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Weps うち明け話
#074
亀田興毅選手
 ちょっと遅いですが、亀田興毅選手について書いていいですか?お前がボクシング?と言われそうですが。

 8月2日の試合以来、あの試合の判定について議論がものすごい。中継したテレビ局はもちろん、スポンサーにまで抗議の電話やメールが殺到したという。はてはベネズエラの日本大使館に「ランダエダ選手ごめんなさい」「勝ったのはあなたです」というメールが相当数届いたとか。何か日本全国あげての亀田バッシングのようなイメージだ。
 全部で何人の人が判定についての異議を電話やメールという形で表明したのだろう?日本人がそんなにボクシングの判定に詳しいとは知らなかった。
 僕自身、そんなにボクシングに詳しい訳じゃないが、1回のダウンで奪われるポイントは2点。世界戦は12ラウンドあるのだから、1ラウンドにダウンを喫しても、それで完全な劣勢にならなければ、十分挽回できる余地があることぐらい知っている。
 ましてや会場は日本。ホームタウンデシジョンがあるのはボクシングでは常識になっている。亀田選手が大差で勝ったというならともかく、あの試合で亀田選手が僅差で勝ったことがそんなに不思議だろうか。もちろんランダエダ選手の勝ち、という結果でも何もおかしくなかったけど。聞けばファイティング原田さんも敵地で相手を3回倒して判定負けした経験があるそうだし。

 ちょっと考えた。亀田選手が、品行方正でさわやかな好青年、たとえばレッズの坪井慶介みたいなタイプだったらどうだったらだろうか。テレビに出るときの服装もきちんとしており、口の利き方もていねいで、態度も折り目正しいボクサーだったら。
 「危なかったけど、勝って良かった」「勝負への執念がベルトを引き寄せた」「まずはチャンピオンおめでとう。次はすっきりKOで」という声があふれるのではないだろうか。
 どっちとも取れる微妙な判定。それを「勝って良かった」とするか「勝ったのはおかしい」となるか。当人の日ごろの言動やイメージに左右される部分がかなりあるのではないか。逆に言うと、試合前から「亀田なんか負けてしまえばいい」と思っていた人がそれだけ多かったから「勝ったのは変だ」という声が渦巻いたのではないかと思う。また亀田選手に勝ってほしいと思っていた人も「雑音に負けずすっきり勝ってほしい」という気持ちがあったから、内容に不満を抱いたのかもしれない。

 僕はそんなに熱心な亀田ウォッチャーではないが、たまにテレビで興毅選手の言動に触れ、腹が立つというよりなにか作られた胡散臭さを感じていたのだが、この試合の中継や翌日の記者会見をテレビで見て、2つの本音を感じた。
 1つは協栄ジム金平会長の「みんな批判するが、今のボクシング界で誰がこの数字(視聴率)を取れるの?」というコメント。そうか!彼はボクサーを育てているのではなく、ボクシングが強いタレントを育ててきたのか。ここは「今の日本のボクシング界で、他に世界チャンピオンになれる選手がいるのか!」と居直るべきところ。実際、その通りなのかも知れないから。しかし威張るのがボクシングの実力でなくテレビの視聴率だったところに、金平会長の本音を見たのだ。
 もう1つは、試合直後の本人コメント「おやじのボクシングが世界に通用することを証明できてよかった」というもの。彼のこれまでの言動からすれば、当然KOでチャンピオンになっていなければおかしい。12ラウンドが終わった段階で「倒せへんかったんやから、俺の負けや。判定なんかどうでもええで」とスタスタ帰ってしまう方が、筋書きに合う。しかし、判定でも勝った。うれしい。そのときのこのセリフは、これまでのパフォーマンスとは違う本音だと感じた。父親の苦労を肌身で感じ、その恩返しができたと喜ぶ本音。繰り返すが、彼が好青年だったら、このセリフに涙した人も少なくないはずだ。

 亀田選手のこれまでの対戦相手(弱い相手を選んできた、と言われる)、テレビなどでの言動、を作ってきたのがTBSなのか、父親なのか、協栄ジムなのかは知らない。だが結果として、亀田興毅という選手を、ボクサーとしてよりタレントとして大きくしてしまった責任がどこかにあると思う。プロスポーツ選手が成功するにはタレント性も有効だし、それが有利に働くこともある。しかし多くは選手として成功した後、その人柄がその人のタレント性として定着していくのだ。選手として大成する前にタレント性ばかり磨いてしまうようなことは、決してプラスにはならないだろう。
 かつての辰吉丈一郎選手のように、大口をたたくのは、チャンピオンになって本当に強いことを証明してからでよかった。
(2006年8月7日)
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