Weps うち明け話 文:清尾 淳

#837

「自由」の変化


 かつてクラブは、応援の内容ややり方はもちろん、自由席の入場順の決め方なども含め、サポーターがスタジアムで行うことに極力口は出さず、クラブの協力が必要な場合、特別措置が必要な場合には、その都度対応してきた。
 決して手を抜くためではなく、その方が自由な発想による多彩な行動ができるからだ。そしてルールを決めるときにも、より大勢が納得する形ででき上がるからだ。

 そのことは一面において大きな成功を収めてきた。
 駒場時代は、指定席のチケットを持っている人が自由席(ほとんどが立ち見)で一緒に応援したがるため、自由席の入り口にチケットチェック係を置かなくてはならないほどだった。多くの人が、レッズのゴール裏での応援に興味を持ち、それが共感になり、誇りになっていった。それは本拠地が埼スタに移っても変わらず、日本一の応援風景を作り出していった。
 浦和レッズの応援が素晴らしいのはサポーターが頑張ってきたからで、クラブはそれに乗っかっているだけ、という見方をする人もいるが、それは違う。浦和レッズ設立当時から一貫してきた「応援はサポーター自身の手で」「応援のルール作りもサポーター自身の手で」というスタンスがなければ、どうなっていたかわからない。

 一方、問題も起こり、そこへの対処も簡単ではなかった。
 自由が、ただ自由というまままエスカレートすると、「応援」という枠をはみ出た行動につながる。
 試合中、審判にコインを投げつける。判定が気に入らないとモノを投げ込む。フェンスを飛び越えてグラウンドに降りる。スタンドで発炎筒を炊く。駒場では認められている紙吹雪と共にトイレットペーパーを投げる。相手選手を追い掛け回す…。細かいものまで全部書いていくとキリがないので止める。
 いろんなルールを逸脱する行為が出てきた。その中には「応援の気持ちの行きすぎ」の範疇に入るものもあれば、そうとは思えないものもあった。
 だが概して言えば、駒場時代には、やっている本人が自分の行為がルールを逸脱しているものであり何らかのペナルティーがあることを覚悟していることが多かったと思う。実際にペナルティーを受けるサポーターも多かった。そして「これは、やってはいけないこと」というデッドラインだけは守られていたように思う。

 しかし自由の概念は、一個人の中でも時代と共に変化していく。ましてや埼スタに移り、新しいサポーターがどんどん入ってきた2002年以降、自由の概念そのものが変化してきたのではないだろうか。
 おかしな表現だが「わきまえてルールを踏み越えていた」先輩サポーターの、姿だけを真似て精神は受け継いで来なかったサポーターが増えてきたのではないかと思う。

 ところで、言うまでもなく、これらは一部のサポーターに関することだ。そしてその一部のサポーターというのは、応援の中心部隊となってきたサポーターグループの一部、ということだ。

 そこに対してクラブが適切な対応をして来なかったことは間違いない。もちろん野放図に見ていただけではなく、責任者と何度も話をし、約束もしてきたと言う。だが、心情的な部分として、「応援であんなに頑張っているんだから」、いくらルールを逸脱することがあっても排除や否定はしたくない、というものがあったことは間違いない。

 それが今回の差別的横断幕事件にもつながった。
 
 ここへ来て、クラブもサポーターとの関係を見直さなければならない、と決断した。その第一弾の表明が、いくつかの禁止であり、太鼓の届出制だ。そして、今もそれが続いている。

 明日に続きます。

(2014年9月25日)

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