Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#179
大原陸橋
 まったく地元の人にしかわからない導入ですが、我慢できる人は我慢して読んでください。

 さいたま市緑区三室にある、三室中学校(堀之内聖の母校)からJR東浦和駅までは一本道だ。途中、ミニストップを過ぎて畑の中を通り浦和学院の方へ行く道、有料の見沼大橋を通って埼スタやイオン浦和美園のほうへ行く道(R463バイパス)、大崎のクリーンセンターを通ってR122を越え越谷のほうへ行く道(R463旧道)など、大きな道路と交差している。
 僕は、1988年の暮れからその辺りに住んでいたが、引っ越した当時は自宅から東浦和駅まで車で行くことはなかった。冒頭の道が通っていなかったからだ。自宅と外界をつなぐのは「北宿通り」という、北浦和駅に行く表通りしかなかった。東浦和方面は、方向としては認識していても、直接行くという場所ではなかったのだ。
 すぐに太い道ができた。といっても冒頭に挙げたR463バイパスのところで止まっており、そこから右に迂回して、かなり細い道を通ってR463旧道まで出ることができたので、僕はその道を通って毎日会社まで通っていた。会社の先輩に、だいぶ前から近所に住んでいる人がいて「浦和までのバスが通る、というからあそこに家を買ったのに全然通りやしない」と憤っていた。道がないのだからバスも走れるはずがない。
 そのうちJリーグが始まり、僕は今のような仕事をすることになった。1993年当時は、駒場の南側から東の方へ行くR463パイパスはまだ開通していなかった。知り合いの浦和市の人は「もうすぐ、この道が開通すると東浦和駅からもシャトルバスが出せます」と言っていた。
 1995年だったか96年だったか定かではない。Jリーグの出張から帰った翌朝、いつものように車で家を出て会社に向かった。慣れた道だからぼんやりしていたのだろう。いつの間にか、いつもと景色が違うことに気がついた。そして、とっくに迂回していていいはずなのに、やけに長い間曲がらずに走っていることにも気がついた。いつも通行止めになっているところをまっすぐ来ていたのだ。あの辺を知っている人にわかるように言うと、コモディイイダやサンマルク、幸楽苑のある交差点から、紳士服のコナカや吉野家のある交差点までの道が開通していたということだ。
 もしかしたら2〜3日前から「開通します」というお知らせがあったのかもしれないが、留守にしていたからわからなかった。その道ができて東浦和方面に行くのが非常に楽に、速くなった。道路が通る、ということは素晴らしいな、と思ったものだ。ちなみにR463のバイパスが全面開通したのはもう少しあとだったはず。

 町の真ん中を南北に走る京浜東北線、宇都宮線、高崎線などの鉄道。この線路でさいたま市は東西に二分されていて、どこで線路を渡るか、あるいはくぐるか、というのは移動のコースを考えるときに大事なポイントだ。
 JR与野駅の北側に「大原橋」あるいは「大原陸橋」と呼ばれる橋があった。そこも市内の東西を結ぶ交通の要所で、西の国道17号の方から橋を渡って東側に降りると、大原サッカー場のすぐ近くに出るので、取材のときにはよくそこを通っていた。橋を上る前に裏道を行くと、かなり時間が節約できたのだ。
 ある日、「通行止めのお知らせ」という看板が立っていた。橋の架け替え工事のためしばらく通れなくなるという。まあ仕方がないな、いつ開通するんだ?と見ると「完成予定・平成21年」とある。ええと、いまは2005年だから…、4年後ぉ!
 当時は4年後というと、果てしなく遠い未来のような気がした。この道が通れないとすると、北浦和の新浦和橋で東側に出るか、与野駅南側のたつみ通りで線路を渡るか。どっちにしても前より時間がかかることは間違いないが、こればかりは仕方がなかった。ときどき大原サッカー場への行き帰りが混雑するときなど、大原陸橋っていつできるんだっけ?と待ち遠しく思ったものだ。
 最近、「大原陸橋開通」という大きな看板の文字を見る。そうか、いよいよ開通するのか。これからもっと便利になるな、工事の人に感謝だな、と思いながら、3年半前に「通行止めのお知らせ」を見たときのことを思い出していた。
 あれは2005年の秋だったから、Jリーグチャンピオンを目指してもがいていたころだ。結局、最終節まで優勝の可能性はあったものの、上位陣にはリーグ戦で一度も勝てず、2位で終わったシーズンだった。そのころに壊され、そして2009年の3月に架け替え完了。おかしな言い方だが、大原陸橋は、レッズのJリーグチャンピオンやアジアチャンピオンを経験していない。そして2008年の葛藤も知らないのだ。新大原陸橋は、レッズが新しいスタイルの構築を求めて歩き出したシーズンの春に開通することになる。

 10数年前、僕の自宅から東浦和への道が通じたときは、何もないところに道ができたのだったし、僕にとっては何の前触れもなくいきなりだった。
 一方、今回の大原陸橋開通は、2005年に「架け替え工事のためしばらく通れません」という宣言を見て、待ちに待った末の完成だ。思い入れがだいぶ違う。
 明日のF・マリノスとの試合。日産スタジアムとはだいぶ方向が違うが、3月29日開通、というこの橋を渡ってからスタジアムに行こうかと思っている。
(2009年3月28日)
〈EXTRA〉
 試合が日曜日。つまり今日は土曜日だった。このコラムが人の目に触れるのが30日になるということに、27日の夜に書き始めてから思い当たった。でも記念だから。
 ところで、導入部分どころか最後までローカルな題材だったな。題材だけはね。
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