Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#008
「ても」と「えば」
 チョウ・キジェさんに久しぶりに会った。チョウさんは94年に柏レイソルからレッズに移籍。DFとして2シーズン活躍した後、神戸に移り、その後ドイツへ留学、川崎FやC大阪のコーチを務め、今年から湘南ベルマーレでジュニアユースチームの監督をしている。
 あのころ在籍した選手に、思い出の試合は?と聞くと、ほとんどと言っていいほど95年1stステージの大宮で試合を挙げる。どの試合かは人によって違うが、一様に言うのが「負ける気がしなかった」という言葉。
 当時、応援していた人はわかるだろうけど、僕たちにとってもその言葉がぴったり来ていた。必ずと言っていいほど点は取られる。しかも先制点、あるいは同点弾、勝ち越し弾をたたきこまれる。リードしている時間はわずかなのだが、試合が終わったときにはレッズの方が点が多い。そんな繰り返しだった。Vゴール勝ちが多かったから延長制度があったのもレッズに幸いしていたかもしれない。
 こんな言い方をすると選手たちや応援していたサポーターに失礼かもしれないが、ビハインドまたは同点の時間の方が長かったからこそ、負けずに済んだのではないか。あのときの勝ち方は決して圧勝ではなかった。みんな「今日も勝つぞ」と前のめりになっていたが、「今日も勝てるさ」と腕を組んで見ていた人はいなかったはずだ。暑かったこともあって、試合中、試合後に倒れて担架で運ばれるサポーターが続出した。「過呼吸症候群」という言葉を初めて知った。みんなボロボロになりながら闘い、そして勝ってボロボロ涙を流す。そういう数週間だった。

 MDP257号の「WE ARE REDS!」のページに「『勝てる』んじゃない。『勝つ』んだ」と偉そうな見出しをつけたのは、そういう記憶があったからかもしれない。
 必死に戦ってようやく勝ったのに、1勝〜2勝して「去年のレッズに戻った」と油断しちゃいけない。そもそも去年だって楽勝していた訳ではなく、毎試合、必死でやっていたはず。「今日も勝てる」と腕組みしていちゃ勝てない。「必ず勝つ」という気持ちでいないと。そういう意味だった。
 でも「自信」と「慢心」あるいは「過信」の違いって何だろう。「俺たちは強い。いつも通りの力を出せば絶対に勝てる」。そういう言葉に違いはないが、勝てば「自信が裏打ちしていた」ことになるし、負ければ「過信や慢心があった」と言われる。違いは結果だけなのだろうか。
 「今日も(こそ)勝てる」という自信を持つことは必要だと思う。だがその前提として「必死にならなくても」(勝てる)というのと「必死に戦えば」(勝てる)というのでは、動きに天と地の差が出てくる。それが勝った名古屋戦、神戸戦と、負けたC大阪戦、勝てなかった千葉戦の違いなのかな、と思う。
(2005年5月12日)
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