Weps うち明け話 文:清尾 淳

#407(通算#772)

取締役

 株式会社清風庵というのが僕の会社で、2008年2月に設立した。
 2005年2月に埼玉新聞社を辞めて独立し、2007年までの3年間は、清風庵という個人事業だった。07年までもいろんな人に手伝ってもらいながらやっていたが、単発、短期でなく恒常的に働いてもらうには社会保険などをきちんとした方がいいから、会社にした。間違っても社長という肩書が欲しかったわけではない(笑)。
 会社の経営というものにそれまでまったく興味がなかったのだが、ある知人に言われた。たとえ個人会社でも株を全部自分が持つのではなく、分散して誰かに持ってもらった方がいい。取締役も家族だけにするのではなく、誰かきちんとした人になってもらった方がいい。それが、社会的に責任を負って、ちゃんと仕事をしていきますよ、という意思表示だ、と。

 同じく埼玉新聞社を10数年前に辞めて起業した友人の勧めにしたがうことにした。問題は株を誰に持ってもらい、誰を取締役になってもらうかだ。株主は、利子がつかない預金をするつもりで、と何とか5人にお願いした(できれば配当もしたいのだが、ままならない)。
 さて取締役は誰に…、と頭をひねったときに浮かんだ人がいた。
 森孝慈さん。
 
 06年の1月にレッズのGMを辞した森さんは、その後いろんな会社や団体の顧問や相談役、理事に名を連ねていた。周りが放っておかない人なのだ。そんな中で、僕の会社ごときの役員になど、なってくれるはずがないのだが、駄目モトでお願いしてみた。
 やはり無理だった。だがニベもなく断られたわけではない。
「実はねえ、この春からある公共団体の役職に就くことになっているんだよ。だから民間会社の取締役をやっていていいのかどうか、ちょっと聞いてみないと」
 という返事だった。だからNGというわけではなかったのだが、森さんを煩わせることが申し訳なかったので、この時点でお願いは撤回した。
  
 会社の取締役として森さんを思い浮かべた理由。
 レッズの仕事をするのに、その方が有利だろう。いろんな人脈をお借りできるだろう。
 そんなことはまったく考えなかった。何かをしてもらおうという気はなかった。取締役会(そんなもの、今もないが)に出てきてくれなくてもよかった。森さんが取締役としていてくれるだけで、自分が人間としてのまっとうな道を踏み外さないで済むのではないか、と考えたのだ。

 もし本当に「株式会社清風庵 森孝慈取締役」が誕生していたら…。きっと、森さんに社長になってもらって、僕は平取になっていただろう、うん。その方がはるかに座りがいい。
 それはともかく、何かをしてもらおうという気はなかった、といっても、たまには雑談を交わしていただきに行ったかもしれないし、ときには深刻な相談もしただろう。
 さしずめ一昨日、日曜日の夜もお邪魔していたのではないか。フロンターレに0-4。去年のガンバに0-5で負けたときよりも衝撃が大きいように思えるのは何故か。水曜日のマリノスとの試合。どんなMDPにして、埼スタに来るファン・サポーターを鼓舞すればいいのか。お聞きすることはいっぱいあった。

 だが、もう相談はできない。自分で考えるしかない。もしご存命で、相談できたとしても「そりゃ、あんたが考えて決めるのが一番いいよ。ずっと、そうやってきたんだろう」と言われるような気がする。
 それでも森さんに相談して決めた、その安心感はあっただろう。そんな方だった。

 亡くなられて明日で2年。
 これからも心の中で勝手に相談させてもらいます。

EXTRA
 僕がサラリーマンを辞めてフリーになるとき、当時森さんはレッズのGMだったから、当然ながらその前後のいきさつも薄々は察しておられたようで、僕が好んで独立するのではないこともご存じだった。だから「おめでとう」ではなく「大丈夫か」という声をかけていただいたのを覚えている。
 GM中は、前節の振り返りと今節への意気込みを毎回お聞きしてMDPに載せていた。今だったら?

★マリノス戦は、フロンターレに負けた分まで大勝したいですね。
GM うん、勝たなくてはならない、というのはもちろんですが、この試合が0-4から始まるわけではないのですから、5点、6点取らなければいけないと気負う必要はありません。自分たちのサッカーをしっかりして、勝つ。そのことが一番大事です。 
  
 こんな感じかな。

(2013年7月16日)

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