何度か巻き戻して見た。ビデオじゃなくてDVDだから、「巻き戻し」はヘンか。
「見た」も違う。正確には「聞き」たかったのだ、何度も。
「ジュビロが、王者・浦和を相手に2点のリードです」
23日の天皇杯準々決勝、テレビ中継のアナウンサーが、後半早々に磐田が2点目を挙げた後、こう言った。何もおかしくはない。でも何度も聞きたかった。細かい理由はくどくど言わなくていいだろう。
ジェフ千葉がナビスコ杯で優勝した5日後、天皇杯初戦で負けた。しかもJ2の札幌に。
笑う気持ちなど全く起こらない。カップ戦連覇というのは偉業と言っていい。それを成し遂げて、どうしても一息ついてしまう選手を責められないだろう。その次の試合がリーグ戦でなく、負けたら終わりの天皇杯だったことが不運と言えば不運だった。もちろん札幌が運だけで勝ったなどと言う気はないが。
もし福岡が入れ替え戦に出場せず、天皇杯5回戦が予定通り9日に行なわれていたら、リーグ優勝という悲願を達成して一週間のレッズは果たして力を百パーセント発揮できていただろうか?もちろん天皇杯が何日になるかは2日の時点でわかっていたから、9日なら9日でそれなりのスケジュールを組んで試合に臨んだだろうが、プラス7日間あった16日の試合でさえ、初ゴールを挙げるまでに90分以上かかったのだ。相当苦戦していたに違いない。
そして磐田戦。永井と細貝がスタメンだった。都築と相馬も2試合続けて先発した。そして伸二が後半から出場。黒部と酒井も延長から入った。リーグ戦とはかなり違うメンバーで、苦戦はしたが勝った。
つった両脚の太ももを「もう少しガンバレ、お前!」とでも言うように両手でパンパンたたきながら、走っていた永井。PK戦のときは両手を組んで下を向きひたすら仲間のシュートが成功することを祈っていた。
PK戦で5人までが終わり、ベンチコートを脱いで出てくる内舘を制して6人目のキッカーを買って出た都築。磐田の9人のシュートに対し、ほとんど止める寸前まで反応していた。10人目の犬塚が、そんな都築を見て「少しでもコースが中に入ったら止められる」と意識するあまり、わずかにポストの左に外してしまったというのは読みすぎだろうか。仲間から祝福される都築は「ワシが止めたんやあらへん。外してくれたんや」とでも言いたげにゴールを指差していたが、表情は本当にうれしそうだった。
リーグ戦優勝は、もちろん12月2日にピッチに立っていた選手だけでなく、みんなの力があってこそ。たとえ試合への出場機会が少なくても、優勝への貢献の形はいろいろある。ましてや都築は第10節・4月29日の大宮戦でケガをするまでゴールマウスを守っていたのだし、大詰めの30節・横浜M戦も無失点に抑えている。永井は23試合に出場して4得点を挙げているが、その4点はいずれも1-0でリードしながら厳しい展開の試合で勝利を決定付ける2点目だった。この2人が、2006Jリーグチャンピオンを獲得するのに欠かせなかったことには誰も異論がないはずだ。
しかし自分に課したものが大きすぎる彼らは、自分自身で納得のいかないシーズンだったのだろう。12月2日の埼スタ。試合終了の笛が鳴り、選手やスタッフがピッチになだれ込む中、永井と都築はしばらくベンチの前に座っていた。その姿はあの日の感動と一緒に、頭に焼き付いている。
永井と都築だけではない。出場機会が少なかったり、自分の描いていたプレーができなかったりして、もしかしたらリーグチャンピオンを心の底からは喜べなかったかもしれない選手たちが、元日の国立の壇上でバンザイする場面を絶対に作り出したい。天皇杯は彼らが美味しい思いをする番だ。
さあ、今度はアナウンサーが「アントラーズが、王者・浦和に…」と言う試合だ。「2点のリードです」はなくていいが。 |