Weps うち明け話 文:清尾 淳

#378(通算#743)

消せない録画

 僕は基本的にテレビっ子だ。もうすぐ56歳になるというのに「子」はないかもしれないが、テレビおっさん、という言葉はないから仕方がない。何かを見るためにテレビをつけるのではなく、テレビをつけてから何を見るか探す。探しても何も見るものがないときはDVDレコーダーで録画を見る。そんな性格だ。

 

 ところでDVDレコーダーの容量がいっぱいになり、整理しても追いつかない。試合の前日になると、何かの録画を急いで見て消去して空き容量を作ることもしばしばだ。

 もちろん、まとめてディスクに落としてはいるのだが、ディスクに落として保存するほどではなく、さりとて見ずに消すのは引っかかる、という「NEW」のついたタイトルがいっぱいある。つまりは録画した番組の総時間に比べて、録画を見る時間が圧倒的に少ないということで、これでは容量が5テラ、10テラあるDVDレコーダーを買ったとしても、早晩同じことになるのは見えている。きっと一生見ないで終わってしまう録画がいっぱいあるに違いない。

 と思いつつ、また番組表を見て録画予約をしてしまう。本を買っただけで半分読んだ気になり、そのままにしておく「積読(つんどく)」の映像版だな、こりゃ。

 だが「NEW」の字がついておらず、もう何度か見たものなのに、消しもせずディスクに落としもしないタイトルがいくつかある。何だと思いますか。

 

 録画の日付は2011年3月12日、20日、29日、4月10日、16日…。

 あの大震災の日から数日、数週間、数か月後のテレビ番組だ。ニュース番組もあるが、そうでないものが多い。むしろ、そうでない番組のとき画面の横や上に固定された情報コーナー、あるいは番組の前後に流れるCM、いやコマーシャル・メッセージではなく公共広告機構の映像が繰り返される画面を見ると、僕は簡単に2年前の気持ちに戻れる。

 10日ほど前から、東日本大震災と、その後の復興(の遅れ)を検証するテレビ番組がかなりあった。それらはそれらで大事なことを伝えてくれたと思うが、あのときの気持ちに戻るなら、当時の録画を見るだけでいい。

 

 僕なりに、あの時期のことを振り返ると、それまでの人生で一番心穏やかではない日々でありながら、それまでの人生で一番誰かに対して優しくなれた日々だった。自分より悪条件にある人たちのためになるなら、多少の犠牲など全く厭わないという気持ちになった日々だった。他人のために自分にできることは何があるのか、真剣に考えた日々だった。おそらく日本中がそうだったのではないか。

 あれから、2年間ずっとその心を持ち続けていたかというと、違う。直接の被災者でない自分は、徐々に衝撃が薄まり、被災地、被災者のための行動も、何かの機会がないとしなくなっていった。以前は、その機会を積極的に探していたというのに。

 復興に関して、自分にできることがあれば、今でもやる気はあるが、現実には目の前の仕事(特に今はムチャクチャ忙しい)に追われて、積極的に何かを探すことはできない。

 だけど、気持ちだけでもあの日の自分に立ち戻るために、あのタイトルはDVDレコーダーから消せないのだ。見ようと思ったらすぐに見るために、ディスクに落とすこともしないのだ。

(2013年3月22日)

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