Weps うち明け話
#160
痛みシリーズ 2・至上命令
 11月25日、キリンビール埼玉統括支社が行っている「キリントークライブ」が浦和であり、幸い時間が取れたので僕も参加した。出演者は信藤さんと福永泰さんで、司会が水内猛さん。テーマは「残り2試合、どう戦うか」だったが、どちらかというと、今季どうしてここまで厳しい状況になってしまったのか、ということに話が集中した。
 その中で信藤さんが語ったいろいろなことは、うなずけることが多かった。やはり選手も監督も解説者も経験している人が言うと、重みが違うなあ、と聞いていた。ただ、その中で一つだけ、こんな説明があった。

 >レッズは2003年以降、毎年タイトルを獲ってきて、急速に強くなってきた。そのタイトルを獲得するということと同時にチームを完成させる必要があった。それも、他のチームが「レッズにはとてもかなわない」と思うような強いチームを。それができたはずなのに、してこなかったことが、いま結果になって表れている…。

 録音していた訳ではないので細かい文言は違うだろうが、だいたいそういう趣旨だった。僕がひっかかったのは「それができたはずなのに」というところだ。他の部分はまったく賛成だが、ここは思わず首をかしげて「そうかあ?」とつぶやいていた。
 信藤さんの言う、「強いチームを完成させる」とは、1年こっきりではなく数年間にわたっての話。つまりはクラブのシステムとして、毎年タイトルを獲りながら、去年よりも今年、今年よりも来年と、年々チームが強くなっていくようにしなくてはいけないということだ。
 そういうことができればいいなあ、とは思うし、確かにそうしていれば今季こういう状態にはなっていないと思う。だけど、あの2003年からの毎年、それが「できたはず」という時期はあっただろうか?

 「毎年優勝争いができるようなチームを3年かけて作る。それまでは早急な結果を求めない」。
 勇ましい目標ではなく堅実な、ビジョンらしいビジョンを浦和レッズが初めて示した2002年。そのビジョン実現のために就任したオフト監督は「プロセスとプロダクツ」という言葉をよく使った。過程があって成果がある。過程なしに成果だけ求めようとしても無理だ。現実的すぎて、鼻白んだこともあったが、納得できる話だった。
 彼の口からは「チャレンジ」という言葉をあまり聞かなかった。オフトの中では、成功率5割以下の攻撃は「無謀」なのかもしれない。「相手がナイフをかざしているところへ飛び込むことはない」とよく言った。彼のサッカーを称して「石橋を叩いて引き返す」と言った人がいたが、引き返してばかりでは点を取れないし勝てない。その表現を生かすとすれば「下に防護ネットを張ってから橋を渡る」という言い方が適切ではないか。
 守備的すぎて面白くない。メンバーを固定しすぎ。などという批判をクラブの内外から受けながら、選手個人は鍛えられ、チームとして、あるいはグループとしての約束事が徹底されていった。チームがはっきりと成長していった時期だった。

 2003年、目標に「優勝」が加わった。
 前年の途中に就任した犬飼代表が「3年も待てない。2年だ」と、それまでのクラブの方針を変更したのだ。ただ期限を切るだけではなく都築、山瀬という補強もした(エジムンドもいたが実質的には不在に等しかった)。オフト監督はその年で契約終了となった。当初計画されていた「プロセス」がどこまで進んだ上での「プロダクツ」だったのかはわからないが、前倒しされた目標は、ナビスコ杯の初優勝という形で一部達成した。リーグ戦は、2ndステージ最終節の一つ前まで優勝の可能性を残し、最終的には6位(1stも年間総合も)という結果だった。
 2004年は「優勝」に「ワクワクするサッカー」という目標がつけ加わった。目標達成のためにクラブは、アレックスと闘莉王という大物2人を移籍で獲得した。レッズが現役日本代表選手を獲得したのはアレックスが初めてだ。というか、バリバリの現役日本代表選手が移籍するのは、当時まだ珍しかったと思う。闘莉王は前年に日本国籍を取得し、すぐにでもU-23日本代表入りしそうだった。さらにバックアップメンバーとして酒井友之、岡野雅行らを迎え入れる念の入れようだった。1stステージでいきなり3位と歴代最高位タイの成績を収め、2ndステージでは2試合を残して優勝した。
 しかしチャンピオンシップでは1勝1敗のあとPK戦で横浜F・マリノスに敗れた。

 2005年は前年果たせなかったリーグ優勝に向けて一丸だった。「山瀬の回復が最大の補強」(犬飼代表)と、移籍で獲得したのはバックアップメンバーとしての西谷正也だけだったが、その代わり新人は大量に入れた。ユースから大山と中村が昇格、強豪校から細貝、近藤、赤星、サントスが新加入した。またこの年、ユース所属でトップ登録されたセルヒオがシーズン途中でプロ契約した。24~26歳の選手がチームの中心となっている当時の現状を考えれば、3年後のレギュラー候補を仕込んでおかなくてはならないのは当然だ。ただ、彼らがトップチームで出場できるほど選手層が薄くなかった。新人たちは、ナビスコ杯でわずかな出番が与えられたほかは、サテライトで柱谷哲二コーチの猛訓練を受ける毎日だった。
 シーズン前に山瀬がマリノスに移り、シーズン途中でアルパイとエメルソンがチームを去った。ダウンした戦力を補完できたのはシーズン後半で、ロビーとマリッチが加わった。だが結果が出始めるのがやや遅く、Jリーグはまたも2位に終わった。しかし、その直後の天皇杯で優勝。2007年ACL出場権を獲得した。

 3年目の正直。2006年こそ、絶対に優勝しなくてはならない年だった。ワシントンと相馬を東京Vから獲得。オランダから小野伸二が帰ってきて、バックアップメンバーとして黒部も補強した。06年は本当にJリーグ優勝に向かって一直線。紆余曲折のほとんどなかったシーズンだった。開幕から8節まで負けなし。3節以降は3位以上を維持し、25節から最後まで首位に座り続けた。優勝こそ最終節まで待たされたが、もつれたというよりは、若干の足踏みがあっただけで、最終節で2位のガンバを破りホームで決めた初優勝は、ホームゲーム負けなし、という快挙と合わせて大きな感動を生んだ。
 そして続く天皇杯では、都築、細貝、ネネ、永井、相馬、伸二、内舘ら、リーグ戦の出場機会が比較的少なかったメンバーが中心となって優勝。レッズには優勝できる選手が1.5チーム分存在しているということを証明した。
 2006年の終盤、ブッフバルト監督が家庭の事情で退任することが決まった。リーグ終盤まで同監督続投の方針でいたクラブは、2007年の監督をオジェック氏に依頼した。ACLとJリーグの二冠を目指すには、浦和を知り、海外での戦いに慣れ、ACLの重要性を理解している監督を短期間に探した結果の決定だった。そして、アレックスがレンタルでザルツブルクに移籍し、補強では千葉から阿部を獲得した。オジェック監督はクラブの要請にほとんど応えたと言っていい。Jリーグ優勝を最後に逃したのは痛恨だったが、二冠を最後まで追い求めた成績はどこにも真似できないものだったし、ACLを制した初の日本クラブという栄誉は未来永劫残る。

 長々と5年間をふり返ってきたのは、次のことを言うためだ。
この5年間の浦和レッズは、タイトルを獲得するために存在した。タイトルを獲ることがレッズへの至上命令だったのだと。
 誰が誰に命令するのか。もちろん世間が、ホームタウンが、サポーターが、クラブに命令し、クラブはチームに命令するのだ。「命令」というときつく感じるが、「期待」という言葉に、数万人というファン・サポーターの数と93年以来の10年間という歴史を乗じれば、それは命令に変化してもおかしくない。それほど浦和レッズには優勝というものが必要だったのだ。それもナビスコ杯を1度獲ったぐらいではなく、日本一を何年も続けなければ満足できないほど、飢えていた。もしも、早々にリーグ優勝を達成していれば、多少飢えは満たされ、状況は変わっていたのかもしれない。しかしタイトルを獲り始めてから4年目にようやくJリーグ制覇。そしたら、次にはACL、FCWCという大目標が待っていた。2003年から2007年までは、勝利を目指してまっしぐらの時期だった。

 そんな中でも将来を見据えたチーム作りをしっかりとしておくべきだった、という信藤さんの主張はもっともだが、現実には難しかった。そして、この数年間が間違いだったとは決して思わない。ナビスコ杯のタイトルを皮切りに、ステージ優勝、天皇杯優勝、リーグ優勝と、ファン・サポーターの願いを着実に実現し「レッズの時代」を作り上げたのだ。
 今季の成績は残念だし、取り返しがつかないことのように大騒ぎしているマスコミもあるけれど、僕は永遠に続いていく浦和レッズの一つの章が終わり、次の章を始めていく時期が来たのだと思っている。そしてそれは1995年の再スタートとも、2002年の再スタートとも違う、はるかに上のステージでの再スタートだ。
 そこでは、これまで足りなかったものが必要だし、何が足りなかったのかはわかっている。信藤さんのいう、タイトルを獲得しながら完成されたチーム作りをする、ということもその一つだろう。至上命令はだんだん厳しくなっていく。だが一つの命令を実行するまでは、次の命令も受けられない。
 レッズには、次の命令を受け取る準備ができた、ということではないだろうか。
(2008年12月2日)
〈EXTRA〉
 チーム状況を反映しているのか、このコラムの更新状況を反映しているのか、12月13日の「レッズサポーター望年会」への参加申し込みは例年より少ないので、これまで申し込んでいただいた方には全員来ていただけます。今後も12月10日まで申し込みは受け付けますが、万一定員に達した場合は、その旨をすぐに返信します。どうぞ、ご参加ください(詳細は#159参照)
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