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COLUMN●コラム

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#321


 コンビニには1日数回入る。もちろん物を買うためだが、最近の流行を知識として仕入れる目的もある。だから忙しいときを除いて、だいたい店内を一回りする。主にチェックするのはしょっちゅう新製品が出るもの、本、500ミリのペットボトル、カップめん、そして「食玩」だ。
 「駄菓子についているおまけのおもちゃ」のはずだった食玩が、いつの間にか主従逆転したことについては面倒だから触れない。最近は多彩なジャンルのフィギュアというかジオラマというか、「こんなの誰が買うねん!」と思うものまである。
 と言いながら、先日あるものを買ってしまった。食玩は箱を見るだけでほとんど買わない僕だが、つい買ってしまった。何だと思う。答えは来週…。


 …じゃ、怒られるな。別にもったいぶることはない。買ったのは「青春のオールナイト・ニッポン」と題するシリーズ。モノは30年前のラジオのフィギュアだ。
 僕が初めて深夜放送を聴いたのは中学3年生のころ。両親が家にいなくて(事情はこの際省略)、母親の実家に預けられていたときに2歳上の従兄弟に教えられた。最初はたしか毎日放送の「ヤングタウン」とか「チャチャヤング」だった。杉田二郎、西岡たかし、眉村卓らを聴いていたが、だんだん流行ってくると、友達の間では「パック・イン・ミュージック」や「オールナイト・ニッポン」が主流になっていった。そうなると学校で話が合わないから僕もそうなる。
 だから、「オールナイト・ニッポン」と見て、つい買ってしまったのだ。といってもラジオのフィギュアが欲しかった訳ではない。音が出ると箱に書いてあるから懐かしくなった。コンビニを出て車に乗り、その場で開けてボタンを押してみた。
 「ビバ〜ヤング、パヤパヤ、ビバヤング!」
 何か音質が全然違うような気がする。メロディは昔聞いたものそのままだが、いま一つノスタルジーを感じない。
 考えてみれば石川県で東京の放送を聴いていたのだから、そんなにきれいに聴こえるはずがない。昼間はまったく入らない電波なんだから。でも何か違った。どう違うと言われても説明できないが、違うのだ。こりゃほかのも買うしかないか。
 商品自体はそんなに高いものではないから、損したとかは思わなかったが、一瞬でも30年前の気持ちに戻れるかもしれないという期待がもろくも崩れたのはつらかった。やっぱり思い出は思い出として記憶にしまっておくしかないのか…。いや違うな、ラジオでかかっていた曲や番組のテーマなどは再現できるはずだ。


 音、というのは五感の中でもっとも正しく記憶されているものではなかろうか。視覚はだんだん想像が加わって違ったものになるような気がするし、味覚も嗜好の変化とともに受け止め方が変わってくるかもしれない。でも聴覚、音は客観的にとらえることができるし、細かい部分は記憶から取り出せなくても、実際に聴けばすぐに思い出す。たとえばその曲を口笛で吹いたときと、オリジナルを聴いたときではまったく違うと思う。
 30年前と言えば、テレビで「木枯し紋次郎」をやっていた時期だ。高校3年生で大学受験の不安やら、ガールフレンドが確定しない寂しさやら、親にタバコを吸っているのがバレるうっとうしさやら、学校で不良グループに呼び出されて殴られる面倒臭さやら、いろんな感情が入り混じった毎日を送っていたのだが、「木枯し紋次郎」だけは毎週欠かさず見ていた。
 何年か前、スカパーの時代劇チャンネルでこの紋次郎シリーズをやっていた。もちろん見た。テーマ曲「誰かが風の中で」を聴いて、たまらなくなった。体は四十代のままで、心は十代に戻ってしまったようだった。歌そのものに思い入れがあるというより、その当時の自分を懐かしがるというか。
 そう言えばその年の夏、高校時代の同窓会があった。たまたまお盆で帰省していたので僕も出席した。二次会でカラオケになった。僕にも歌えと言われて、友人を一人誘って一緒に歌った。吉田拓郎の「伽草子(おとぎぞうし)」。当時、その友人とギターを弾きながら高校の教室で歌っていた曲だ。曲自体はCDを持っているから今でもたまに聴く。自分で歌うこともなくはない(車の中で)。でも、そいつの、その友人の声で、いや違うな。そいつと僕の声がミックスした音でその曲を聴くと(歌いながら)、まさに30年前にタイムスリップしてしまったのだ。


 それで、サッカーやレッズと何かつながるの?
 う〜ん。応援の歌のことを書こうと思ったのだけど、まだそんなにノスタルジーを感じるほど時代が過ぎていないしなあ。でもスタジアムで聞いた「ウォリアー」や「ゲットゴール福田」は容易なことでは再現できないだろうことは確かだ。

(2004年6月3日)