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Weps うち明け話
#155
日本一
 気がついたら隆正が泣いていた。

 失礼。つい、ふだんの呼び方で書いてしまった。
 8月22日(金)、第13回全日本女子ユース(U−15)選手権の決勝がJヴィレッジで行われ、浦和レッズジュニアユースレディースのU−15チームが初優勝した。

 2001年から2年間、レッズに在籍した渡辺隆正さんは、03年のハートフルクラブ発足時に現役引退をして同コーチになり、池田伸康さん(現在レッズジュニアユースコーチ)とともにハートフルクラブの基盤を作った。子どもと一緒にボールを蹴るときのコーチの笑顔がハートフルクラブの特長だが、その路線はこの2人のコーチが敷いたと言っていい。当初はリーダーの落合弘さんと3人で休みも少ないままあちこち飛び回っていた記憶があるが、新しい事業としてハートフルクラブを始めるときに、レッズはビンゴな人選をしたものだとつくづく思う。
 ハートフルクラブコーチ在任中に「ハートフル体操」を考案するなど活躍した渡辺さんは、07年から浦和レッズジュニアユースレディースのコーチに“異動”になった。レッズジュニアユースレディースは、05年にさいたまレイナスが浦和レッズレディースに移行した際、レイナスの妹分、レイニータFCからそのままレッズレディースの下部組織になったもので13歳以上18歳以下、つまり中学生、高校生の女子のチームだ。浦和レッズの下部組織になってから2年間は、レイニータの監督だった神戸慎太郎さんたちが指導に当たっていた。正直に言えば、ジュニアユースレディースの位置付けがクラブの中で明確になっていなかったと思う。つまりレディースの下部組織として、レディース担当が責任を持つのか、レッズの育成担当が責任を持つのか、ということだ。もちろん指導体制も圧倒的に不足していた。06年の途中でクラブにアカデミーセンターができ、育成の事業により力を入れるようになって、ジュニアユースレディースは、レディースと連動しながら育成担当のアカデミーセンターが責任を持つということになった。指導体制も充実され、まずは渡辺さんが07年からコーチに就任したというわけだ。

 女子は、2種、3種、4種のような年齢によるカテゴリーがなく、大会によりU−18、U−15のような年齢制限がある。だからジュニアユースレディースの練習も年齢によって分けるときがあり、渡辺さんはU−15の選手たちを担当することになった。新体制になった昨年は、新しい試みとして15歳以下でも上の年齢の大会に出ている選手は、そこに専念。U−15の大会にはそれ以外の選手で臨むことになった。ジュニアユースレディースは06年から関東女子リーグに所属しており、そこに出場して、大学生や社会人チームに伍して戦っている15歳以下の選手も多い。その選手たちはU−15のチームからは外れるということだ。それだけ出場機会が多くの選手に与えられるわけで、選手の育成という点では一つの考え方だろう。

 U−15担当コーチということは、U−15の大会では監督だ。渡辺隆正監督はU−15チームを率いて初めて全日本女子ユース(U−15)選手権関東予選に臨んだが、そこで敗れ全国大会出場を果たせなかった。ジュニアユースレディースに所属する15歳以下の選手を全員使えれば結果は違っていたかもしれないが。
 「そういうふうには思いませんでしたね。与えられたところで結果を出すのが僕の仕事ですから、僕の力が足りなかったということです」と渡辺さんは語る。その年の夏、彼はJヴィレッジを訪れ、自分たちが出られなかった全国大会を観戦した。全国大会のレベルはどうなのか。どうすれば出られるのか。自分たちはなぜ出られなかったのか。スタッフとではなく妻と2人。プライベートな時間をそれに使った。
 「全国大会とはどういうものか、見ておかなければ選手に話ができませんからね」
 翌年は必ずチームとともにここへ来る、という決意を高めていったのだろう。

 今季のジュニアユースレディースは15歳以下のフルメンバーでU−15大会に臨んだ。育成は育成で重視するが、タイトルというものにもこだわる、ということだ。6月に行われた関東大会でジュニアユースレディースは勝ち抜き、全国大会に進んだ。Jヴィレッジ入りを数日後に控えた8月13日、渡辺さんは富士登山に出かけた。前日の夜に自宅を出て、5合目まで車で行き、午前2時にスタート。約4時間半かけて頂上にたどり着いた。
 「日本一を目指そうと選手たちには言っていましたから、何か日本一のものに触れたいな、と思っていたんです。富士山に数年前に人に誘われて登ったことがあり、あのご来光に感動したことがありました。それで今回も日本一の山に登って来ようと」
 頂上で約30分間、朝日を浴びながら必勝を祈り、選手やコーチのお守りを買い求めて下山した。帰ってからの練習で、お守りを一人ひとり渡したとき、選手たちは驚き、笑う子もいた。だが、そんな中でも選手たちの雰囲気が微妙に変わったのを感じたという。
 「それまでは、優勝を目指す、と言っていても、何かピリッとしないものを感じていたんです。それが、このときから少し締まったというか」
 コーチは本気だ――。女子中学生たちは、日本一の山に登って自分たちのお守りを買ってくるという、渡辺さんの行動に、自分たちも決意を新たにしたのかもしれない。

 全日本女子ユース(U−15)選手権には、16チームが出場した。4チームずつでグループリーグを行い、各グループ1位のみが勝ち抜上がれる。決勝トーナメントは4チームによる準決勝、決勝のみ。決勝に進んだチームは8月18日(月)から22日(金)までの5日間の連戦となる。ジュニアユースレディースはグループリーグ初戦から準決勝まで、6−0、3−1、3−0、4−1と順調に勝ち上がった。決勝の相手、神村学園中等部サッカー部は、この大会で過去3連覇したチーム。レッズジュニアユースレディースは一昨年の準決勝で神村学園と当たり、1−2で惜敗している。昨年は前述したように出場していない。
 それまでの4試合とは相手が違った。1対1の強さやキックの強さでは互角かあるいは神村が勝っていた部分があったように思う。特にジュニアユースレディースがふだん練習しているのはレッズランドの人工芝のグラウンド。天然芝の、しかも2日前に刈ったというピッチではボールの転がり具合が違い、レッズのパスが弱くなってしまうことがしばしばあった。準決勝まではそれでも相手を圧倒できたが、神村学園相手では難しかった。
 前半0−0。選手たちはハーフタイムに「相手の当たりが強い」「プレッシャーが速い」と率直な感想をもらした。しかし、それは泣き言や繰り言ではなかった。「でもお腹がたるんでる、とか言うんですよ(笑)。彼女たちなりに落ち着いてるんだな、と思いました」
 神村学園を相手に簡単に勝てるとは思わなかったが、特別な対策は取らなかった。しかし前半、中盤でボールを失うことが多いのを見て、後半の途中から4・4・2から3・5・2にして中盤を厚くした。これが当たった。最終ラインからボランチに上がっていた長嶋洸が、中盤でマイボールになったのを見て前線に飛び出し、ロングパスをコントロールしてシュート。ネットを揺らし、決勝点となった。30分ハーフの後半23分だった。

 表彰式の後、選手の集合写真を撮り、さあ話を聞こうと振り返ったら、ジュニアユースレディースの神戸監督の肩に頭をつけて泣いている渡辺さんがいた。
 「去年、関東大会で負けてから1年、神戸監督は僕のやろうとすることを優先に考えて動いてくださいました。感謝の気持ちは言葉で言い表せないくらいです。優勝のあと、顔を見たらいろんな思いがこみ上げてきて、つい…」
 渡辺さんは筑波大学時代に関東リーグで優勝した経験は2回あるが、全国優勝はない。これがサッカー人生で初めて日本一になった日だった。渡辺さんは、富士山への御礼登山にいつ行こうか、いま思案中のはずだ。

(2008年8月29日)
〈EXTRA〉
 決勝が午前10時という早い時間からだったので、22日の写真を23日のMDPに載せるという早業(荒業?印刷のリョーインさん、ごめんなさい)ができた。MDPではトップ以外のレディースやユース、ジュニアユースの活動紹介をするコーナーもあり、ジュニアユースレディースもできる限り載せていこうと思っている。渡辺さんの泣いている写真も、もちろんあるが、本人が必死で止めるので披露できない。代わりに8月23日、レッズのホームゲーム磐田戦の前に優勝報告会があったときの誇らしげな写真を載せておこう。
 なお全日本女子ユース(U−18)選手権もある。現在県大会をやっており、浦和レッズジュニアユースレディースは決勝に進んでいる。県でベスト3が関東大会に進むことになるので、姉妹での全国制覇への道を歩んでいるというわけだ。
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