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COLUMN●コラム

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#362
堀 孝史


 堀孝史さんが帰ってきた。知っての通り、今季からレッズユースのコーチとして指導にあたることになった。堀さんはレッズで公式戦200試合以上に出場した功労者だけど、98年を最後にチームを離れたから、知ってる人は少なくなったかもしれない。知っている人は、右サイドを走ってクロスを上げたあと必死で戻る姿とか、右手を斜め下にまっすぐ伸ばしてボールを蹴る姿とか、ゴールを決めた後「素」で喜ぶ姿とか、いろいろ思い出すだろう。
 僕はそれに加えて忘れられないことがある。堀さんが平塚を辞めたから、もう書いてもいいだろう。
 1999年11月20日の駒場。と言えば、レッズがJ1残留を争っていた「ファイナルファイブ」の3試合目、2ndステージ13節のベルマーレ平塚戦だ。堀さんはこの前年にレッズから契約なしを通告され、この年から平塚に移籍した。ベルマーレでは主力としてフル出場していたが、中田英寿や名良橋晃がいなくなった平塚は負けが込み、降格候補の一番手となってしまった。この13節でレッズに負けると、Jリーグ史上初の降格チームとなってしまうという、そういう試合だった。
 駒場に平塚の選手がバスがついた。狙っていた訳ではないが、たまたまそこにいた僕はバスを降りてきた堀さんに会った。レッズにいたころは、そんなに親しい間柄ではなかったが(もともと現役の選手と個人的に親しくなるのは避けていたから)、堀さんは僕を見て笑顔で握手を求めてきた。


 「お久しぶりです」
 「頑張ってるみたいで、良かった」
 「レッズ、どうしたんですか。頑張ってくださいよ」
 「…」
 「あ、いや(汗)。ウチも負けませんよ」


 おいおい、と突っ込みたくなってしまうような会話だった。今日、レッズに負けたら自分たちのJ2降格が決まってしまうのに、それを忘れて、古巣が降格することの方を心配してしまう堀さん。僕が言葉に詰まったら自分のセリフの意味に気が付いたのだろうけど、もう遅い。こんな状況でもレッズのこと、相手のことを気遣う堀孝史を僕は発見してしまったもんねー。


 クラブから契約終了を言い渡され移籍していく選手、そのままレッズで現役を終わる選手、自分の意志でレッズを離れていく選手。この仕事をしていると、選手といろいろな別れ方をする。一番残念なのは、シーズン中にレンタル移籍していって、帰ってこないでそのまま完全移籍してしまうケースだった。レンタルのときは「大きくなって帰ってきます」という挨拶をするから、こっちも「頑張ってこいよ」という対応になる。でも、そのまま完全に向こうに行ってしまうと、最後の別れのあいさつができないことが多い。それが一番残念だった。
 人と人とは出会いが肝心、とも思うが、別れ方はもっと大事だ。出会いのときに多少おかしくても、その後付き合っていくうちにいくらでも修正できる。でもおかしな別れ方をすると、次に会うときまでその関係は修正できないからだ。


 あれ?こんな結論にする気はなかったのに。堀さん、お帰り。また一緒に仕事ができてうれしいです。


(2005年1月28日)


<追伸>
 98年から、途中サボりはしたけれど足掛け8年間、書かせてもらったこのコラムだけど、諸事情から終了することになった。キリの良いところで「#365」まで続けさせてもらうつもりだ。
 埼玉縣信用金庫さんのご好意で、3月から新しい形のコラムを始めさせていただく予定なので、そちらもぜひよろしく。詳細は決まり次第報告します。