Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#094
けじめの特別号
 とうとう禁を破って試合以外でMDPの特別号を出すことになった。
「レッズの公式戦ホームゲームで発行する」という原則を越えたMDPは過去に数種類ある。
 最初が94年の12月に出した増刊号。その年のリーグ最終戦はホームゲームだったが会場の都合で富山で行なわれ、そこで3−6の大敗。2年連続の低迷に憤ったサポーター約30人がスタンドから飛び降り、ロッカールームに入ろうとする騒動があった。飛び降りも非常事態だが、1,000人近いサポーターがスタンドに残り、クラブから何らかの説明があるはずだ、と待っていたことの方が僕は大事だと思った。そこでクラブのチーム強化についての考えを文書で伝えること、サポーターの声をやはり文字で残すこと、その両方の目的で「増刊号 SUPPORTERS」を発行して無料配布したのだった。
 次のイレギュラーは97年7月、駒場で国際親善試合、マンチェスター・ユナイテッド戦をやったときだ。他にも国際試合はいくつかやっているのに、どうしてこの試合だけ?と聞かれても困るが、試合のプログラムとして発行した。増刊号(EXTRA)と区別するために特別号(SPECIAL ISSUE)とした。
 増刊号が次に出たのは2000年の春。J2のシーズン前だ。降格したことに対するサポーターの声、1年でJ1に復帰するというクラブの決意、その後の展望などを載せた。もちろん無料配布。提案したのはこのときも94年も僕だったが、「悪いときだけ出すのはヘンだ、毎年シーズン前に出すべきだ」と提案した。シーズンを迎えるにあたり、この年始まった「語る会」とリンクして、方針をサポーターに伝えるためだ。その後毎年発行を続けている。語る会は2005年からなくなったから、増刊号の役割は重くなった。

 特別号の名前がまたお目見えしたのは2002年。ナビスコの決勝だ。マンUのときと同様、試合のプログラムだけどホームゲームではない、だけど出す。このときから特別号とはそういうものという位置づけになった。特別号は03年ナビスコ、04年ナビスコとほぼ当然のように発行し、2005年は出せなくて残念、と思っていたら最後に来て天皇杯決勝があった。日付は2006年1月1日だが、実際に店頭に並んだのは12月31日だ。

 今回の優勝が甲府戦やFC東京戦で決まっていたら、最終節の293号が優勝記念号になるはずだった。だが優勝が決まったのは最終節。それはそれでもちろん感動的だったが、優勝を伝えるMDPがなくていいのか?ということになった。
 一方、カップ戦の決勝は、サポーターは闘いのツールとして定着しているが、試合もなく、雑誌の優勝特集号が氾濫した後で、遅れてMDPを発行する意味がどこまであるのか?という反問もある。しかも有料である。だから増刊号ではなく特別号になった。

 けじめかな、と思う。優勝を目指して、ある意味ではサポーターをあおってきたMDPだから、その目標を果たしたときに、試合がないからといってシカトして終わっているのはけじめがつかない、と思うのだ。
 昨日、ようやく僕の担当部分の仕事が終わった。あとは完成を待つだけ。優勝を祝う部分はもちろんあるが、14年間、あるいは15年間のけじめ、に力を入れたつもりだ。たまっていたことを吐き出した気持ちもある。これがサポーターにどう受け止められるか不安だけど。
(2006年12月15日)
〈EXTRA〉
 17日(日)のサポーター望年会は応募者は全員来ていただけます。個別に返信したつもりですが、念のため。パレードの後、楽しく過ごしましょう。
 根付の当選者発表は来週までお待ちください。200人近くの応募でした。
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