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COLUMN●コラム


#248
歴史+追伸


 土曜日は北澤豪選手の引退試合を見に国立競技場へ行った。福田のTESTIMONIALから6日しかたっていないので、どうしても比べてしまうかな、と思っていたが、行ってみると全然そんな気分にはならなかった。6月15日は6月15日。北澤の引退試合は北澤の引退試合。堅苦しく見ると、突っ込みどころいっぱいだったが、それはそれでヴェルディらしい。代表(オフト)では福田とポジション争いのライバルだったし、レッズ戦ではたびたび「いい時間帯」で決めてくれたから、北澤豪は僕にとって嫌な選手であることが多かったけど、サッカー選手としては素晴らしかったし、あの汗かきぶりは、もしレッズの選手だったら大人気を博していただろう。あ、いや、レッズの選手じゃなくても大人気だったけど。


 ただ一つだけ6月15日と比べてしまったことがある。
 もともとヴェルディって「サポーター」のイメージが薄い。これは勝手な思い込みで、僕の知識が不足しているせいなんだろうけど。でも、ほかのチームって、サポーターのイメージがだいたい浮かぶんだけど、ヴェルディのサポーターと聞くと、レプリカ着てバンダナ巻いてフェイスペインティングしてチアホーン持ってる可愛い女の子、が真っ先に浮かんでくる。馬鹿にしている訳じゃないよ。92年、93年はJリーグと言えば読売ヴェルディ、だからサポーターと言えば代表して緑レプリカ、そういう時代があったんだ。たしか、あのころのゴジラ映画にも電車に乗って応援に行くところらしいヴェルディサポが出てきたような記憶がある。だからヴェルディサポーターと言えば、ヴィジュアル的にはそれが出てきてしまう。そしてサウンド的にはサンバ。
 ピッチでは、憎たらしいくらい上手な個人技をベースにした組織プレーでレッズを翻弄する姿を見せられ、そして耳にはサンバのリズム。これが僕の体に染み込んでいる大嫌いな(強すぎる)ヴェルディだ。
 ここ数年、ヴェルディの試合でサンバのリズムを耳にしない。いや、流れていても、かつてのような強烈な印象がないから記憶にないだけかもしれない。ホームタウンを移転してからなのか、ラモス、カズといった読売時代からのカリスマ的存在が徐々にチームを離れていったころからなのか、はっきりしなくて申し訳ないが、このところ公式戦で当たったときに、物足りなさを感じていたのは、あのサンバが体にぶつかってこないからだ。
 6月21日、ちょっと遅れていったのだが、国立に向かう途中から、その音が聞こえていた。「カミーザ・ドーゼ」。プロのサンバ集団として読売時代からヴェルディを支えていたグループの名前を思い出した。会ったことはないが、もちろんその名前も僕は大嫌いだった。
僕はサウンドの違いを聞き分けられるほど敏感な耳を持っていないが、21日の国立で聞いた音には懐かしい「憎たらしさ」があった。引退する北澤のため。そして集まった読売時代の「猛者」のために、カミーザが復活したのだろうか。


 そんなことを考えながら、最後のセレモニーで場内を一周する北澤を見ていて思った。
 「この中に、11年間ヴェルディを応援してきたサポーターって何人いるんだろうか‥」。いや、いるには違いない。その数が多いとか少ないとかは問題じゃない。
 だけど、受け継がれているんだろうか、と思ってしまったのだ。


 レッズだって、6月15日に集まった埼スタの5万人のうち、92年からのサポーターはそんなには多くないはずだ。「ほりほりほりゴール」とか「オオーオオーつちだひさし」というコールに唱和する声がびっくりするほど少なかったことからもそれはわかる。しかし個人は続いていなくても、浦和レッズのサポーターとして、そのスピリットは脈々と続いている。10年前のこと、5年前のことを知らないサポーターがどれだけ増えても、レッズサポーターの概念は変わっていない(と僕は感じている)。
 たとえばレッズの応援のすべてを作り出したと言っていい「クレイジーコールズ」は95年秋に解散したが、彼らの応援のコンセプトまでは無くなりはしなかった。93年からの2年半で、すでに多くのサポーターの中に応援のスピリットが染み付いてしまっていたからだ。応援の中心メンバーが来なくなったことで求心力が薄まり、一時的にパワーが弱まりはしたが、その後形を変え、さらに広がりを見せて現在に至っている。
 たまに「クレイジーコールズ」→「URAWA BOYS」という指摘を見るが、それは正確ではない。クレイジーコールズのある部分はURAWA BOYSが流れを汲んでいるが、違う部分は「ロッソ・ビアンコ・ネロ」(大掛かりなビジュアル的応援を企画、実行しているグループ)が発展させ、ある部分は西側のグループがその役割を担い、他の部分は別のグループが受け継いでいる。そして、それぞれが大きな役割を果たしている。クレイジーコールズがやろうとしたことはそれだけ大きなことだった、ということなんだろう。「クレイジーコールズ」とはグループの名前であると同時に思想でもあったということだ。
 
 6月15日の「クレイジーコールズの復活」は、レッズ10年の歴史の区切りの日に、現在広く浸透している思想の提唱者が久しぶりに姿を見せ、その思想の「原点」(思想だから「原典」と言うべきか?)を披露したものだった。だからスタジアムには何の違和感もなかったと思う。21日の「カミーザ・ドーゼ」(だと思う)は違った。間違いなくヴェルディの歴史の重要な部分ではあったが、その思想、この場合「リズム」は今に受け継がれていないのではないか。
 チームの歴史に区切りをつけると同時にそのスピリットを受け継ぎ、新しい歴史を作っていくことをピッチでもスタンドでも決意した6月15日。
 かつてチームの歴史を作ったサムライが1人去る。そのことだけをピッチでもスタンドでも表現した6月21日。
 そういう違いは感じた。


(2003年6月23日)


<追伸>
  上に書いたヴェルディサポーターが出てくる怪獣映画、ゴジラじゃなくてガメラだった。たじまんずさん、ご指摘ありがとう。こっそり直しておこうかと思ったけど、戒めのために残しておこう。そうそう思い出した。ギャオスに電車が襲われて食べられちまうんだ。ザマミロ(失礼)と思った記憶もよみがえってきた。金子修介監督って、実はアンチヴェルディだったのか?