Weps うち明け話 文:清尾 淳

#824

2010年に埋めた木の実

 山田暢久引退試合MDPの準備は、6月1日の名古屋戦の前から始めていたこともあり、正直なところ、山田の引退→引退試合→MDP作りと、原口の移籍→ラストゲーム→写真展の用意、という2つのことが意識の中でごっちゃになっていた。レッズの中で大きな位置を占めていた2人がいなくなる、ということは同じなので、そうなってしまったのだろう。

 だから6月1日以降、もっと原口に関した話を書こうと思っていた気持ちが、山田のMDPを作っているうちに、少し解消されてしまっていた。薄れてきたのではなく、実行してきたかのような錯覚に陥ったのだ。一週間の仕事のスケジュールをきっちり立てると、それだけで仕事の半分を済ませたかのような気持ちになるのと同じか。

 と言い訳したあとで、本題。
 リスが、いつか食べるために土に埋めておいた木の実の何割かが忘れられ、それが新しい木になっていくそうだが、この話もそんな感じだ。
 まずは2010年に書いた「#250」を読んで欲しい。
 あの文末に「数年後、彼らの中でレッズでプロになった選手に、『中3のときボールボーイをやって、峻希、宇賀神、原口で取ったゴールのことを覚えていますか』と聞くのが楽しみだ」とある。
 あのときのジュニアユースの選手の一人が関根貴大だ。

 当時の原口は、休日に自主トレをやっていた。5月5日の名古屋戦でゴールを決めて以来、リーグ戦でもナビスコ杯でも得点がなく、納得のいくパフォーマンスが出せない中で、通常の練習だけでは満足できなかったのだろう。だが当時のフィンケ監督は、基本的に居残り練習はなしで休みはしっかり休め、という方針だったから、休日返上の自主トレなどもやれなかった。だから監督には内緒で、休業となる月曜日のレッズランドを借りて、シュート練習を中心にボールを蹴っていた。
 そして迎えたのが「#250」にある、10月16日のC大阪戦だった。

 苦しみ、悩み、自分の身体を苛めて、その末に生まれた会心のゴール。原口本人にとってもレッズで挙げたゴールのうち、2011年アウェイ大宮戦での「倒れながらゴール」と並んで印象深いものだったという。
 関根たちは、もちろんそんな背景は知らない。だが目の前でジュニアユースの先輩が挙げたゴールは目に焼きついた。
「埼スタのスタンドで試合を見たことはあるけど、ピッチにいるとこんなにすごい雰囲気なんだ、というのが初めてわかった」と現在の関根。そして「元気くんのゴールはきれいだったし、そのときの盛り上がりがまたすごかった」と振り返っている。
 5か月ぶりのゴールがジュニアユースの後輩たちの目の前で決まった、というのは、原口も関根も「持っていた」のだろう。

 ジュニアユースの選手たちがボールボーイをやることは年に一度、あるかないか。その試合で必ずレッズが良い試合をできるとは限らないし、そこで育成出身の選手が活躍する保証もない。
 だが、もしも次にその機会があったら、ぜひ後輩たちに雄姿を見せてやって欲しい。そして、それを目撃した中学生たちの中から、4年後の埼スタのピッチで、同じユニフォーム(デザインは違うが)を着て立っている選手が出てきて欲しい。

 そしたらまた、こんなコラムが書ける。

EXTRA
 もし今季、関根がトップに昇格していなかったら、この#824は書けなかった。木の実は土の中で発芽して次の樹木になるが、この話は4年間温めていても、何にもならなくなる。あのとき自分は、きっとこういう話を書ける日が来ると信じていた。それが原口の移籍後になるとは思わなかったが。
 ただ個人的に残念なのはレッズに昇格したのが、関根一人だったこと。2010年の中学3年生たちは、いろんなスケジュールのめぐり合わせもあって、僕自身が一番取材に行った年代だったし、レッズのエンブレムをつけて戦うことの意味、仲間を大切にすることの大事さ、そして常に上のステージを目指している選手たちだった(#270参照)。もちろん、それだけでレッズのトップチームに上がれるわけではない。今はいろいろな道に進んでいる彼らと、また共に頂点を目指す仲間として再会できたら、こんな幸せなことはない。そのときに顔を忘れないよう、何人か掲載しておこう。

(2014年6月28日)

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