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Weps うち明け話
#137
僕なら…
 先週、昨年のACL優勝〜CWC3位で、浦和レッズの知名度が急速に上がったことを書いた。テレビ局のサッカー番組以外でこんなにレッズが話題になったことはかつてなかったと思う。
 もう一つ。これもおそらくCWCに出場したればこそ、の現象があるようだ。レッズサポーターについて、少なくないジャーナリストが深く言及していることだ。果たして全部に目を通せているのか自信がないが、僕がそれらを読んだ感想は「ははあ、なるほどな」というものだった。彼らの論じることが正鵠を射ているという「なるほどな」ではない。レッズサポーターのことをろくろく知りもせず、ただCWCの数試合(多くは準決勝のミラン戦1試合についてだが)だけを見て、何か書こうとしたら、こんな程度になってしまうのだろうな、という意味だ。

 まず「ミラン戦でマルディーニが途中出場したときに、拍手せずにブーイングしたのはとんでもない」という趣旨のもの。いや、そう言われましても…。
 マルディーニがどんなに素晴らしいプレーヤーであっても、あの日産スタジアムにいた多くのレッズサポーターが事前にそれを知っているべきで、彼に敬意を払うべきだ、というのはいかがなものか。
 仮定の話だが、Jリーグ最終節で横浜FCとレッズが対戦した後に、引退を表明していた山口素弘選手が場内を一周したら、レッズサポーターの多くは拍手とねぎらいのコールを送っていただろう。現実には最終節で横浜FCに敗れ、優勝を逃した後に、そういうセレモニーがあっても、そんな気にはならなかったと思うが。つまり、素晴らしい選手に対するリスペクトの気持ちは十分、持っているけれど、心に余裕がないときにもそれを表明できるほど割り切れるものでもない、ということだ。さらに、試合の直前や最中には、その選手の能力が高ければ高いほど(知名度とイコールの場合が多いが)レッズサポーターは大きなブーイングを浴びせる、ということもある。
 まあ、この記者にそこまで知っていてくれよ、というのは無理があるだろうが、それを抜きにしても、自分の基準だけ振りかざしたこの論調は引っかかる。そこまで言うなら、浦和レッズ一筋に14年間プレーした最古参の選手で、J1出場数374(歴代6位)で、キャプテンを務めた4年間に多くのカップ、トロフィーを掲げ、Jリーグの終盤でケガを負ったためにしばらく欠場していた山田暢久が、後半30分過ぎに途中出場したとき、あなたは記者席で拍手したのか?と聞きたい。

 次に対談で「試合の内容にかかわらず、ずっと同じ応援をダラダラ続けている応援では世界に通用しない」というものもあった。僕の知る限り、レッズサポーターは試合の流れに応じてコールなどに変化をつけていると思う。少なくとも、何の意味もなくただ同じコールを続けるようなことはしない。するならするで、それには何かの理由がある。そしてその理由をいちいち説明しながらコールすることはしない。
 試合の流れに沿った応援というのもあるが、シーズンの流れを考えた応援、というものもある。リーグ戦などで、前節、前々節の結果や試合内容を踏まえて、その試合の応援に入っていくというものだ。たとえば前の試合で1点を目指して最後までコールを続けたがついに実らず引き分けや負けになった場合、次の試合でもいきなりそれと同じコールから入る、みたいなこともある。応援、と言っていいかどうかわからないが、前節の試合ぶりへの不満からか、旗をつけないポールだけがフェンスに立てかけられ、応援のコールが一切ない、ということもあった。いずれも、前の試合からの流れを知らなければ、奇異に感じるかもしれない。
 レッズサポーターのコールは、主としてレッズの選手たちに対して送られるものであり、場合によっては味方サポーター全体を励まし、相手サポーターを圧倒させる意味も込めているが、少なくとも取材者に対して披露するためのものではない。その日の応援がどうだったかはサポーター自身が判断すればいいし、その中で批判や反省もあるだろう。そしてあの試合の一番の反省が、勝てなかったことであることは容易に想像がつく。たとえ応援を褒めちぎられても、誰も満足などしないはずだ。

 レッズの応援スタイルは世界のスタンダードではない。Jリーグのサポーターはもっと試合を見ることを重視した方がいい」というコラムもあった。
ゴール裏に陣取る多くのJリーグのサポーターは、立ち上がって声を出すためにそこにいる。バックスタンドやメーンスタンドは声を出せても立ち上がるのは憚られるからだ。初めから試合を見ることよりもチームを応援することを重視している者たちに向かって「君らは試合を見ることをおろそかにしている」と指摘しても、「それが何か?」と言われるだけだろう。
 だが僕は、「チームを勝たせるために来ている」という意識のサポーターたちの試合の見方は、ある意味でより真剣だと思う。
 「観客」ならばは受け身でいい。味方がいいプレーをすれば拍手し、シュートが決まれば喜び、外れればため息をつく。審判のジャッジにブーイングし、時には味方のミスに罵声を飛ばす。目の前で起こったことに反応していれば楽しいと思うし、それがプロスポーツの普通の見方だろう。
 しかしサポーターの多くは、受け身だけではない。そこで起こったことによって、その後どうしていくのかをコールで表現する。たとえば味方がボールを持ったらすぐに攻めてほしいところだが、相手の陣形が整っているときは「ゆっくりいこうぜ」という意味の応援をする。もちろん得点したときには大喜びするが、得点者だけでなくアシストした選手、さらにその起点となった選手にまでさかのぼってコールする。味方がミスをしたら「あ〜あ」とため息が出るのが自然な行為だが、それをグッと我慢して「次だ、次」という意味のコールを送ることもある。失点したときに、すぐにコールを送る、というのはレッズサポーターが真っ先に始めたことだった。失敗が続いてヤジやため息が出そうなときに、それがコールで消されると いうこともしばしばある。試合の流れに乗って見ていれば楽だと思うが、先を読んだり、あるときには流れに逆らって声を出すというのは、ともすれば苦しいのではないか、と思ってしまう。しかし、それを選択する人が少なくないという現実がある。ちなみにここで言う「観客」と「サポーター」は必ずしも「ゴール裏」と「メーンやバック」にはっきりと分かれる訳ではない。少なくともレッズの場合は。
 試合中はスタンドが静かで、何かのプレーがあったときに数万人が一斉に反応する、というのは確かに迫力があるだろう。それが応援のベストだとも決して思わないが、10年、20年後の日本ではそういう現象が起こるかもしれない。しかし、そのときには「世界のスタンダード」はまた変わっているかもしれず、どこかの評論家が「試合中、立ち上がって自己犠牲的に応援するグループがいない日本のサポーターは世界のスタンダードではない」とのたまうかもしれない(笑)。

 こんなふうに、評論家諸氏の言うことにいちいち反論しても始まらない、とは思う。だがこれまで、あまり評論家の間で議論がされてきた訳ではない、サポーターの応援というものについて、よくみなさんそんなに断定的に物が言えるものだ。
 レッズはもちろんのこと、Jリーグのどのサポーターも、どうすればチームが力を百パーセント発揮できるか常に考えてやってきている。そのやり方は千差万別。みんな自分たちのやり方が日本一とも世界一とも思っていないが、自分たちのチームにはこれが今できるベスト、と思っているはずだ。そこで不正行為とか、よほど試合を壊すようなことがない限り、評論家があげつらう必要などないだろう。ましてや誰も検証のしようのない、自分が思う「世界の標準」「世界レベル」を振りかざして。
 日本のサッカーは100年の歴史があるかもしれないが、プロが運営しているJリーグでさえまだ15年だ。何の財政的バックアップもなく自主的に応援している日本のサポーターが15年で、どこまで来ていることをまずは確認してほしい。

 ところで一連の議論の中で、最もあきれたのが対談の中で「自分の愛するクラブが目の前に(で?)木っ端微塵に打ち砕かれているのに、僕なら歌えない」というくだり。たとえば代表戦で高原がシュートを外したときに「僕ならあんなシュートは打たない」と言うジャーナリストはいないだろう。「僕なら」というのは、「僕がそのとき、その場にいて、その立場だったら」ということに他ならず、そういう経験がないのに「僕なら」と仮定して、「どうするこうする」と批判するのは傲慢以外の何物でもない。おそらく、90分間応援のリードを取ることなどやろうと思えば簡単だ、と考えているから、簡単に「僕なら」と言ってしまうんだろうな。
(2008年1月25日)
〈EXTRA〉
 サポーターが飲み屋で試合のテレビ中継を見ながら、「俺なら、あそこで○○を替え るなあ」とが酒の肴にするのとは訳が違う、と書こうとしたけど、あの対談は飲みながらやったようだ…。
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