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COLUMN●コラム

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#327
僕の名場面



 いや、清尾の名場面、という意味ではなく。

 サポーター仲間から「サポーターが選ぶレッズの名場面100」の、“回し書き”に協力してくれと言われた。


 いいよ、とは言ったものの、自分がサイトを運営しているサポーターによるものだというのに、この僕が加わっていいのか?このコラムは埼玉縣信用金庫さんに書かせていただいているもので(きっと担当者の方は「いつまでうちのサイトにあんなダ話書かせておくんですか?○○さん」と責められているだろう)、僕はサイトの運営者ではない。間借りしている者が、勝手にその部屋に友達(女、と書きたいところだが)を連れ込んで酒宴を開くようなものだ。品行方正な僕はとてもそんなことできないし、若いころの下宿時代にもしたことがなかった。酒を飲んで酔っ払ってから連れ込んだことはあるかもしれないが。
 そういうテーマならこれかな、という場面は浮かんでいたのだが、そういう理由で書くのを躊躇していたところ、なんだか絶好の機会がやってきた。要するに、このコラムに書いてもおかしくない状況になった、ということだ。この#327を、そういうテーマで書いてみようと思う。


 サッカークラブのホームタウンへの責任、というやつを最近よく口に(字に)している。「ホームゲームで勝つこと」と「できるだけ長く優勝の可能性を残しておくこと」だ。つまりはファン、サポーターがいかに長く、数多く楽しみを味わうことができるか、ということだと思っている。そういうふうに言葉にして整理したのはオフト時代になってからのことだが、その思いの原点をたどってみると、もっと前のことのようだ。


 7月17日。ナビスコカップ予選リーグ第5節のジェフ戦で、久しぶりの感覚を味わった。逆転勝ちは今季のセレッソ戦もそうだったが、リーグ第2節という開幕直後の状況と、負けたら予選敗退がほぼ決まるという状況とでは背景がまるで違う。しかも後半34分に先制され、その1分後に同点、ロスタイムに決勝点、などというドラマなのだ。たとえ取材に当たっている者が思わず我を忘れても、咎める訳にはいかないほどの感動だった(一般論です。特定の個人を擁護している訳ではありません)。
 試合の後、ゴール裏のサポーターが「いやあ95年の大宮を思い出しました」と言った。そうか、そこまでさかのぼるか。そうだな。劇的な逆転勝ちは他にもない訳じゃないが、ホームの力で、チームとベンチとサポーターが一つになって戦って、負けられない試合を勝ったと思えるのは、あの95年1stステージが最初だった。
 当時いた人なら誰もが記憶に残っているはずだが、“伝説”でしか知らない人も多くなったと思う。もう一度整理しておこう。


93年に開幕したJリーグで、浦和レッズは負け続けた。もちろんたまには勝つこともあったが、成績で言うと93年1stステージ(当時は呼び方が違った便宜上、こう表記する)10チーム中最下位。同2ndステージ最下位。94年1stステージ12チーム中最下位。同2ndステージ12チーム中11位(最下位は名古屋。でも年間総合はレッズが最下位)というありさまだった。
 95年1stステージも黒星スタート。第2節で勝ったものの、第3節から4連敗。第7節からチーム初の3連勝を挙げたがその後3連敗。また3連勝したが4勝目はならず、という具合に波に乗りかけては沈み、という感じで、約1ヵ月の中断期間を迎えたときは16節を終えて7勝9敗。前年までよりははるかにマシだが真ん中よりは下、という位置にレッズはいた。
 16節?そうそう。当時は今より少ない14チームでのリーグ戦だったが、1stステージだけでホーム&アウェー26試合を行うというハードぶりだったのだ。当然試合は週2回が基本。
 中断明け。磐田には勝ったものの次の平塚(現湘南)には負け、と相変わらずの滑り出しだったが、6月24日から何かが変わった。わかりやすく書くと…
 
第19節(6月24日・大宮) ○2−0C大阪 後半17分  
第20節(6月28日・大宮) □2−1横浜M   延長前半9分
第21節(7月 1日・柏) ○2−1柏   後半ロスタイム  
第22節(7月 8日・大宮) □3−2広島   延長前半3分
第23節(7月12日・日本平) □3−2清水   延長後半6分
第24節(7月15日・大宮) ○2−1鹿島   後半40分
 

なんと6連勝である。□は今はなきVゴール勝ち、時間は決勝点が入った時間、※がついたものは逆転勝ちだ(広島戦は再逆転)。ちなみに第24節の鹿島戦で後半40分に決勝ゴールを入れたのは岡野雅行だ。スルーパスに走りこみ相手に倒されたが同時に蹴ったボールがゴールイン。入ったことを知らない岡野に土橋正樹が駆け寄ったシーンは圧巻だ。想像するに…、

 土橋「やった、岡野!」
 岡野「え、なんだ?PKじゃないのか」
 土橋「違うよ、入ったんだよ」
 岡野「だからPKだよな、今のは」
 土橋「お前のシュートが入ったんだってば」
 岡野「入った?入ったってゴールか?」
 土橋「そうだよ、逆転だ」
 岡野「やった、ゴールだ!俺がやったぞ!」

 という会話がかわされ、いきなり立ち上がった岡野はあらためて全速力で走り回ったのだった。
 チーム初の6連勝。そのうち4試合が逆転勝ち。柏戦だって追いつかれた後に決勝点が入っている。しかもほとんどが延長戦か終了間際に決勝点が生まれている。この連勝から、サポーターの応援が試合を左右することだってあること、そして劣勢でも最後まであきらめてはいけないことを学んだ。それは6試合のうち4試合が大宮でのホームゲームだったことと無関係ではないだろう。ついでに言えばこんな短いサイクルでもMDPを発行できるんだ、と僕も「素敵なことを」学んでしまった。


 で、その中のどれなんだよ。お前が選んだ名場面は!
 まあ、ちょっと待って。土曜日のナビスコカップのあと、あるサポーターがこう言った。「信じても報われるとは限らない。だけど信じなきゃ、かなえられないんだ」。ちくしょう、かっこ良すぎるぞ!でも、その通りだ。
 95年の6連勝の間、サポーターは、自分たちが勝利を信じて応援していれば勝てると信じていた。勝ち進むにつれ、それはより強い確信になっていった。だが、信じても報われない事だってあるんだ。そのときどうするか。
 6連勝の間に得たものがもう一つあった。それは1stステージ優勝への可能性だ。
 あり得ない話だった。中断前、すでに26分の16試合を消化して14チーム中9位。第20節でようやく10勝10敗の勝率五割に乗せたぐらいだった。それが第24節の鹿島戦を終えた段階で、残り2試合で首位の横浜Mと勝ち点4差にまで上がっていた。
 今と違って引き分けがなく、VゴールでもPK勝ちでも勝ち点3がもらえる時代。横浜Mが2連敗してレッズが2連勝すれば得失点差など関係なく優勝がころがり込む。「低レベルの争い」とサッカーマスコミは酷評したが、そんなことは関係なかった。
 次の相手はレッズより勝ち点1多いヴェルディ川崎(現東京V)。つまり川崎は首位と勝ち点3で、これまた優勝の可能性が残されていた。第25節は逆転優勝への望みを断ち切りあうサバイバルゲームだったのだ。
 7月19日、僕はどんな気持ちで等々力競技場に向かったのだろうか。横浜Mが勝ってしまえばその時点でレッズの優勝はなくなる。それは自力ではなんともしがたい。そのことは何も考えてもしょうがない。ただレッズの勝ちだけを祈って電車に乗った。ここまできて負けるはずがない。毎試合毎試合、徳俵に脚がかかりながら、指先で岩にしがみつきがなら、勝ってきた。だからどんな状況になっても最後まで信じていよう。そう思っていた。
 試合は後半9分に先制された。大丈夫。これが勝ちパターンだ。後半30分、ほらギドのゴールで追いついた。さあ、ここからだ。90分終了。これも予定のうちさ。他会場。横浜Mが負け!沸きに沸く等々力。延長に入った。チャンス!惜しい、次こそ決まる。ピンチ!大丈夫、大丈夫。あれ?


 信じても報われないこともある。
 95年7月19日午後9時9分(正確ではないが)。アルシンドのシュートがレッズのゴールに突き刺さったあの場面は忘れられない。僕は今と違ってあのときだけはスタンドから見ていたのだ。あのときのレッズのゴール裏は、凍りついたとか泣き崩れたとかいう言葉だけでは不十分だ。初めて心底から勝利を確信しながら応援し、それが報われなかったときの気持ちを、どう表現したらいいのだろう。あえて例えるなら、それまで地の底をウロウロさまよっていたのが上に続く階段を見つけ、昇っていたところ、いきなりその階段が途切れてしまったような、としようか。
 だが上に続く道がなくなって、ずっと途方にくれていた訳ではなかった。あのときゴール裏で立ち上がったレッズサポーターの顔には疲労感や挫折感よりも、明るさの方が多く浮かんでいた。それは「俺たちは勝てるんだ。優勝に近づいたんだ」という実感が生んだものだったろう。今回は駄目だったが、また次の道を探せばいい。 
 それまでは、信じて応援している、と言っても負け続けていたことを知っているサポーターは、信じきっていなかったかもしれない。勝ってうれしい、気持ちのどこかに「意外さの喜び」も混じっていた。それが「信じたことが実現した喜び」に変わっていった95年。「確信した勝利」は「意外な勝利」よりも喜びが大きかった。「たまに勝つからうれしい」と思っていたがそうではなかった。仲間と勝利を確信しながら応援し、それが報われたときの喜びは何物にも代え難かった。そして信じても報われないことがあることを知っても、信じて戦わなければ何も生まれないことを体感した95年1stステージだった。


 2002年以降、クラブの積極的なチーム強化策が目立っていて、どうしても勝った負けた、戦い方がどうだこうだ、どの選手の出来がああだこうだと評論家的になってしまうことが少なくない。チームが強くなることは大事なことだが、だからと言ってサポーターが信じて応援することなしには優勝なんてできない。少なくとも浦和レッズはそういうチームだと思う。フロントがどう変わろうが選手の顔ぶれが有名人ばかりになろうが、チームとサポーターの関係は変わらない。いや、サポーターがチームどう関わっていくかはそんなに変わりようがないのかもしれない。
 そういうことを思い起こすきっかけになった7月17日のジェフ戦だった。

(2004年7月22日)

<追伸>
 95年7月19日のVゴール負けの瞬間、僕がピッチで写真を撮っているのではなくスタンドにいた理由。それは勝利を確信していたのとサポーターと一緒に喜びを分かち合いたかったから。レッズが相手サポーター側に攻めているとき、得点シーンを撮るためそちら側のゴール裏にいたら、Vゴールの瞬間、レッズサポーターの喜びを撮ることができない。まさか反対側から一目散に走ってくるわけにいかないもんね。だから延長前半はスタンドからすぐに下に降りられる場所にいて、延長後半になったらゴール裏に行こうと思っていた。実際7月12日の日本平ではそうしていた。
 え?Vゴールが決まったら、喜ぶだけで写真なんか撮らなかったくせにって?…ちょっと反省してます。