#821
今さら三部作②
Jリーグの試合で、どちらのチームの応援でもなく、スタジアムに来ている人はどれくらいいるのだろう。5月17日の浦和-C大阪戦などは、フォルランを見に、という人がだいぶいたかもしれないが、通常だとどうなのか。おそらく、どちらかのチームのファン・サポーター、あるいはその友人という人が大部分なのではないか。
J2の愛媛対讃岐戦で、愛媛サポーターが、日本語に訳すと「讃岐は邪魔」という意味になる(スペルが間違っていなければ)横断幕を出したことが話題になっている。ずいぶん直接的な表現だが、僕は両チームの因縁とか四国各県同士のライバル意識については知識がないので、このダンマクについて何も言うことはない。
だけど気になることがある。
一つは、この件についてJリーグの村井チェアマンが発表したコメントの内容。
「スタジアム内外での掲示物等のメッセージは、それに触れる方々が共感し、感動を共有できるものにしましょう」という、くだりがある。
両チームどちらかのファン・サポーターが、多くを占めるスタジアムで、みんなが共感し感動を共有できるメッセージとはどんなものなのか。今のタイミングなら「頑張れ日本代表!」というのは、誰も不快に思わず共感するところかもしれないが、それは試合には関係がない。チェアマンも「人が仲間意識を持って集うところには、ときに一方で他者を排除するという意識が生まれてしまうということがあります」とも述べているが、勝負とはまさにそういうものではないのだろうか。
自分のチームだけ応援していればいい、相手のことには触れるな。
そういうことなのかもしれないが、正直に言えば、それでは面白くない。
僕は「たたかう」というとき、場合によって漢字を使い分けている。
選手がプレーするのは「戦う」。
サポーターがスタンドで応援するのは「闘う」。
何が違うのかと言えば、前者はピッチ上での直接の「たたかい」であるのに対し、後者は相手との直接的なコンタクトがない精神的な「たたかい」。もちろん後者の闘いも、90分終われば肉体的にも相当ハードなものであると思うが、相手サポーターとのフィジカルコンタクトはない。その制限の中で闘うための武器と言えば、声や文字、ということになる。それがときとして相手チームや相手サポーターを揶揄することになっても、それを奨励はしないがギリギリ「セーフ」だと思う。
もちろん、それが差別や誹謗中傷の範疇に入ってしまっては絶対にいけないし、単なる悪口でも度合いというものがある。その境界線、「こりゃ、やりすぎだろ」という部類なのか、その一歩手前なのか、というラインは人によって違うから、やってしまって大顰蹙を買うこともあるだろうし、大ウケすることもあるだろう。そこの難しさはある。
だが初めから、相手のことには触れない、とか「お互いに正々堂々と闘おう」という品行方正なダンマクのみ可、というのでは、サッカーらしくない、と思えてならないのだ。
99年の後半、レッズは相手サポーターから「J2」というダンマクやゲーフラを何度も掲げられた。もちろん非常にムカついたが「あんなのは許せない。やめさせろ」とは言わなかった。「今に見てろよ」とは思ったが。
また93年のJリーグ初年度には、レッズを評して「Jリーグのお荷物」という屈辱的な揶揄があった。スポーツ新聞はもちろん、川淵三郎チェアマンも、その言葉を使っていたはずだ。そのときは「何言ってんの。どこかが最下位になるんだし、レッズサポーターはアウェイにも大勢行って他クラブの経営に貢献してるじゃないか。金を落として勝利まで進呈して、お荷物どころかお客さんだろ!と思ったが、その表現を禁止してくれとは思わなかった。やはり「今に見てろよ」と思った。
悪口に悪口で返しては、自分も相手と同じレベルに下がってしまう。悪口を言う相手の口を強制的にふさぐのは、負けたような気持ちになる。
悪口に対しては、それが的外れであることを現実で示す。悪口を言った方が恥ずかしくなるように自分たちを高める。ちょっとカッコつけすぎかもしれないが、それが効果的だと思う。
何言ってんだ。レッズのせいで、こんなことになっているんじゃないか。
そう感じる他クラブのサポーターは多いだろう。
たしかにレッズのオフィシャルの仕事をしている者が、今のタイミングでこんなことを言っていいのか、と思わなくはない。
だけど、差別的横断幕の再発防止、差別撲滅の流れの中で、相手への悪口などが自粛されるのは仕方ないにしても、すべて「禁止」という方向になっていくのは、スタジアムが面白くなくなっていくことにつながらないか。そのうち、悪口とまでは言えない、機知に富んだ相手へのおちょくりまでも排される対象になるかもしれない。
そもそも、アングラな部分がたまにちょっと顔を出す、という現象まで、あれは良いとか悪いとか、公に議論するものではないように思う。
それが、気なることの二つ目で、チェアマンがこういうことに、いちいちコメントしない方がいいんじゃないかと思うのだ。チェアマンが言及するというのは、公の議論にするということになるし、アングラな部分を公の場に引っぱり出したら、NGと言うしかないだろう。アングラはアングラのままで処理する、ということが現実世界では必要なのではないかと思う。
EXTRA
上記が、5月22日の試写会の前に書いたコラム。
アップしなかった理由は、「レッズのオフィシャルの仕事をしている者が、今のタイミングでこんなことを言っていいのか、と思わなくはない」という部分ではない。そこは割り切って考えている。
なぜアップしなかったかというと、「アングラはアングラのままで処理する、ということが現実世界では必要なのではないかと思う」というところだ。このコラムとチェアマンのコメントではレベルが違いすぎるにしても、「アングラな部分をいちいち公の場に引っ張り出すのはいかがなものか」と言うなら、僕も黙っていた方がいいんじゃないか。そう思ったからだ。
では、なぜ今さらアップするのか。
先日、ある雑誌からMDP編集長としての取材を受けた。その中で雑談的に上記の話になったのだが、インタビュアーに「清尾さんが、その問題を書くのは難しいでしょう」と言われたことで、逆にアップする気になった。へそ曲がりだからではない。世間から、ああいう問題を起こしたレッズは、サポーターもクラブもオフィシャルライターも、しばらくは何も言う資格がないと思われているなら、それは違う、と言いたいからだ。
(2014年6月18日)