image
 
●INDEX
image
●バックナンバー
●ご意見・ご感想
COLUMN●コラム

image

#319
油揚げ


 5月9日のリーグ戦に続いて16日の日曜日、サテライトリーグの取材で新潟に行ってきた。9日はサポーターのバスに往復とも乗せてもらったが、今回はマイカーで。試合会場の新発田市までは4時間足らず。試合は午後2時から。で、家を出たのは6時半。ちょっと早すぎるのは、途中寄り道するところがあったから。
 新潟へ行くついでにうまいものを食べる、というとたいていの人は魚と酒、へぎそば、土産は笹かまぼこに笹餅、というところか。それも否定しないが、僕は新潟へ行くとき無理をしても寄っていきたい場所と、買って帰りたいものがほかにある。
 場所は栃尾。モノは油揚げ。


 栃尾市を知っている人は少ないだろう。新潟県の中央部、四方を山に囲まれた人口2万数千人の市だ。
 そこの自慢は、全国銘水百選の一つ「杜々の森(とどのもり)」の湧水。そして油揚げ。
 地元では「あぶらげ」と発音するだけでなく文字にも書かれている。なぜ、油揚げなんぞが名物なのかというと、でかいからだ。タテ20cm以上×ヨコ7cm前後×厚さ約3cmのジャンボ油揚げだ。
 こういうと「じゃあ、厚揚げじゃん」と言われるが、そうではない。厚揚げは、豆腐を崩さずに煮たり焼いたりするために揚げて周りを固めた食べ物、という気がする。中は豆腐のままだ。我々が普通に知っている油揚げと豆腐の間に置けば、厚揚げはどちらかと言うと豆腐に近い。
 栃尾の油揚げは完全に油揚げだ。中身は空気の穴がいっぱい開いている。
 普通の油揚げを食べるときは焼くか煮るかだが、薄い油揚げは焼くと堅くなりやすいし、煮るとベタっとしてしまう。油揚げ本来のおいしさよりも煮た出汁のおいしさ、かけた醤油や薬味の味が勝ってしまう。
 栃尾の油揚げは、3cmという厚さだから、油揚げ本来の味がちゃんと残っている。揚げたてをザクッと切って鰹節、刻みねぎ、醤油をかけて食べるのがベストだが、冷めても焼き直せばいい。ただ中まで熱が通るのに時間がかかるから、初めに電子レンジで温めてから表面を軽く焼くのがいいようだ。もちろん煮付けてもいい。厚揚げと違って、出汁の味が中までしみる。ソフトだから1枚らくらくと食べられる。


 「栃尾揚げ」とか「ジャンボ油揚げ」という名で、最近ようやく知られてきたようだが、まだまだ有名とまではいかない。たまに浦和のデパートで新潟の物産展をやるときに出品されるが、通常はまず手に入らないから、新潟に自分の運転する車で行くときが、出来立てを食べる数少ないチャンスなのだ。
 栃尾市内の有名な店もいくつか知っているが、16日は時間もなかったので、道の駅とそのそばの店の2軒で食べて土産用に買って、急いで新発田市に向かった。ちなみに市内には20軒ぐらいのお店があり、豆腐などと一緒に製造販売している。立派な店構えのところもあるし、薄暗いところもある。店によっては中に食堂があり、「油揚げ定食」を出すところもある。栃尾にはおそらく豆腐だけを作っているお店は存在しないのではないか。値段は1枚130円〜200円と店によって違う。また味噌漬けや唐辛子入りのものを作っているところもある。全国発送もしてくれるようだから、興味のある人は栃尾市のホームページで調べてみるといい。オールスターで新潟に行く予定の人は寄ってみてもいいかも。その場で食べるなら「R290道の駅」が便利かな。
 アクセスは、高速だと小出ICか、長岡ICか、三条燕ICか。どこからも近いのではなく、どこからも遠いのだ。最寄り駅は長岡だが、そこからバスで50分かかる。他人が運転する車や試合の応援バスで「ちょっと寄る」程度ではないから、自分で行くときでないと寄れないのだ。そんなところを、どうして僕が知っているのか。出身が石川県というのはまったく関係がない。


 「所沢サマースクール」は今でもやっているはずだ。市内の小学生を夏休みの一定期間、親元を離れて生活させる、というイベント。そんなに珍しいものではない。僕が所沢サマースクールに関わり出したのは1987年だったと思う。その前年から少年スポーツのいろいろな団体に顔を出す中で知り合った一人、所沢の早川良一さんという人に誘われたのだった。
 「所沢市の小学6年生約200人を一週間、新潟の山の中の廃校跡地で暮らさせる。毎日、好きなことをして遊ばせるが、テレビや漫画はなし。面倒を見るのは市内の高校生ボランティア約40人。教育委員会の後援は受けているが行政の催しじゃない。主催は、そういうことが好きな人が集まった実行委員会。どう?一緒に来て埼玉新聞に載せない?親は子どもが心配だからきっと様子を知りたくて新聞とるよ」
 当時の僕は「新聞とるよ」という言葉に弱かった。デジカメやインターネットが普及する前の時代で、現地から写真や記事を送るのに不安はあったが、乗った。昔から、何でもすぐに乗ってしまうのが僕のいいところだ(いいところだってば!)。たしか現地に行っている一週間を含めて約1ヵ月間、週に2回か3回の掲載だったと思う。僕一人では難しかったので、他の記者の応援もお願いして、何とか実現した。たしかその翌年も、翌々年も埼玉新聞に連載した。
 会場は栃尾市内の、本当に山のてっぺんにある「旧栃尾小学校」。子どもが少なくなって廃校になったが、企業の保養施設や、こういう林間学校的な目的で使用してくれる可能性を残して、市がすぐに取り壊さずにいたものだ。2階建ての木造校舎、グラウンドもプールもある。「生活」よりも「遊び」が目的だから、自炊はしない。給食の施設が残っているから地元の人を雇って三度の食事を作ってもらう。教室が子どもたちの家となり、貸し布団を利用してそこで寝る。毎晩、翌日の遊びのメニューが廊下に張り出され、子どもたちは自分のやりたいコースに名前を書く。その人数に合わせて高校生のリーダーが割り振られ、打ち合わせをする。僕はどこかのコースについていき、写真を撮り、子どもたちや高校生の感想を聞く。夜、子どもたちと高校生が寝てから実行委員の反省会がある。油揚げはそこで教えられた。ちなみに反省会と言っても、
期間中は大人も禁酒だ。


 3年目ぐらいから、実行委員の名簿に僕の名前が入りだした。おいおい。
 「いいじゃん。もう実行委員みたいなものなんだから。好きなことやってればいいから」。
 早川さんはスポーツの指導をしているときは結構厳しいけれど、性格はアバウトな人だ。料亭も経営していたのだから百%アバウトではなかったはずだが。
 僕は埼玉新聞に同時進行の記事を載せるのをやめた。どうせ参加者全員のことは載せられないし、落ち着いてからもっと掘り下げて書きたかったのだ。じゃあ期間中、何をしたか。現地で新聞を出した。昨日こんな遊びをした。こんなハプニングがあった。こんな冒険をした。失敗した。200人の小学生と40人の高校生がそういう情報を共有し、思い出として持ち帰るためにB4判裏表のミニ新聞を毎日出したのだ。高校生に記事を書いてもらい、書けない子からは話を聞いて僕が書いた。それを夜中に清書し、朝一番で栃尾市役所で印刷して、みんなに配った。それがサマースクールの目的にどれだけ役立ったのかはわからない。でも、僕ができることと言えばそんなことぐらいだったのだ。
 Jリーグが始まってから、所沢サマースクールには、ほとんどいけなくなった。本当にレッズのこと以外は何もできない日々だったから。それでも毎回「実行委員会のお知らせ」は郵送してくれていた。本番の日程が決まると事務局から「とりあえずスケジュールだけでも」と連絡してくれた。たしか93年か94年には一度顔を出した覚えがある。そのときは何も手伝いらしいこともできず、差し入れをし、写真を少し撮ったくらいだった。夜はやっぱり油揚げをごちそうになった。


 今も形を少し変えながら所沢サマースクールは続いている。一昨年の7月、初めてサテライトリーグが新潟であったときも、栃尾に寄り油揚げ屋さんに行ったのだが、そのとき店の壁に1枚の写真が張ってあった。「!」この中田英寿に似た顔はサマースクール事務局の青木さんじゃないか!店の人に聞くと、前年、油揚げ作りを見学させてくれと来た子どもの集団があったという。そこが後で送ってきたものらしい。
 サマースクールにとって僕は、ほんのいっとき顔を出していた変なヤツに過ぎないかもしれないが、僕にとってのサマースクールは、自分の仕事観を変えてしまうような貴重なイベントだった。
 物事を大雑把に考えることが、ときに大切なこともそこで教わった。利害関係のない人づきあいの楽しさも知った。難しいことでもやってみることの大切さを知った。そして仕事で関わりだしたはずのことに、いつかズブズブと入り込んでしまう快感を覚えた。
 そういうことを学んだのは、僕を引きこんだ早川さんからだった。僕より10歳年上で、かなり波乱万丈の人生を送ってきた人。「何とかなるよ」「何とかするよ」が口癖だった早川さんに接しているうちに、固い一方だった僕の頭はだんだん柔らかくなっていったのだと思う。
 だから関越トンネルを抜けると栃尾を意識し、サマースクールと油揚げに思いを馳せ、早川さんの顔が目に浮かぶのだった。


 17日の月曜日、事務局の青木さんから電話があり、早川さんが旅行先の中国で16日に亡くなったことを知った。

(2004年5月19日)


<追伸>
 16日は、浦和CATVの田倉さんから車に乗らないかと誘われていたし、疲れてもいたから自分で運転するのはややおっくうだったのだが、やっぱり油揚げの魅力に負けて自分の車で行った。そうでなければ、この日、早川さんとの思い出を頭に浮かべることはなかっただろう。本当にお世話になりました、早川さん。さようなら。