さいたまと
ワールドカップ


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COLUMN●コラム


#162
壁のサイン

 埼玉スタジアム2002ボランティアセンター、略してVC。
 VCは文字通り、JAWOC管轄のボランティアのうち、大宮やさいたま新都心駅などスタジアム外を活動場所にする人を除いた約1600人の拠点となったところだ。
 出勤したらまずVCで受付をし、着替え、帰るときにも立ち寄る。一部のセクションを除いて昼食と夕食(セクションによっては深夜食)もここで食べる。1日2本の水またはお茶もここで支給するから、休憩もここで取る。その日の活動に必要な物品もここで渡すし、欠席や遅刻の連絡もまずここに入る。まさにボランティアのセンターだ。
 かなりの広さがあるが、テーブルを配置したときの椅子の数は約300。つまり一度に座れるのは300人が限度だ。食事や休憩は交代で取るといっても、試合の日は1500〜1600人のボランティアが埼スタで働いているのだから、センター内だけではとうてい足りない。センター前の通路にもテーブルと椅子を出す。
 僕がワールドカップの間、配置されたのは「ボランティア事務局補助」。つまりボランティアが活動するための世話をするボランティアで、このVCが勤務地だ。朝はテーブルと椅子拭きに始まり、簡易トイレと手洗いの水の管理、飲み物の冷却と支給の段取り、受付と物品の配布、ゴミの片付け、苦情(ボランティアからの)の処理、帰りの確認、ボランティアニュースの製作…。総務的な仕事がいっぱいだが、中でも大変だったのが、そして面白かったのが、ドリンクの支給だ。
 ボランティアには食事時に1本、それ以外に1本の水またはお茶が支給される。水は500ccのペットボトル、お茶は350ccの缶だ。試合日には1日3000本以上のドリンクが消費される。これを大小6箱のイベントクーラーと氷で「ドブ漬け」し、冷やすのだが、天候、試合開始時間によってこれがなかなか難しい。
 6箱のイベントクーラーに一度に入るドリンクはギチギチに詰めても500本弱。支給される氷の量は決まっている。何時に何人のボランティアが来るか正確には読めない。個人がお茶と水のどちらを所望するかも読めない。気温によって冷し具合を変えなくてはならないし、それぞれの活動場所によっても冷え具合の希望が違う…。
 ボランティアが希望する種類の、好みの温度のドリンクを、必要な量、常に用意しておくこと。簡単なことではないが、こんなに面白い仕事に出会ったのは久しぶりだ。


 「そんなこと、ワールドカップの成功に何の関係があんねん!」
 そう言われればそうだが…。
 ボランティアの合言葉は「ハート&スマイル」だった。営業用のスマイルを発揮できる人は少ないから、ボランティア個人のコンディションや気分の善し悪しが、観客への対応を左右しがちだ。自分たちの仕事ぶりが間接的にワールドカップの成功にも影響する。僕の仲間たちは、そう思って働いていた。
 実は僕個人は「ハート&スマイル」なんて、ボランティアをうまく働かせるためのきれいごとだと思っていた。汗をかきかき、シャカリキになって動き回るのがボランティアの実態で、そのハードさを覆い隠すためのキャッチコピーだろう、と。
 違った。6月2日、埼玉での初戦、イングランド−スウェーデン戦のあと、何人かの仲間が観客のボランティアへの感想を聞くためにゲートに散った。感想の多くには「素敵な笑顔をありがとう」とか「リラックスして頑張ってね」などの言葉があった。「リラックスしてね」というのは、シャカリキのボランティアを見た人の感想だろう。
 仕事を終えたボランティアにも感想を聞いた。初日なのでJAWOCの準備不足、対応の不味さを指摘する声が多かったが、それに加えて「お客さんから、笑顔で『ありがとう』と返されると疲れも吹き飛ぶ」とあった。
 そうなのか。笑顔が人を幸せな気分にするって本当なのか。ひょっとして、こんな当たり前のことに気づかなかったのは僕だけだったのかもしれない。
 次の日から僕は少し変わった(はずだ)。それまで「わがままなヤツだなあ」「ぜいたく言うなよ」と心の中で思ったことをストレートに顔に出していたはずだが、少なくとも顔からは笑顔を絶やさないようにした。清尾の笑顔なんて気持ち悪い?うるせえ!
 そうすると、あら不思議。笑顔を対応していると、心の中も「暑い中、お疲れさん」「少しでも冷たい飲み物をあげよう」と優しくなってくるじゃないか!そして、それがまた顔と言葉に出る…という具合に、僕はすっかり人が変わってしまった。そしてボランティアニュースの6月26日号(準決勝当日に配布したもの)の表紙は、活動中のボランティアのさりげない笑顔をいっぱい集めたものにした。それしか考えつかなかった。


 今までの仕事の中では体験できないことを教えてくれた、ワールドカップのボランティア活動。その本拠地、埼玉スタジアム2002ボランティアセンター。
「清尾さん、この壁をみんなの寄せ書きボードにしましょう」
 JAWOC埼玉支部のボランティア事務局スタッフの提案で、6月26日の最終日に、壁の一部を「ボランティア思い出ボード」として開放した。午後10時半、試合が終わり11時すぎに最後の活動を終えたボランティアたちが帰ってくる。たった30分間、お菓子とジュースでささやかな打ち上げをし、12時15分の埼玉高速鉄道終電に間に合うようにVCを出ていくボランティアたち。ほんの短い時間だが、壁は寄せ書きでいっぱいになった。27日の朝、祭りのあとの静けさの中でその文字を一つ一つ読んでいくうちに、僕のワールドカップが終わっていくのを実感した。
 大宮サッカー場や横浜国際競技場にブラジル代表選手のサインが残されていたそうで、話題になっている。もちろん、それは歴史に残るもの。だが、僕にとっては、このVCの寄せ書きの方がはるかに価値のある「お宝」なのだ。


(2002年7月8日)


P.S.ロナウドたちのサインは残すことが検討されているようだが、VCの壁は撤去される予定だったはず。それがどうなるのか、関係者に聞いてもよくわからない。せめてここにだけでも…。