Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#044
「ミスター」の理由
 もう何回か書いたけど、僕がMDPの編集を担当することになったきっかけは、1992年の夏だった。当時、田町にあった三菱自動車本社に呼ばれて、「9月から始まるナビスコカップのホームゲームで、こんなものを出したい。埼玉新聞社でやってくれないか」と持ちかけられた。「地元に協力的な新聞社があるのなら、そこにやってもらったらどうだ」とアドバイスしたのはサッカージャーナリストの大住良之さんだったらしいが、「発行したい」と主張したのは、当時サッカー部のマネジャーだった佐藤仁司さん。言わば彼がMDPの生みの親だったのだ。僕は育ての親であるレッズサポーターの手助けをしてきた「保育士」というところか。
 佐藤さんはこの11月末でレッズを辞め、Jリーグに行かれた。それまで彼が朝日新聞埼玉版に、大宮アルディージャの清雲GMと隔週で書いていたコラムの後任を僕が引き受けることになった。僕が朝日新聞に書くことになろうとは、数年前には思いもよらなかったが(「はみ出し話」のバックナンバーを見て笑っている人いるでしょう)、佐藤さんの仕事の後なら光栄極まりないので、身の程もわきまえず、やることにした。今日が第1回で、バトンを渡されたからではなく、書くべきだと思って佐藤さんのことを書いた。

 佐藤さんのレッズ時代の愛称が「ミスター」だったことを知っている人は多い。だが、その名前の由来まで承知している人は少ないだろう。僕の息子などは、「ミスターがさあ…」と話しかけると「え、福田がどうしたの?」と聞き返したものだ。
 Jリーグ開幕の93年。佐藤さんは三菱サッカー部のマネジャーからそのまま浦和レッズのスタッフになり、クラブを切り盛りしていた。「広報企画部」という部署名だったと思うが、はじめは試合の運営、広報、営業など、チームに強化と総務以外はみんなそこでやっていた。そこにもう一人、佐藤さんというスタッフが入ってきた。佐藤英男さん。サッカー界の古い人なら知っている、長く読売クラブのフロントとして活躍して来られた人で、浦和出身ということもあってレッズに「移籍」してこられた。数年前にヴェルディに戻り現在はフリー。webや雑誌でコラムを拝見することがある。
 同じ部署に「佐藤」が2人。もう、「ヒトシくん」「ヒデちゃん」と呼ぶ年齢ではない。そこで、特に南米に強い佐藤英男さんに「セニョール佐藤」、イングランドフリークの佐藤仁司さんに「ミスター佐藤」という敬称をつけて呼ぶことにした。それがすぐに敬称だけに変わったというのが、この呼称ができた経緯だ。だから1年に1〜2度くらいだが、佐藤英男さんに会うと僕は「セニョール」と呼ぶ。

 佐藤仁司さんに関しては書ききれないほどの思い出があるし、感謝もしている。一つだけ言わせてもらうと、レッズに「佐藤」が1人になってからも多くのスタッフや古いサポーターが彼をこう呼んできた。上記のようないきさつで生まれた「ミスター」という愛称だが、浦和レッズというクラブを体現してきた佐藤仁司さんには、この呼び名が本当にふさわしいからだと思う。
(2005年12月13日)
〈EXTRA〉
 12月24日(土)に行う「2005レッズサポーター望年会」の参加者は締め切りました。全体で約150人の会になる予定です。応募いただいた方は全員出席いただけますが、ご心配な方はHAG03546@nifty.ne.jpにメールください。
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