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#302
証文


 クラブからMDP増刊号(EXTRA)の配布がリリースされた。
 増刊号が初めて出たのは94年の暮れ。Jリーグで2年連続年間最下位となり、サポーターの不満が爆発した後だった。次に発行したのは2000年年頭。J2降格というショックとサポーターの憤りをクラブがしっかり受け止め、かつ1年でJ1に復帰するという意気込みをまとめたものだった。日刊スポーツの桐越記者が「サポーターへのおわび本ですか?違う?じゃ決意表明書?それでいきましょう」と、ピッタリ性格を言い表してくれた。
 成績がムチャクチャ悪いシーズンの翌年はMDP増刊号が出る、なんてヘンでしょ。毎年出そうよ。
 2000年の増刊号を出すときに僕はそう提案して、毎年のリーグ開幕前に去年の総括と今年の方針をまとめたものを出すことになった。2000年、2001年はレッズフェスタで配っていたが、それだと締め切りが早すぎ、肝心の方針や抱負が十分取材できないので、発行を約1カ月遅らせ、ちょうどその頃開催される「浦和レッズを語る会」の参考資料にもしてもらおうということになった。だから今では「語る会」の約1週間前にMDP増刊号が出る。今年は3月2日が「語る会」で、2月25日が増刊号発行日だ。
 レッドボルテージでの配布(1人2冊まで)と送料(140円)自己負担の郵送取り寄せ。郵送申し込みの締め切りが19日必着と早いのは、それで予想外にガバッと申し込みが来たら印刷部数を増やさないといけないから、その対応ができる期間を見ているから。詳しくはクラブのホームページを見ておくれ。
 増刊号は通算6回目。「シーズン前の決意表明」という形になってからは5回目ということになる。これは「浦和レッズシーズン200×を語る会」も同じ。「語る会」は2ndステージ前にもやっているから延べ回数は多いけど。

 もう5年目か。

 新しいサポーターには実感が湧かないかもしれないけど、MDP増刊号や「語る会」の存在は、レッズが2000シーズン、J2にいたという証明でもあるのだ。あのショックがあったから、もっとクラブの考えを直接サポーターに知ってもらおうという動きが強まった。「サポーターは寄らしむべし、知らしむべからず」と批判されがちだったレッズが、情報を、というより思いを伝えなければならない、と方針を転換したのがあの年だったのだ。
 あの時代があったから今がある、なんて言い方をするのは嫌だ。しかし、テレビドラマみたいに一気に変わった訳ではないにしろ、あのJ2降格が浦和レッズの変化のきっかけになったのは事実だ。結果として成功はしなかったが、01年は総ブラジル体制という思い切った
転換があったし、トゥット、エメルソンという他のJチームで活躍したFWを連れてくるという、それまでのレッズだったら絶対にやりそうもないことをやった。02年は初めて「今季は優勝できなくても仕方がないが、3年後には常勝チームを作る」という「回り道でも確実な」方針が示された。03年は都築、山瀬という、日本人の代表クラスを引っ張ってきた。そして、初タイトル獲得、という結果を一つ出しておいて、またまた今回の大補強となった。都築、山瀬も代表クラスとは言え、当事は監督に合わなかったりケガをしていたりしてレギュラーバリバリではなかったが、アレックス、闘莉王はバリバリである。

 止まっている重い球を転がすには大きな力がいる。最初はゆっくりした転がり方しかしない。しかし動き出せばだんだん速くするのは容易だ。逆になかなか止まらなくなる。  2003年から2004年にかけて、優勝監督交代、大物選手獲得、クラブハウス誕生など(他にも与野八王子グラウンドの完成とかハートフルクラブ活動開始とか)大きな動きのあった浦和レッズだが、それは最初の小さな動きが加速していったもの、と僕は思う。そのきっかけがJ2に降格したときの「レッズは変わらなければならない」という思いだったのだ、と。

 MDP増刊号は16ページと通常より薄いからあまりたくさんのことは載せられない(といっても広告がないから、読むところは思ったより少なくない)。代表、GM、監督のコメントと選手の抱負が主な内容だ。ページは薄いが、この冊子は期限1年の大事な証文だ。「ああする」「こうする」「こうしたい」という、クラブ首脳陣と監督がサポーターとホームタウンに約束する宣言書であり、文字としていつまでも残るものなのだ。今季が終わるとき、この証文を読み返すのが楽しみだ。

(2004年2月16日)


<追伸>
  2年前の証文を読み返してみた。オフトの言葉のうち「速くボールを扱い、速くサポートにいく、こちらからアクションを起こす」というところについては実現できたのかな、と思う。まあ「こちらからアクションを起こす」というのは「相手にアクションを起こさせない」くらいだったかかもしれないが。
 もう一つ、期限が1年でない証文が残っている。「継続性」「私がクラブを離れた後でも、レッズが繁栄していけるような準備をする」という言葉だ。僕がこの取材をしたとき、内心(じゃあ、その成果はあなたと確認し合えないな)と思ったものだが、予想より早く「オフト後」となった今、その証文が生きているのか反故(ホゴ)になったのか、それも今年見ていたいと思う。