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COLUMN●コラム


#180
不敗神話

 10月2日の万博。無理をして駆け付けたと思われるサポーターがゴール裏にいっぱいいたが、プレスたまりにも“身内”が多かった。埼玉新聞グループやradipaの有賀さんはいつもの顔触れだが、遠いアウェーにはめったに来られない浦和CATVの河合貴子さんやディレクターの田倉さん、ふだんはどちらか1人だけ来るテレビ埼玉のディレクターも出井さん、山田さんの両人が来ていた。ああ、やっぱり今日は違う、特別な試合なんだ。そんなことはわかっていたけど、そこでもまた実感したものだ。
 ところで、もう一人いるはずだった。いてほしかった。
 試合の後、彼からメールが来ていた。以下、引用。一部匿名。


 おつかれさまです。最近、ため息しかでない元浦和担当、××のAです。
 万博、ごくろうさまでした。さぞかし次のMDPでお忙しいことと存じまず。レッズの決勝進出の報を聞いて、いてもたってもいられず、メールしました。
 運動部を離れ2日。いきなり○○党というところにいきました。△△□□って思ったより老けてるな…と感じたときに、「あ…、俺、本当に異動したんだ…」って感じました。大原に行きたくなりました。
 それにしても良かったです。念願の初タイトル王手。会社でずっと結果気にしてました。正直、俺は本来なら大阪にいるはずなのに…なって思ったりもしてました。11月4日、休みならチケット買って見に行きたいなと思ってます。
 やっぱり僕の不敗神話なんてものはなかったですね。ただ、レッズが強くなった。チームとして素晴らしく成長するその過程に、ただ僕がいた。運が良かっただけでしたね…。 戻れても浦和担当にはなれないかもしれませんが、もしカムバックするときは、よろしくお願いします。いつまでもレッズを取り巻く人々を応援しています。


 ちょっと理解しにくいか。説明がてら読んでおくれ。


 Aさんと初めて会ったのは8月の何日だったか。まだ1stステージの途中だった。大原に行くと、見慣れない若い男性がいた。感じとしてはスポーツ新聞の記者だ。でも何か違うのだ。それが何かは、あとでわかった。
 「初めまして。××のAと申します。このたび浦和を担当することになりました。よろしくお願いします」
 やっぱりスポーツ新聞の記者だった。ていねいに名刺を出された。
 「レッズのマッチデー・プログラムを作ってます、清尾と申します」
 「マッチデーはいつも読んでました」
 は?最近、担当になったんでしょ。ホームゲームに来ないと見られないよ。不思議そうな顔をする僕にAさんは言った。
 「マッチデーは、試合に行くといつも買ってました」


 聞くと、Aさんは学生時代からレッズのファンで、試合にもたびたび来ていたらしい。この春卒業して、××社に就職し、新人としてあちこち配属され、8月からレッズを担当することになったという。
 「僕、この間まではあそこにいたこともありますよ」
 大原のフェンスの向こうを指さして言う。練習を見に来るほどのレッズファンだった人が、仕事でレッズの担当になる。さぞかしうれしいことだろう。そうか、初めて見たとき何か違和感を感じたのは、レッズの練習を見る目が温かいのだ。ほかの人が冷たいという訳ではないが、どうしても取材者の目になる。Aさんの目にはファンの温かさを感じた。ファンの中にも分析するような目で見ている人もいそうだが。
 「浦和担当になれたんで、思い残すことはありません。いつやめてもいいです」
 訳のわからないことを言う。大丈夫か?こやつ。



 ところで、その当時レッズはリーグの下位。そういうときにスポーツ新聞の記者はほとんど来ない。大原に来るのは地元のプレスだけ。試合の前日にもしかして何紙か記者が来るかも、というところだ。記者は1人で1チーム担当ということはなく、いくつかのチームを掛け持ちしているから、チームの順位が低く話題性に乏しければ、ふだんの練習までフォローしていられないのは当然なのだ。
 しかしAさんは毎日いた。自分の休みの日にも来ていた。仕事熱心というより浦和熱心なのだった。
 8月末のある日、Aさんが僕に言った。
 「清尾さん、広島に行くことになりました。初試合ですよ」
 これまで浦和担当といっても、試合の日はほかの会場か本社の仕事をやっていて、実際の試合に来たことはなかった。それが初めてレッズの試合を「取材で」行くという。とてもうれしそうだった。2ndステージの開幕戦だ。
 「僕が行くから勝ちますよ」


 勝った。Vゴール勝ちだったが、2ndステージの開幕戦に負けたことがないというサンフレッチェにアウェーで勝った。試合後、選手を待ちながらAさんはうれしそうに言った。
 「ほら、勝ったでしょ」
 何はともあれ勝ちはうれしい。
 9月4日のナビスコ準々決勝、柏戦も8日の仙台戦も勝った。いずれもAさんは試合に来ていた。
 「僕の不敗神話ができそうですね」
 まったく得意げである。でも事実だからしょうがない。僕としても勝つ分には何の文句もない。
 「いたから勝ち点1減ったのかもよ」
 冗談を言いながらもうれしい。
 「次の磐田には行くのか?」
 「行きますよ」
 「よし、次に勝ったら本気にしてやるよ」


 勝ってしまった。しかも勝ち点3である。まいった。Aさんの誇らしげな顔といったらなかった。ちゃんと記事も書けよ、と心配になるほどだった。


 18日の柏戦は引き分け。不敗は続く。
 「清尾さん、21日は別のところに行くことになっちゃったんですよ」
 「そりゃまずいよ。なんとかしろよ」
 こうなると僕もゲンをかつぎたくなる。だがどうにもならない。しかし21日の札幌戦も快勝だった。帰ってきてAさんに言った。
 「やっぱり不敗神話じゃなかったな」
 それから数日。28日の清水戦を前にしてAさんが言った。
 「清尾さん、短い間ですがお世話になりました。10月から・・部に異動することに
なりました」
 ええー!それは気の毒に。これからレッズの躍進を目の前にで見られるかもしれないというときに…。結局、2カ月の浦和担当だった。新聞記者には異動はつきものだし、特に新人なら当然かもしれない。記者としてのAさんが大きくなるためには、いろんなこと、特にスポーツ以外の畑も経験した方がいい。ただ、また運動部に戻って来るのはいつかわからないし、戻ってきてもサッカー担当になるか、そして浦和担当になるかどうか。
 いろんな新聞記者と出会って別れて来たが、Aさんの場合は特別だった。こんなにレッズの勝利を喜んでくれた記者はいない。そんなことを表明するのは記者としてはマイナスかもしれないが、新人のせいか、それとも居直っているのか、彼は何ら憶するこがなかった。


 10月2日の夜にう届いたメールの背景はこういうことだったのだ。
 レッズサポーターの多くは、仕事でレッズに接することのできる人をうらやましがる。それは当然だが、Aさんのように逆に気の毒な場合もマレにあるのだ。
 「正直、俺は本来なら大阪にいるはずなのに…なって思ったりもしてました」という下りを読んで涙が出たのは、同じ業界の僕だからかもしれない。
 「11月4日、休みならチケット買って見に行きたいなと思ってます」。普通に買うのは無理かもしれないよ。なんとか探しておくから休みになるよう努力しておくれ。


 彼がいるときには言わなかったが、僕はAさんの「不敗神話」はあったと思っている。彼が試合に来て負けたことがないのは事実だし、2週間前に3連敗したチームが勝ったのだから、レッズファンとしてのAさんは誇っていい。本当はお別れに何かご馳走したかったのだけど、時間がなくてできなかったから、代わりにささやかなプレゼントを考えている。


(2002年10月7日)

<追伸>
 ナビスコ決勝のチケット前売りについてはJリーグもさぞびっくりしただろう。ここ数年の決勝を見れば、去年の磐田−横浜Mが31,019人、00年の川崎F−鹿島が26,992人、99年の柏−鹿島が35,238人…。まさか販売開始30分で売り切れるとは思わなかったに違いない。僕は午前中ぐらいかな、と思っていたけど。
 一方、チーム内で手分けしてチケットを確保したため、人数より少し余ったというグループの話も聞いた。鹿島サポーターには渡したくないし、オークションにかける気もないという。買えなかった人は高いチケットに手を出す前に、試合でレッズのゴール裏に行って、熱そうなサポーターに声をかけてみるといい。
 僕にメールをくれてもいいが、もちろん11月4日にレッズを勝たせるため目いっぱい応援する人に限るぜ。