Weps うち明け話 文:清尾 淳

#928

久しぶりに

 帯広に行ったのは過去に一度だけ。1997年の夏から秋にかけてだったと思うが、レッズがキャンプを行ったことがあり、場所は今回の日本クラブユース選手権(U-15)のメーン会場となっている帯広の森運動公園の中の陸上競技場だった。当時はあまりたくさんの施設はなく、陸上競技場と野球場ぐらいではなかったかと記憶しているが、定かではない。
 8月23日の準決勝でレッズジュニアユースが勝ち、24日の決勝に進んでいたら、会場はその陸上競技場だったから、20年前の記憶が蘇ったかもしれない。だが残念ながらジュニアユースは準決勝でサガン鳥栖U-15に敗れた。先行されて追い付き、勝ち越されてまた追い付きと、感動的な粘りを見せ、三たび勝ち越されてもあきらめずに戦い続けたが、最後は力尽きた。決勝の取材に備えて、確保しておいた飛行機の予約を払い戻したとき、何度目かの無念さを味わった。

 帯広も久しぶりだったのだが、コラムのタイトルにするほどの思い入れがあるわけではない。
 本当に「久しぶり」を実感したのは、ジュニアユースの試合を取材してから、夜にトップチームの試合も取材する。その二毛作のような仕事の仕方だ。
 かつては午前中、あるいは午後の早い時間にユース、ジュニアユースの試合を取材し、それからトップの試合へ行く、というのはよくあった。育成の試合は1年を通してほぼ午前中または昼間だし、夏であればトップチームはナイターだから、レッズランド→駒場(埼スタ)とか駒場→埼スタなどは普通のことだったし、ときにはJヴィレッジなど県外の会場から埼スタへ、あるいはレッズランドや駒場に行ってから、等々力や日産スタジアム、ときには長居へ行くこともあった。レッズランド→駒場→埼スタというトリプル取材も時間的に可能ならば、そうしていた。すごく得した気分だった。まあ、同様の動きをしていたサポーターも少なくなかったから、自慢するものでもない。

 かつては、トップだけでなく、レッズファミリーの試合も行けるものは行く。そう決めていたし、実践していた。
 月に一度ぐらいの頻度で発行していた、ユース、ジュニアユースの活動を紹介する印刷媒体「Little Diamonds」がそのきっかけだった。
 今でも思い出す。あれは大山俊輔や中村祐也が高校3年生だった2004年の途中、Jリーグのアウェイの試合会場だった。「ユース、ジュニアユースの活動状況を保護者や興味のあるサポーターに伝える媒体を発行したい」という相談をクラブから受けた。ちょうどそのとき配られていた現地のマッチデープログラムがA4判4ページで、それを見ながら「このぐらいの体裁で、1か月か2か月に1回ぐらい。材料は用意するから清尾さんはまとめてくれるだけでいい」と言われ、それくらいなら、と受けてしまった。
 引き受けたのは良いが、材料が提供されたのは最初の1回だけ。それ以降は、僕が取材に行くしかなかった。それまでは、全国大会の決勝あるいは準決勝に進んだら取材に行ってMDPに掲載するぐらいだったが、取材に行く回数が格段に増えた。そうしないと、「Little Diamonds」が記録だけのものになってしまって読みにくいし、おもしろくないからだ。もちろんMDPにも育成の試合の写真が多く載るようになった。

 翌2005年にはレッズレディースも誕生したし、ジュニアユースが日本クラブユース選手権と高円宮杯全日本ユース選手権の2冠を獲るなど、取材自体が楽しくなっていった。掲載のための取材だったが、そのうち考えが変わってきた。
 試合をカメラマンが撮影すること。試合後、選手たちに話を聞くこと。あるいは全国大会の前に全員に抱負を聞いて載せること。それが選手たちの励ましになっているのではないか。
 そして、全公式戦はとうてい無理だが、すぐに広報物に掲載することがなくても、なるべく多くの試合を写真として残しておくことは、クラブとして必要なことなのではないか。大きなお世話かしれないが。
 僕は埼玉新聞社を辞めたばかりで、動きや経費の使い方が自分で決められるようになった、ということもあったので、とにかく行ける限りの試合に行って写真を撮った。せっかくだから、速報としてオフィシャルサイトに試合の写真も載せてもらうようにした。
 そんなふうに撮っていたものがあったから、原口元気が2014年にドイツへ行くとき、ジュニアユース時代からの写真展もできたのだった。

 最近はほとんど「ハシゴ」取材をやっていなかった。
 一時は2人でやっていた会社が、今は自分一人になったこともある。「Little Diamonds」が廃刊になったこともある。おそらく年齢のこともあるだろう。
 じゃあ、他の誰かが代わってやっているかというと、そうではない。気にはなっていたのだが。

 今回の「ハシゴ」は結果として大変だった。
 ジュニアユースの試合は11時からで、もし延長になっても13時すぎには終わり、夜の試合は19時から等々力でのACL川崎戦だったので、飛行機で往復すれば余裕で間に合うはずだった。「帯広まで日帰りって大変じゃないの?」と言われたが、どんなに遠くても、飛行機が運んでくれるのだから、本来それほど問題ではない。
 しかし予定では16時15分羽田到着だった帰りの便が遅れて17時ごろになった。混んでいる時間帯に大きな撮影機材を持って電車に乗るのは無理なので、等々力まで品川経由にし、品川駅のコインロッカーに荷物を入れたのが18時前。ふだんは、その時間帯に、あの路線に乗ることがないから、あれほどのラッシュだとは想像していなかった。最初の電車には積み残され、列の先頭で待っていた次の電車は、車両が短くて自分の前を通り過ぎ、先頭で待っていた意味がなくなって、やはり積み残された。このまま品川駅でキックオフを迎えるのではないかという恐怖も一瞬感じたが、3本目の電車には何とか乗れて、武蔵小杉駅の北改札を出たのが18時40分。さすがにタクシーを探したが見当たらないので、徒歩でスタジアムに行き、キックオフ直後に記者席に着いた。

 以前「ハシゴ」をして2試合とも勝ったときもあるが、2試合とも負けたこともある。だが、これほど肉体的にも精神的にも疲れた「連敗」は初めてだった。
 久しぶりに、あんなことをしたのがいけないのだと思う。

 だから、久しぶりにならないようにしようと思い始めている。

(2017年8月25日)

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