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#305
卒業


 「くじけそうになりかけても」
 って何だよ!
 「くじけそうになっても」、あるいは「くじけかけても」。どっちかだろ!
 「くじけそうになりかけても」ってのは、くじける二歩も三歩も手前で、そんなの誰だってふだんからそういう状態だろ。ちょっと日本語おかしくないか?「桜並木の道の上で」ってのも、なんかまだるっこしい言い方だし。
 でも、卒業シーズンの今、これからあちこちで聞くんだろうな、森山直太朗の「さくら」。


 5日の金曜日、うちの会社から一番近いところにある高校、浦和商業高校定時制の卒業式に立ち会った。息子が通っている関係で、記録写真を撮ってほしいと頼まれたのだ。別に僕はPTAの役員をしている訳でも何でもないのだが、去年の7月16日、学校行事である年1回の「全校芸術鑑賞会」でナビスコの神戸戦(啓太のゴールで勝って、予選突破を決めた試合)に大勢来てもらったことがあり、そのときから素性がバレてしまった。というか、やはり先生方は僕のことをカメラマンだと勘違いしておられたようだが。


 「そんなに上手じゃないですよ」と断りながら、言われた午後6時に出かけた。で、終わったのは午後10時過ぎだった。
 4時間!サッカー2試合分!
 途中で長い休憩があったりとか、誰かの記念講演があったりした訳じゃない。段取りも、そんなに悪くなかったと思う。ほとんど正味で4時間かかったのだ。去年は9時までだったと聞いていたのである程度予想はしていたが、途中で「UAE戦に間に合わないかもしれない」と覚悟した(結局、ナマでは見られなかったのだけど)。


 卒業式といえば、1975年の春以来だった(大学の卒業式には出ていない)。もっともスポーツ少年団の「卒団式」なら、10年くらい前まで毎年あちこちにお呼ばれしていたが。
 卒業式というのは学校の行事の中で、やはり一番感動的なものだろう。特に本人とその保護者にとっては。だからある程度長い時間かかっても平気なのだ。しかしそれ以外の者にとっては、そこで行なわれることは退屈なことが多い。だって、卒業生の名前を呼ぶところ、代表に卒業証書を渡すところ以外は、ほとんど関係者のあいさつだから。その多くは固有名詞と日付を替えれば、いつ、どこの学校でも使えるようなものばかりだ。卒業生の多くはおそらく、あいさつの間に自分の数年間を振り返ったり、これからのことに思いを馳せたりしているから退屈はしないで済むのだ。少なくとも僕はそうだった。


 そんな、あいさつ中心の卒業式が4時間も続いたら、さすがにカンベンしてほしくなっただろうが、浦商定時制の卒業式はそうではなかった。必要以上に美化したくないから、まず覚えているままに書く。
 卒業生は25人(1人欠席があった)。その1人1人に担任の先生が4年間を振り返る2分くらいのメッセージを送り、証書を手渡す。 続いて在校生、教職員、親。卒業生と関わるすべての人たちから、それぞれ贈り物があった。言葉によるメッセージを交えて、スライドやビデオで卒業生を祝福する。
 そして卒業生は卒業生で、いろんな方法で自分たちの4年間を表現し、感謝の気持ちを表した。ハンドベル、合唱、キャンドルサービス、スライドや作文。
 最後に在校生から卒業生1人1人にアルバムが手渡され、そして花のプレゼントがあった。


 運営はほとんどが生徒の手によるものだから、テキパキとはいかなかった。これとこれを一緒にやればもっと早く終わるのに、と後から思うところもあった。たとえば在校生から卒業生に贈られたアルバムと花束。一緒に渡せばいいのに。卒業生による森山直太朗の「さくら」。ハンドベルと合唱の両方はやらなくてもいいのに…。
 効率、スケジュール、全体、規律。すべて社会にとっては大事なことだ。ただ、それを優先するあまり、切り捨てられがちなもの多い。手間ひま、個人、自由…。こういうものがベースになければ、社会は硬直化し、そこからはみ出ざるをえない人が増えていく。浦商定時制の卒業式にはベースに「思い」と「個人」があった。
 そこでは卒業生が、名目だけではなく完全に主人公だった。先生がかける言葉は「おめでとう」ではなく「ありがとう」だった。みんなが主人公に注目しているから規律があった。4時間のあいだ、私語はほとんどなかった。
 そして10時半。会社に戻って思ったことは、浦商の定時制では、ふだんから個人が大切にされているんだろうなあ、ということだ。それでなくては、卒業式だけあんなふうになるはずがない。1学年40人という少数だからできることかもしれないが、少数でありさえすればできるというものでもないだろう。
 個人を大切にする。忙しかったり、立場が管理する側になったりすると忘れてしまいがちなことだが、人間社会のベースはそこになければならない、と再認識した。MDPの仕事をする上で、あらためて肝に銘じようと思った。


 人は誰でもいつでも、くじけそうになりかけてる。それがさらに進んで、くじけかけたり、くじけそうになったとき、自分を大切にしてくれる周りの存在があれば、くじけずに踏みとどまれるのではないか。あるいはくじけてもまた立ち上がれるのではないか。
 これから森山直太朗の「さくら」を聞くたびに浦商定時制の卒業式を思い出すだろう。実は、あの歌、大好きなのだ。

(2004年3月8日)


<追伸1>
 都内のある高校では、卒業式のゲストに有名タレントを招いたらしいね。まあ、それも1日限りの思い出作りににはなるだろうが…。


<追伸2>
  埼玉県教育委員会は「21世紀いきいきハイスクール構想」の中で定時制高校の統廃合を打ち出しており、浦商定時制は実質的に廃校にする方針らしい。ちなみに浦商定時制では、昨年度に続き2004年度も募集40人に対し41人の入学申し込みがあった。これは県内の定時制ではダントツの数字なんだけど…。