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COLUMN●コラム

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#349
12年のけじめ


 やっと言える。
 11月20日、駒場で優勝してほしい。あと1勝になるまでは言うべきではなかったけど、今なら言える。多くの人もそう思っているようだけど、駒場がいい。
 シーズン前、今季の日程を見て思った。
 最終節は広島戦か。J2降格が決まったときの相手。ここで優勝するというのも何かの因縁かな、と。
 その後、会場が固まった。第13節の名古屋戦は、駒場。
 じゃ、これだ。ここしかない。
 93年7月7日、Jリーグ初のステージ優勝が決まったスタジアム。レッズが目の前で鹿島アントラーズの優勝を見せられたスタジアム。そのステージ制は来年からなくなる。最初のステージ優勝の場所が駒場だったのだから、最後のそれも駒場で行われるべきだ。何が「べき」なのかは自分でもよくわからんが。
 そして93年5月19日。レッズのJリーグ初ホームゲームはもちろん駒場で行われたが、そのときの相手が名古屋グランパスエイトだった。0−3の完敗。レッズ苦難のスタートの二歩目だった(一歩目は開幕戦、アウェーの万博でガンバ大阪に0−1)。


 今季のレッズは、これまで弱点だった部分を克服しながら勝ってきている。初年度から知っている者とすれば、過去にけじめをつけているように思えてならない。ならば、今年中に大事なけじめをつけてほしい。なぜ今年中か。Jリーグスタートから12年目だからだ。
 数の区切りとしては10、20…、100ということになるのだろうが、時の流れは12が区切りだ。12時間が2回めぐって1日。月が12回めぐって1年。そして漢字文化圏では年月日や時、方位、物事の順序をあらわすのに用いられる十二支(じゅうにし)というものがある。もしかして若い人で知らない人もいるかもしれないので簡単に説明しておくと、子(ね=ねずみ)、丑(うし=牛)、寅(とら=虎)、卯(う=ウサギ)、辰(たつ=龍)、巳(み=へび)、午(うま=馬)、未(ひつじ=羊)、申(さる=猿)、酉(とり=鶏)、戌(いぬ=犬)、亥(い=イノシシ)という順番だ。正確には十干(じゅっかん=甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と組み合わせて使うのだが。


 よく年齢を比べて「一回り違う」という言い方をするが、あれは12歳離れているという意味だ。たとえば今年36歳で申年の人は、同じ申年の24歳の人とは、干支がめぐって一回りしているからだ。10歳離れていても「一回り」に近いが、語源はこうなので、覚えておいた方がいい。
 10年の区切りも大事だが、Jリーグは日本のリーグなのだから、12年目の区切りにもこだわりたい。歴史が「一回り」した来年、強豪、常勝チームとして新しいスタートを切りたいレッズだが、その前に大事なけじめをつけておきたいのだ。名古屋戦に勝てばJ1ホーム100勝目にあたるというのも面白いめぐり合わせだ。もし今季、ジェフ市原や横浜F・マリノスに引き分けでなく勝っていたら、この数字もずれていたのだから。
 もちろん、今まで言ったようなこと以外に、駒場にこだわる理由は少なくない。実は埼玉スタジアムで初めてホームゲームを行った01年10月13日のMDPに僕はあるコラムを書いた。あれからさらに3年が経過している。少し加筆修整して掲載する。


*   *   *


 1993年7月。浦和駅前で、1人の青年がレッズのレプリカを着て、道行く人に署名を呼び掛けていた。
「レッズを強くするために、広いサッカー専用スタジアムを作りましょう」
 今はゴール裏で応援のリードを取っている彼は、このとき高校2年生だった。
 当時の浦和市駒場競技場は、自由席のゴール裏が芝生で、雨が降ると滑りやすかった。また晴れると砂ぼこりが舞って、発煙筒のようだった。
 そんなコンディションの悪い席(席ではなくエリアか)でも、チケットは用意に手に入らなかった。レッズのパンフレットには1万2千人収容となっていたが、どう詰め込んでも1万人が限界。誰もが「レッズの試合を生で見たいから、もっと広いスタジアムが欲しい」と思っていた。
 浦和レッズの1万人のホームスタジアムは小さ過ぎる。それはレッズサポーター、浦和市民の、プライドと切実な思いが重なった声だった。
 浦和市はすぐに動いた。93年のJリーグ開幕に合わせて改修したばかりの駒場競技場のスタンドを倍に拡充することを決定した。94年の7月から約1年かけての再改修で、収容人数2万人を超える駒場スタジアムが誕生した。リニューアルオープンは1995年8月16日だった。
 改修期間を差し引いても10年半。駒場は幾多のドラマを見てきた。
 ヴェルディとのPK戦でペレイラのシュートをはじいたクロスバー。チケットを持たないファンがよじ登った木。Jリーグ初のステージ優勝チームを迎えたビジター側ロッカールーム。最終戦の後、一周する選手たちに握手を求めるサポーターを支えたフェンス。
 福田の単独得点王が決まった瞬間、紙吹雪のカーテンに覆われたサイドスタンド。Jリーグ初のGKの得点、田北のPKで揺れたゴールネット。
 抗議するサポーターが何度も押し寄せた本部前の歩道。ギドを乗せた白馬が歩いたフィールド。落雷でハーフタイムを29分間延ばした照明灯。ペトロを泣かせたバックスタンドの人文字。
 3枚のデカ旗を何度も吊るしたバックスタンド2階の手すり。最終戦のあと、心に染みるシーズンの思い出を流したオーロラビジョン。
 開門前に数千人のサポーターが並んだサブグラウンド。開門と同時に横断幕で素顔から厚化粧に変わっていくスタンド。そして試合の余韻を残しながら、少しずつ暗くなっていくスタジアム。
 11.27の「We are REDS」を聞いたとき、お前はきっと涙をこらえていただろう。2000年、モンテディオ山形に負けてJ1復帰に黄信号が灯ったときも、お前はじっと耐えていたはずだ。土橋正樹のVゴールが決まった11.19はさすがにお前もうれし涙を流しただろう。
 小野伸二の最後の試合、彼のFKをゴールインさせる手伝いをしたのは、田畑昭宏じゃなく本当はお前だろう?でも2ndステージでは怒ったろうな。また残留争いなんてやってたんだから。
 2002年、ワールドカップの最中に、バカな連中の足で芝を踏み荒らされたとき、お前はどう思ってたんだろう。天皇杯の初戦、福田のユニフォーム姿がこれで最後だってことをお前は知ってたのか?
 レッズが初タイトルを取った夜、ここで優勝報告会をやった。たぶんお前はちょっぴり誇らしげに、そして少し寂しげにこう思っていなかったか。「ナビスコカップじゃ仕方がないな。決勝は国立って決まってるんだから」。
 お前が望んでいることは分かっている。俺も同じだ。
 リーグの初優勝は駒場でしたい。

(2004年11月8日)


<追伸>
 「田畑宏昭」だって。どうして書いているときには気がつかずにアップされた瞬間、そこに目が行くんだろう?(もう直しました。数時間「宏昭」になっていた)
 田畑昭宏選手、失礼しました。