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COLUMN●コラム


#206
2年半


 元日や またテレビかよ 天皇杯


 2003年明けましておめでとうございます。
 西暦2000年は何と言ってもキリ番だし、2001年は新世紀の始まりだったし、2002年はもう2002というだけで一人歩きしていたし…。1999年から4年間は、年号を聞くだけで何か心が忙しかった。
 2003年は久しぶりに、どういう年にするかを周りに決められることなく、自分で一から積み上げていけるのかな、という気がする。さあ僕にとって、みなさんにとって、レッズにとって、どんな年になるだろうか。いや違った。どんな年にしていこうか。


 正月は毎年、石川県の両親の家で過ごしている。「レッズが天皇杯の決勝に行ったら、その年の正月は帰れないよ」と言ってあるのだが、結局帰らなかったことはない。だから天皇杯の決勝はいつもテレビで見ている。
 みんなは京都、鹿島、どっちを応援していただろうか。去年までの僕なら、特に応援はしないが鹿島に勝ってほしかったかもしれない。レッズがまだ何のタイトルも取っていないうちに、「後輩」の京都が優勝を経験するくらいなら、鹿島や磐田のクラブハウスにカップが一つ増える方がマシ、と思っていたからだ。
 だけど今年は初めから京都びいきで見ていたし、パクや黒部のゴール、曽ヶ端の退場のときはテレビの前で声も出していた。どうして?
 浪人時代、1年間京都に住んでいたから少し愛着がある?それもなくはない。
 鹿島に二冠を取らせたくなかった?それもだいぶある。


 でも最大の理由。今年、途中で監督が替わった広島、新監督1年目の市原とかだったら応援しなかっただろう。京都のエンゲルス監督がチームを率いて2年半になるからだ。
 J2降格の危機を感じて一昨年の途中から監督になったエンゲルスだが、その年残留に失敗した。しかし2001年も引き続きJ2で指揮を執り、1年でJ1復帰。そして今年はリーグで年間5位、天皇杯優勝という快挙をなし遂げた。
 レッズでいうと、ア・デモスが2000年も2001年も監督を務めたようなものだ。しかし実際にはア・デモス→斉藤和夫→横山謙三→チッタ→ピッタと同じ2年半で5人が入れ代わり、今年からオフト。
 いまさらながら、この対比を見てガク然とする。
 京都も96年にJリーグ昇格してから2000年の前半までに4年半に6人が監督の座に就いている。その中にはオフトの名もある。ある意味では、その交代の多さがJ2降格を招いたのかもしれない。エンゲルスが降格後も、復帰後も監督を辞めなかったのは、その反省からなのかどうかは知らないが。
 しかし、リーグ5位+天皇杯優勝という結果から言えば、京都はJ2で戦ったシーズンにも、J1復帰だけを目標にするのではなく、並行してチーム作りも行っていたことは容易に想像がつく。


 過ぎたことを悔やんでも仕方がない。わがレッズが、優勝できなかったから監督を10年で11回も交代したのか、監督を11回も交代したから10年間優勝できなかったのか。時間を巻き戻すことはできないからはっきりとした答えは出ない。事実を並べるしかない。99年からの3年間、毎年指揮官が途中で替わったということ。チームの基礎と呼べるものが何も残っていなかったこと。
 その事実を基に、レッズは去年ようやく、どっしりと地に足を付けてチーム作りをしていくことを始めた。それがおそらく間違っていないだろうという思いが、京都の天皇杯優勝でまた強くなった。
 10年たってやっとかよ。その悪罵はもうさんざん聞いた。
 3年後輩の京都に先に結果を出されて恥ずかしくないのか。恥ずかしい。
 京都と浦和では、サポーターからのプレッシャーが違うことも事実だが、レッズのフロントには、何を言われても2001年の暮れに決断したことを貫徹してほしい。10年間の屈辱の末につかんだ教訓はおろそかにはできない。

(2003年1月1日)