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COLUMN●コラム


#243
中断期間にする話・その1〜再会


 大学1年生のとき、僕は保谷(ほうや)に住んでいた。市としては今は西東京市というのか。西武池袋線の保谷駅と西武新宿線の東伏見駅の中間からやや保谷寄りのアパートが住まいだった。
 大学2年生になって、京王線の下高井戸に引っ越した。特急が止まるのでふだんは明大前駅を利用していたけど、アパートから徒歩5分の下高井戸駅が最寄だった。
 ここまで読んで、何の話か想像がついた人いますか?いたら、あなたは相当なラーメン通。


 1年生のころ、アパートにはほとんど寝に帰るだけだった。もっと正確に言うとたまにアパートに帰って寝た。週に3回、宿直警備のアルバイトをしており、週に3〜4回は友達の家に転がり込んだり徹夜で飲んだりしていたから、アパートには月に1〜2回帰るだけだった。ひどいときには1ヵ月くらい帰らないときもあったから、たぶん1年間でのべ30日くらいしかアパートで寝なかったのでないか。
 だから保谷に思い出はほとんどない。覚えているのは、駅からアパートまでの雑木林に囲まれた1本道(徒歩15分くらいだった)と、たまに下着とボタンダウンを買った西友と、開いているときはたいてい入った駅前のラーメン屋だ。


 石川県生まれの僕は、うどんもラーメンも醤油過多なのがあまり好きではなかった。かと言って温厚な石川県人は「こんな真っ黒なつゆ飲めるかい!」とお約束のように怒るほど純粋関西派でもない。ただ東京に出てきて、どうしてラーメンの味が醤油と塩と味噌の3種類しかないんだろうと、寂しい気がしていた。
 その保谷のラーメンは一つだけの味で、醤油系ではあるが醤油くさくはない。たぶん魚系の和風だしで、麺はまっすぐでねっとりしていた。うっかり大盛りを頼むと食べ切るのに苦労するほど量が多い。麺の上に乗ったゆずの皮の細切りがあっさり感を助けている。僕が東京に出てくるまで慣れ親しんだ味とはまったく違うが、好きだった。


 その店には夜行った記憶がない。僕がたまにアパートに帰るときは終電近くだったから、ラーメン屋は閉まっていたはずだ。アパートに帰った翌日の昼、出がけに寄るのだ。だいたいアパートの周りには何もなかったから、アパートから何かをしに出てまたアパートに戻る、ということがない。唯一の記憶は風疹にかかったとき痒くてたまらず、麻酔代わりにしようと自販機の日本酒ワンカップを買いに出たことぐらいだ。買い物や食事はすべて行き帰りのついでに駅で済ませた。
 風呂も、駅前の銭湯に入ってからアパートに帰った。ただし夜の11時までに駅に着いたときだけだ。確か保谷に住み始めて1ヵ月ぐらいは入浴という習慣を忘れていて、久しぶりに行った銭湯で頭を洗ったら最初のシャンプーで泡が立たず、さらにお湯をかけたら隣で洗っていた人がびっくりして腰を引いたぐらい黒い液体が流れたのを覚えている。それ以来、僕はバスタオルなどを持ち歩き、風呂にはいる機会をなるべく逃がさないようにした。


 たまに自分のアパートに帰った翌日、駅前でラーメンを食べて大学に(あるいは遊びに)行く、というのが、保谷での唯一の生活習慣と呼べるものだった。実際、そろそろアパートに帰ろうかな、というときは、「ラーメンも食べたいし」という思いも少しあったのだ。
 ところで洗濯とか大学の授業の用意とか、どうしてたんだ?そんなこと聞かないように。


 そもそもあまりアパートに帰らなかった理由は大きく2つ。
 1・アパートが駅から遠いし汚い。部屋の中が汚いのは僕のせいだが、そもそも建物全体が老朽化していた。1万円/月という安さではあったが。
 2・友人は、国鉄(当時)の御茶ノ水駅から新宿経由で帰る者が多く、飲むときはほとんど新宿。新宿からの終電の時間まで(だいたい12時〜12時半)飲んでいると、池袋回りの僕は終電に間に合わない。じゃあ先に帰れば?とんでもない。みんなで飲んでいるときに先に帰るなどという選択肢は僕にはなかった。


 じゃあ何でそもそもそんなところのアパートを借りたんだ、という話は長くなるし(もう十分長いが)本題に関係ないから割愛。僕と飲む機会でもあったら聞いておくれ。


 という理由で2年生になるとき世田谷に引っ越した。さっきも書いたけど、下高井戸の方がやや近いのだが不動産屋的には「明大前」というらしい。新宿から京王線で10分前後、駅から5〜7分。閑静な住宅街のきれいなアパートで、渋谷、下北沢、吉祥寺、三軒茶屋などへも至便。駅まで出なくても銭湯や商店もそろっている。何よりも、駅からアパートまでの道沿いに女子高と女子大の寮があったのが大ヒットだった。住んでから発見したのだけど。
 相変わらず泊まりのバイトは続けていたけど、僕の帰宅率は飛躍的に増大した。家賃も高かったから帰らないと損?という気もあった。ただ、ふと保谷のラーメンが恋しくなることがあった。そうは言っても電車賃を使ってわざわざ食べに行くことはしなかった。


 ところがある日、下高井戸駅の方に行くと、新しいラーメン屋ができている。暖簾に書かれた名前と字体に記憶があった。入った。味にも記憶があった。
 「俺を追って、ここまで来てくれたのか‥」とは思わなかったけど、この偶然に感謝したのは事実だ。保谷と違って世田谷区松原には食べ物屋はいっぱいあったから(注・これは昭和51〜52年のお話です。現在の保谷駅近辺のことは知りません)、以前ほど頻繁には行かなかったが、当時の僕の食事の選択肢の一つになった。


 浦和に住んで22年。そのラーメンは食べていない。数年前からのラーメンブームで、その店の名前を耳にするようになった。あれ、あの店なのか?池袋が本店と聞いた。つけ麺がメーン?そうじゃなかったなあ。
 インターネットで調べてみた。その店が出てくるサイトは山ほどあった。それによると、いま超有名になっているお店と僕が20数年前に行ったお店は、やっぱり違うようだが、大元の系統は同じ。そういう感じらしい。味や麺の具合は文字で見る限り似ているようだ。ただ池袋まで行くのはちょっとなあ、と思っていた。すごく並ぶらしいし。


 そしたら今年の4月、高田馬場にあるMDPのデザインをやってくれている会社に行ったとき、そのビルの1階の店にその名前の暖簾がかかっているのを見た。
 「あら!これってあの店か?」
 どうやら池袋の超有名店の系列らしい。そうか、ここなら用事で来たときに入ってみようかな、と思った。でも実は通常の仕事はメールやFAXのやりとりで済んでしまい、僕がデザイン会社に行くのは年に3〜4回だ。だから結局まだ食べていない。
 ところが先日、(旧)浦和市内の県庁の近くに、その系列店がオープンした。
 「これは、ひょっとして俺にどうしても食えっていってんのか?」
 僕の職場(大原じゃないよ)から10分もかからない。職場の新しいもの好きの社員がさっそく行って、込み具合を教えてくれた。ハンパじゃなかったらしい。なるほど、この間、僕が正午に大原に行くため車でその店の前を通ったとき‥だから11時40分ごろだと思うが、もう店の前に10人以上の行列ができていた。


 その混雑に恐れをなして、まだその店には行っていない。でも保谷から下高井戸に引っ越したときに、「付いて来てくれた」(何を偉そうな)。そして最近ふたたび店の名前を聞いて、懐かしくはあるものの池袋まで行くのを躊躇していると、仕事先のビルにオープンして「ほら、来いよ」と誘ってくれた。そこにもなかなか行けないでいると、今度は地元の浦和にまで出店。ここまで来られると、運命的なものを信じる僕としては、多少の混雑など気にせず行くしかないだろう。今はMDP特別号の準備でリーグ戦中より忙しいけど、これが終わったら必ず再会しようと思っている。


 おい。今日の話、レッズかサッカーと関係あんのか?
 だから、「レッズもお客が押し寄せてくるからと言って気を抜いちゃいけないよ」でもいいし、「試合も行ける時に行っておかないと、いつ行きたくても行けないようになるかわからないよ」とか、「流れに逆らっちゃいけないよ」でも‥。いいじゃん!中断期間なんだから、ちょっと脇にそれても。どうせいつもだって、「ど真ん中」とは言えないし。


 まあ店の名前からして、試合の日に食べた方がいいかな、というのはあるな。


(2003年5月29日)


<追伸>
  福田正博引退試合MDPのメッセージの件、前回の追伸で「応募規定守ってね」と書いたけど、レッズのHPを見直したら、その応募規定にイラストの募集と、名前・住所などの部分が抜けていた。完全な僕のミス。道理で名前すらないメールが来ると思った。全部にお詫びと再送願いを返信しておいた。
 「福田正博の9シーン」では「悩んでいるうちに投票しませんでした」という人もいたけど、今度も「何を書こうか迷っているうちに送れませんでした」と、ならないようにね。