Weps うち明け話
#084
優勝争い
 2004年の2ndステージの優勝が楽だったと思っているサポーターなど1人もいないだろう。
あのときは、7月に坪井が日本代表戦で、左大腿部裏を大ケガ。9月には山瀬功治が左ヒザ前十字じん帯を断裂。攻守の要を担っていた2人が途中で戦線を離れたのだ。当時は2006年の今ほど「選手層の厚さ」はクローズアップされていなかった。
にも関わらずレッズは優勝した。データ的に見れば山瀬の離脱以来、得点は減っているが勝敗に影響を与えるほどではなかった。また坪井の不在が明らかになった時期は、まだ移籍による戦力補充が可能で、ネネの獲得により守備陣の手当てができた。その結果、第2節で首位になって以来、一度も2位以下に落ちることなく、15試合という短いリーグにも関わらず2試合を残してレッズは優勝した。あのときはぶっちぎりと言ってよかった。
いま思えば、2004年2ndステージは優勝争いをした、というより優勝に向けてひた走ったという方が当たっている。年間チャンピオンは確かに争ったが2試合という短期決戦だ。

 昨年はどうか。リーグ戦は最終節を終えての順位が結果。その意味からは2005年は首位に勝点1差の2位だったから、優勝争いをしたシーズンと言えなくもないが、首位に立ったことは一度もなく勝点差が詰まったのは最終盤だけ。また最後まで優勝の可能性があった他の4チームにはホーム&アウェイでも勝てなかった。
シーズン中は常に優勝を目指していたが、最後に2位まで上ったというのが正しいかもしれない。もちろん途中であきらめていたら、その結果もなかったのだが。

 だいぶ前のページを繰ってもどうかと思うが、以前、福田正博さんと「優勝争い」ということについて話したときに、彼が「シーズンの最初とか途中で1回や2回首位になるのを優勝争いとは言わないよ」と笑ったことがある。それまでレッズがリーグ戦でステージ優勝の可能性が終盤まであったのは、95年1st、96年(通年制)、98年2ndの3回を僕が例に挙げたときだった。たしかに、あくまで可能性であり、一時的に首位に立ったことはあっても、首位攻防のせめぎ合いが何節か続いたという状況ではなかった。
その意味では、初めて優勝争いを経験したのは2003年2ndステージだったろう。一時は10位まで順位を下げたが、第6節から負けなしで、第12節で首位に立った。残り3試合で勝点7を取ればいい。つまり自力優勝が可能だった。ナビスコカップでクラブ史上初のタイトルを手にし、続いてステージ初優勝、そして年間チャンピオンへ、と夢は膨らんだ。しかし13節、14節に連敗し、首位転落から優勝絶望という状況になって最終節を迎えた。終盤で一度首位に立ったものの、守りきれず終わってしまった。
その前年も優勝への夢が膨らんだことがあった。2ndステージ開幕から負けなしの成績で9節には首位に立った。しかしナビスコ決勝をはさんで連敗が続き、結局9試合連続負けなし(引き分け1試合)のあと6連敗という流れで8位に終わった。

 今季、レッズが首位に位置したのはこれまで12節ある。そして2位や3位から首位に上がったことは5回。逆に言えば首位から転落したことも4回ある訳で、つまりは抜きつ抜かれつという攻防を展開している。これほど長く激しいせめぎ合いをしているシーズンはレッズにとって初めてだと言っていい。
もちろんG大阪や川崎にとっても同じことが言えるが、このデッドヒートを制した優勝は一段と価値が高い、そんな気がする。
今の選手のうち多くは、2002年から2005年にかけての屈辱や挫折、そして喜びを経験している。コンディションやパフォーマンスが大事なのは言うまでもないが、「最後は気持ちの強いほうが勝つ」とよく使われる言葉は決してウソではない。ケガ人も増えてきて厳しい状況もあるが、4年間かけて勝ちたい気持ちを熟成してきた浦和レッズとサポーターの力の見せ時だろう。
(2006年11月7日)
〈EXTRA〉
 古くなるので本文には書かなかったが、ギリギリのせめぎ合いが長く続いたのは、99年に嫌というほど経験している。ただしこれは今の選手というよりサポーターの記憶に残っているもの。この闘いを知らないサポーターも多くなっているし、だいいち闘って勝ち取るものが全く違う。ただ、試合に臨む気持ちはあのときと同じ、というサポーターもいると思う。
MDPに書こうと思っていたネタを使ってしまった。さあ、どうしよう。
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