは国道17号が東京−埼玉の都県境である荒川を越える場所に架かっている橋。白幡とは国道17号沿いにある浦和南部の地名。僕の勤めている埼玉新聞社は白幡から徒歩15分くらいだ。
 そんな「苦行」のようなことをやっている人たちのところへ車でスッと行って、ちょっと話を聞いて帰る、なんてことはできない。戸田橋まで迎えに出るのは無理だが、少しは一緒に歩きたい。
 でも、どういう人たちだろう?半ば楽しみ、半ば不安になりワールドカップの関係者に問い合わせてみたが、僕の知り合いからは誰一人としてその人たちの情報を得ることができなかった。これだけワールドカップ、ワールドカップと日本中が騒いでいるのに。

 翌朝、三瓶さんから電話があった。
「いま戸田橋を渡ったそうです。僕もこれから行って合流します」
「じゃあ、近くなったら連絡ください」
 そう言いながら、待ちきれずに会社を出た。歩くには暑い日だった。白幡付近についてさあ、どうしようかと思っていると、それらしき一行が目に入った。三瓶さんもいる。先頭は確かにお坊さんのようだが、ほかの人は普通の服装だった。
「白幡沼でお弁当を食べるそうなんで、そのときに話を聞いたらどうですか」
 三瓶さんが言った。白幡沼とは国道17号から少し東に入ったところにある沼で、側に遊歩道はあるが、公園みたいなものはない。お弁当なら別所沼公園の方がいいんじゃないかと思ったが、部外者が予定を狂わせるのは悪い。それに従った。
 公園はないが藤棚の木陰があり、慣れた手つきで昼食の準備をする。敷物を敷き、食事が配られる。
「どうぞ、どうぞ」
 僕の前にもご飯とおかずが配られた。
「僕も夕べ、新宿で晩御飯を御馳走になったんですよ」
 三瓶さんが屈託なく言うので僕もお相伴することにした。

 食事をしながら、日本語を話せるユンさんという女性から話を聞いた。
 リーダーのお坊さんはソウルの天竺(チャンチュッ)寺のウォンゴン(圓空)さんという57歳の方で、これまで24年間、朝鮮半島の南北統一とか平和や環境保護を祈り、訴えながら国内を歩き続けてきたという。だから特にサッカーファンという訳ではない。ワールドカップというビッグイベントを機会に、日韓両国の友好や平和、環境保護を祈り、20会場を歩くという訳だ。2月28日にソウルを出、韓国の7会場を回って、3月26日に釜山から下関に渡った。これから埼玉、鹿島、仙台、札幌、新潟を巡り、また下関から釜山に戻り、韓国の残り3ヵ所を回る。日程は6月30日までの123日間。そう、ワールドカップ開幕前に終えるのではなく、決勝の日が旅の終わりなのだ。
 メンバーの顔ぶれは学生、画家、会社員など総勢11人。ウォンゴン師はお坊さんだからいいが123日間というと普通の会社員には厳しい。通訳をしてくれたユンさんは「私は仕事をやめてきました」と事も無げに言う。どうしてもウォンゴン師と一緒に旅がしたかった。ほかの人たちも同様だ。師は韓国では相当知られた方らしい。1日に歩くのは30キロ〜40キロ。たまには50キロくらい歩くという。50キロというと僕が学生のころ、東京のお茶の水から八王子まで夜通し歩く「中大ナイトハイク」というイベントがあったが、あれくらいか。あれは確か途中でバテたな。

 ところで経費はどうするんだろう。実はスポンサーがある。韓国の中央日報という新聞社で、正確にいうと「中央日報文化事業」という会社がスポンサーになってくれたらしい。こういう旅、そしてマスコミというと、すぐに「猿岩石」を思い出す。日本のテレビ局ならすぐに飛びつきそうな題材だ。「旅を始めて××日、メンバーは恐るべき事実に直面した!−CM」とかね。
 しかしウォンゴン師は基本的に取材が好きではないという。すぐに「ああしてくれ、こうしてくれ」と注文をつけてくるし、作られたものになってしまうからだ。危ない、危ない。僕は大丈夫だったろうな。おそらく旅が終わってから新聞に連載したり本になったりするのだろうが、今は何の制約もないらしい。太っ腹な会社なのか。

 食事が終わって片付け始める。
「これからゴミ拾いしますから」
 ユンさんが言う。なるほど「来たときよりも美しく」か。みんながあちこちのゴミを拾い始める。…10分。とっくに自分たちの周りのゴミはきれいになっている。…30分。ウォンゴン師は自分のステッキで沼のゴミを掻きだしている。空き缶、弁当の箱、コンビニの袋、サッカーボール…。かれこれ1時間になろうとしている。とても「来たときよりも美しく」なんてレベルではない。ユンさんを捕まえて聞く。
「いつも、こんなに長く掃除しているんですか」
「はい。道路の側とかはもっと大変ですよ。人がいっぱい集まるところはかえってゴミが少ないんです。こういう、人が少ない所のほうがゴミがあるんです」
 なるほど。ここでも僕は考え違いをしていた。彼らはパフォーマンスでやっているのではなかったのだ。拾ったゴミはかなりの量になった。不燃物と可燃物に分けて袋に入れ1ヵ所に集める。その袋も韓国で作って持ってきたものだ。ハングル文字で「環境を青く、自然をきれいに」と書いてある。
「これ、どうするんですか」
 このまま置いておいてもしょうがないのでは?
「さいたま市で一番偉いのはさいたま市長ですか」
「そうです」
 偉いと言いたくないが、まあそうだ。
「さいたま市長様、持ちかえってください、と書いて置いておきます。韓国でもそうやってきました」
 なるほど。まあ、それよりも確実になくなるように市役所の知り合いに電話して、しかるべく処理してもらうようにお願いした。
 三瓶さんが「清尾さん。何だか恥ずかしくなりましたよ」と言う。それは僕も同じだった。
「いいえ。韓国もゴミは多いです。日本はゴミが少ないと聞いていました。大分ではやっぱり少なかったです。横浜に来たら多かったので、何だか少し安心しました」
 安心した、と言われるとなんだか複雑な気分だが、わかる気がする。地方より都会の方がゴミが多いのは、人間の多いからゴミもいっぱい出るのだろうが、人が多いと1人当たりの責任意識が希薄になるのかもしれない。環境を守る意識はあっても、地方では自分の周り10mくらいに責任を持つのが、都会になると周囲1mくらいをきれいにしておけばいい、というような。まだ読んでいないが「世界が一つの村だったら」という本はそういうことが書かれているのだろうか。

 時間は午後2時を回っていた。白幡沼に1時間半ぐらいいたことになるか。一行は再び歩きはじめた。目指すは北浦和の今夜の宿。修道院に泊めてもらうという。仏教の僧が修道院に泊まる?そもそも宿はどうやって確保しているのか。
「韓国からいくつかの知り合いにお願いしておきます。そこからまた次の宿を紹介してもらったりしてきました。今日の修道院も紹介してもらったんです。ウォンゴンと話すとみんな仲良くなるんですよ」
 それでも場所によっては確保できないときもある。お金を出して健康ランドに泊まったり、それもなければテントを張って野宿だという。食事も自炊することが多い。
「ユンさん、困ったことってありましたか」
「それが、何もなかったんです(笑)」
 ないはずないだろう。でも困ったことと思わないのかもしれない。ユンさんのスニーカーは2足目。箱根の山越えはきつかったということぐらいしか聞けなかった。

 コースとしては住宅街を抜けて旧中仙道に出るのが、車が少ないから一番いいだろう。このあたりは自分の庭だから案内する。途中何人かがトイレを借りたいというので、ちょうど前を通るレッドボルテージに寄る。僕はそろそろ会社に戻らないといけない。修道院までの道を三瓶さんに頼んで、レッドボルテージでお別れする。
「ウォンゴン・スーニー、カムサハムニダ」
「発音、じょうずですね」
 でも、カムサハムニダとアンニョンハセヨしか知らない。スーニーとは、さっき教えてもらった言葉でウォンゴンさんを呼ぶときの敬称だ。みんなの後ろ姿を見送って、もう会えないんだろうな、と少し寂しい気持ちになっていると、一行と入れ替わりに1人の男が現れた。
 ハンス・オフト。事務所に来たのか。
「What are you doing?」
「彼らは韓国から来たんですよ。韓国と日本のワールドカップのスタジアム20ヵ所を歩いて回っているんです。日本には3月26日に来て大分から神戸まで船で行き、神戸から大阪、静岡、横浜とずっと歩いてきました。明日は埼スタに行きます」「ジーザス・クライスト!」
 へえ。本当にそう言うんだ、こういうとき。まあ、そういう人たちもいるってこってす。

 ウォンゴンさんたちは期間中も歩くのだから、当然ワールドカップは見ない。人が多いと歩きにくいから、なるべく開催日をはずして行くのだという。サッカーファンとスタンスは違うが、ワールドカップの成功を祈っていることには違いない。こんな関わり方もあるんだな。僕にとって有意義な3時間だった。

 ところで三瓶さんが彼らと知り合ったのはまったくの偶然。23日の夕方、お茶の水の本屋の地図コーナーにいたら「埼玉から柏を通って鹿島に行くにはどの地図を見たらいいですか」と話しかけられた。レッズサポーターの三瓶さんが、その3つの地名を聞き逃すはずがない。「どうしてそんなこと聞くんですか?」となって話が始まったのだ。
 三瓶さんが地図に興味がなかったら(そういう仕事をしている人なんです)。あってもその時間にその本屋にいなかったら。24日が休みでなかったら。そもそもレッズサポーターでなかったら…。
 偶然が重なって僕も彼らに会うことができた。でもその偶然を生んだのはいくつかの必然が散らばっていたからだ。彼らと三瓶さんと僕の「ワールドカップ」というものに対する思い。その必然が偶然を呼ぶのだ。
 レッズサポーター同士の出会いに似ている。


(2002年4月30日)

 月曜日が祝日のため今回の更新は火曜日になりました。連絡が遅れてすみません。なお次回も5月6日(月)が休日のため、更新は7日(火)になります。