Weps うち明け話 文:清尾 淳

#842

テンポ


 また1日2本で申し訳ない。

 小学生のころ、「世界残酷物語」という洋画があった。
 映画そのものを見てはいない。たぶん、今で言うR指定だったと思うし、子どものころは、そういうタイトルのモノを見るのが苦手だった(今でも得意かと聞かれればNOだ)。
 見てもいないのに、何で知っているかというと、中学生になって聴き始めたラジオの深夜放送で流れていた、その主題曲「モア」がとても美しくて、映画の邦題とはとうてい結びつかないイメージだったからだと思う。

 円広志の「夢想花」が日本で大ヒットしたのは、僕が大学生のころだった。
 何回も繰り返される「とんで」という歌詞が話題になったが、僕はそれよりも歌い出しのメロディが好きだった。
 ヒットが終わって何年も経ってから、ということは僕がもう社会人になっていたか、大学生の最後ころなのだろうが、何気なく聴いていたラジオから「モア」が流れてきた。正確に言うと、「モア」がかかるということになり、曲が始まる前にラジオのパーソナリティーがこう言ったのだ。
「それでは世界残酷物語から『モア』をお送りします。円広志の『夢想花』の早回しではありません」
 曲が始まった。
 ♪ラ~ララ ラ~ラ~ラ~ラ~ ラ~ラ~ラ~♪
 思わず吹き出した。
 たしかに似ている。たぶん2小節までだがメロディの進行はほぼ同じだろう。だがテンポが全く違う。編曲ももちろん違う。だから両方の曲を知っていても、そのときまで似ているとは感じなかった。今でもパクリなどとは思っていない。たとえメロディ進行が似ていたとしても、別の曲として立派に成立している。

 これまでずっと思っていたが、俺の言うべきことじゃない、と書くのがはばかられたこと。でも、多くのサポーターがおそらく同じように感じていることを、この際、思い切って書く。

 最近のレッズの応援は、どうしてあんなにテンポが速いんだろう。

 今季、太鼓がなくなってからのことじゃない。数年前からずっと感じていた。じゃあ、チャントのテンポを決めるはずの太鼓が速すぎたということか。そうではないと思う。聴いていると、太鼓が叩くリズムと、それに続くチャントのリズムが全く違っていたと思う。
 一度、試合前に古い試合のDVDでもオーロラビジョンで放映してもらって、そこに流れている「浦和レッズコール」や「ウォリアー」「威風堂々」「好きにならずにいられない」などが、かつてはどんなテンポで歌われていたか、そして、それがどんなにカッコ良く、迫力があるか、思い出してもらうといいのではないか。いや、それだと僕の嫌いな、クラブが応援の指図をすることになってしまうな。
 CDを借りるなりYOU TUBEで探すなりして、「威風堂々」「好きにならずにいられない」を聴いてみるのもいいだろう。かつては原曲と同じようなテンポで歌われていたからだ。ただし「好きにならずにいられない」はUB40ではなく、エルビス・プレスリーで聴いた方がいいと思う。
 
 こんな話をすると多くのサポーターが「そう感じている」と言う。しかし試合になると、速さに引っ張られてしまうようだ。応援というのは、何をいつ発信するかということが大事だが、それに合わせる多くの人がなくては成り立たない、という証明のようなものだ。
 だから、いくら応援の発信源の人たちが努力しても、スタジアムに集う人たちのほとんどがそう思わなければ、チャントの速さは元に戻らないように思う。実際、今までも努力してきたはずだから。
 これもハードルの一つなのではないか。そして、これまでのようにスタンドで発信するときに、努力するだけでは改善されないのなら、違う形の努力をしないとハードルは越えられないだろう。

 逆に言えば、そのための努力をすることは、レッズの新しい応援を構築していくという決意を示すことにもなると思う。
EXTRA
 僕の好き嫌いなどどうでもいいが、言わせてもらえば「ウォリアー」が大好きだ。
 あの応援のすごいところは、間(ま)だ。
 リーダーが発声したコールのあと、何秒かの間があって、全体が唱和する(吼える、と言ったほうが良いか)。その間の静寂が素晴らしい。そして、太鼓の合図などなくても全体が同じタイミングで吼えることで、その前の静寂を引き立てている。
 あの間があってこそ、ほかのどこにもないレッズの素晴らしい応援の一つだと言える。

(2014年10月9日)

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