Weps うち明け話
#099
小齋秀樹という人(その1)
 先日、札幌での新年会にお邪魔したとき、評判の旭山動物園に行った。冬の北海道を取材のために訪れることは今後あまりないだろう。せっかくの機会だから、積雪があるときだけ行われるという「ペンギンの散歩」を見てみたかったのだ。ちなみに#098で書いた「阿部 浦和へ」の報知は旭山動物園へのバスを待っている間に見た。だから「シゴトアリ。スグコイ」の電報が届くのが怖かったのだ。ペンギンのお散歩はたしかに可愛かった。

 昨日14日、東京都内のホテルで、黒っぽい縦縞のモーニングを着て少しずつ歩く男の姿に、あのペンギンのお散歩を思い出した。違うのは、ペンギンはあんなに照れていなかったこと。そして昨日の「ペンギン」の隣には、ウエディングドレスの素敵な花嫁がいた。

 小齋秀樹君と初めて会ったのは、たぶん1999年のいつか、大原でだったと思う。顔も体もスリムで、僕のステロタイプなイメージでの「文学青年」という彼と、あいまいな挨拶を交わした。その当時は、彼がどんなものを書くのかよくわかっていなかったから。その頃はマスコミでのレッズの扱われ方に不満があったのだろう。
 その後、徐々に「文・小齋秀樹」という出版物に接するようになった。取材対象に真面目に取り組むライターという印象を受けた。彼が書く頻度はますます増え、著書「Goalへ 浦和レッズと小野伸二=文芸春秋社」も上梓された。レッズのオフィシャル・イヤー・ブックなどでも仕事をするようになった。
 僕が埼玉新聞社を辞め、ということはMDPが埼玉新聞社の編集でなくなった2005シーズンから、MDPのメーンコラムの執筆を小齋君に頼んだ。お願いしたことは「原稿料以外の経費は出せない。だからアウェイにも行ってくれとは言えない。だけどホームゲームは極力来てほしい。他の雑誌からどうしても外せない依頼があって来られないときは、ビデオなどを使って、なるべく試合を見てほしい」。
 僕にとっては賭けだった。彼が浦和に在住はしていても出身は仙台だということは知っていた。浦和レッズを取材する機会は多くても、レッズだけでスポーツライターとしての身を立てようとは思っていないことも承知していた。だが彼の真摯な取材・執筆姿勢から生み出されるコラムは、MDPに新風を吹き込んでくれると思ったし、他のクラブを取材してきた目でレッズを見てもらうことも必要だと思ったのだ。

 賭けというならば僕は勝った(誰にだ?)。連載当初こそ、MDP全体への馴染みに時間がかかったが、シーズンも半ばを過ぎると、彼が担当する「FORESIGHT」は「おお、今のレッズを言い表わすのにぴったりだ」というものになっていった。時に、僕が「こうした方がいいんじゃない?」と提案したり、彼の方から「次はこういうテーマでいこうと思うんですがどうでしょう」と僕に相談を持ちかけることもあった。共同して良いものを作っていく、という実感があった。彼自身、編集プロダクションで勤務していた経験があり、現在のメーンフィールドが文芸春秋社など、編集体制がしっかりしているところだから、そういうやり方が身に付いているのかもしれない。「Number」などに比べれば、破格に安い原稿料で、無茶な締切もあるMDPのコラムをしっかり1年間こなしてくれた。2005シーズンは、ナビスコもリーグも優勝できなかったから、MDPのライターをやっていることでの「余禄」はほとんどなかったはずだが。
 2005年の秋から暮れにかけて、翌年も小齋君にやってもらうかどうか、僕は少し迷った。書いてもらっている内容にではない。徐々に全国的にも著名なライターになっていく彼をレッズのオフィシャルとして使って良いものか、ということにだ。ちょうど、そのころレッズが携帯とPCのサイトを充実させるために専属のライターを探しており、それにも彼を推したものの、そうなれば完全にレッズに縛り付けた状態になる。試合はもちろん、合宿にも同行し、日常の練習にも半数近く来てもらうことになる。とても他のチームやスポーツを深く取材するチャンスはない。また「小齋秀樹?ああ、レッズのオフィシャルやってる人ね」というイメージが定着しては、彼の将来にマイナスなのではないか、という危惧もあった。僕のような立場とは違うのだ。

 昨日の結婚式でお会いした「Number」の編集部の方にその話をした。彼らも昨年の今ごろ、それを思っていたそうだ。しかし、その編集者は言ってくれた。
 「一つのクラブに深く関わることによって、これまでは決して入り込めなかったところまで取材することができました。いろいろな角度からクラブを見ることができました。それは彼にとって大きな財産だと思いますし、今後生きてくると思います」。
 ああ、ホッとした。今回は優勝したからいろいろな原稿依頼が舞い込んできただろうけど、そういう目先の財産(てか収入?)でなく、レッズのオフィシャルでいたことが、今後それをやめても小齋秀樹の財産として残るなら、本当に良かった。
 実は、試合の前後の彼の言動がこの2年間で変わってきたことを僕は知っている。
 当初は、一スポーツライターとしてレッズを見ていたのが、明らかに「身内」意識が強くなってきた。いや、もはや身内と呼んでも問題ないと思っている。それは選手、サポーター、スタッフなど多くの「REDS」と接するうちに、自然にそうなってきたのだろう。浦和レッズとは周りの人間を巻き込んでしまうような、そういうクラブなんだなあ、とつくづく思う。
 それでいながら、僕のようなズブズブのレッズレッズした文章ではなく、積み上げた事実に若干の自分の意見を加えて論証していくような彼の原稿はすごい。客観的な書き方だけに説得力がある。いつも、軽い(時に大きな)嫉妬を覚えながら、「ま、俺は3分の1ライターだから」と自分を納得させている僕だ。
(2007年1月15日)
〈EXTRA〉
 奥さんとは昨年の秋に入籍したが、選手同様シーズン中は忙しい身、特に土日は無理ということで、結婚式と披露宴は年明けになった。光栄にも招待にあずかったので僕も出させてもらったが、ふだんならこういうときに必ず持って行くカメラを置いていった。ふだん仕事だけで付き合っている小齋秀樹と、まったくの友人気分で接したかったからだ(友人だからカメラを持って行く、という考えもあるが)。
 なので披露する写真はない。これを見て想像しておくれ。
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