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Weps うち明け話
#210
彼のことを書いておこう
 あちこちで何度も言った(書いた)ような気がするけど、もうこれで最後になるだろう。

 彼を初めて見たのは1992年。
 小学5年生以下のチームを対象にした少年サッカーの埼玉県大会だった。西部地区の予選を勝ち抜いて、翌年の決勝大会に進み、彼のチームは準優勝した。軽やかなタッチのドリブルとキレの良い身のこなしが印象的だった。
 その次に会ったのは、93年の夏休み。
 そのころMDPでは、サッカー少年に選手のインタビュアーをお願いしていた。どの子にするかは僕の独断なのだが、一応浦和近隣の市大会でベスト4になったチームのキャプテンとか、整合性のある選び方をしていたつもりだ。
 その年の8月、埼玉県市町村選抜少年サッカー大会というのが行われた。浦和選抜とか春日部選抜などのチームが東西南北4地区から4チームずつ出場する大会で、個人の力はあってもチームが勝てなくて県大会などに出場できない選手に、高いレベルで試合をする機会を提供したいという趣旨の大会だ。
 93年のその大会では川越選抜が優勝した。FWの河野真一のインタビュアーを探していたときだったから、監督と話をして川越選抜チームの2トップに頼むことにした。浦和近隣以外の子どもは夏休みでないと大原まで来てくれと頼めないからちょうど良かった。
 その2人のうちの1人が彼だった。

 8月のある日、2人は大原にやってきた。僕は待ち時間に彼のお母さんと話をしていた。
 「彼は中学生になったらどうするんですか?」
 「○○にお世話になろうかと今は思っているんですが…」
 お母さんは、他県のある都市の名前を口にした。そうか、彼に高いレベルのサッカー環境を与えたいと考えているのか。僕は思わず言った。
 「あの…、レッズにも中学生の下部組織があるんですが…」
 正確にはレッズの内部組織ではなかった。91年に設立した浦和スポーツクラブという別団体が、レッズの下部組織として位置づけられ、指導者もレッズから派遣されていた。Jリーグにも、それでJクラブとしての要件を満たすと認められていた。
 「ああ、そうなんですか」
 やはり、お母さんは知らなかったようだ。日産(マリノス)や読売(ヴェルディ)のように、Jリーグ発足前から高校生以下のクラブチームを運営していた企業が、自分のクラブの下部組織としたところは別として、Jリーグ発足後にクラブの下部組織を創設したばかりのところは、まだ何の実績もなかった。中学生になったら息子に他県でサッカーをやらせる、という考えは当時の状況ではおかしなことではなかった。
 だが僕は彼に将来レッズの選手としてプレーしてほしかった。埼玉県の選手を他県にやりたくない、という思いもあったが、牛若丸のような彼のプレーをレッズで見たかったのだろう(お前は牛若丸をいつ見たんだ、というツッコミは無しで)。

 そのときは、それで終わった。僕にはそれ以上の話をする資格はないし、責任も持てなかったから。情報の一つとしてお母さんの耳に入ったのだから、それで良かった。
 だが、翌年の浦和スポーツクラブジュニアユースのメンバーとして彼の姿を見たときには、驚きと喜びがいっぺんに来た。あの日の僕の一言が彼の進路に影響を与えたなどとは全然思わない。とにかく彼が浦和レッズの下部組織に入ってくれたことが、ただうれしかった。
 当時、僕は下部組織の取材にはまったくと言っていいほど行かなかった。95年の12月、彼が中学2年生のとき、高円宮杯全日本ユース(U−15)選手権で浦和スポーツクラブが優勝したときも、取材ではなく国立のスタンドで観戦しただけだった。
 彼が高校生になった97年は、すでに浦和レッズの下部組織としてユースチームが発足しており、彼はレッズユースの選手となった。その年の7月、第21回日本クラブユース選手権(U−18)でレッズユースが優勝したときも、1年生で出場していた。
 このときは取材に行っていて、MDP108号に掲載することができたが、今のように時間が合えば下部組織の試合に行くような体制ではなかったので、このあと彼をユースで取材することはなかった。
 だが、そのころからサテライトリーグで彼を見るようになった。年代別の日本代表候補にも選ばれることが多かった彼は、見るたびにたくましくなっていった。

 2000年。レッズのJ2時代が幕を開けた。どんなに勝ったところでJリーグチャンピオンにはなれないシーズンではあるが、ダントツの成績でJ1に復帰する意気込みが高かった。そして彼がいよいよトップチームの一員になる年でもあった。この子にレッズの選手として活躍してもらいたい、強く思った93年のあの日。その思いが現実のものとなる日が来たのだった。
 レッズでの彼の思い出は「#65 初タイトルを作り上げたピース」に詳しく書いた。残念ながら主力として彼がレッズで活躍した時期はなかった。だが、Jリーグ開幕前の92年からずっと気にかけてきた選手として彼のことは生涯忘れないだろう。
 書きたくない、この文字。
 千島徹、今シーズン限りで現役引退。
(2009年11月18日)
〈EXTRA・1〉
 海外のサッカークラブで、年配のサポーターがトップチームの選手のことを「俺はヤツが子どものときから知っているよ。そのころはこういう選手だった」としみじみ語る、というのはよく聞く話だが、考えてみれば千島は僕にとって最初のそういう存在だ。彼に関しては取材者というよりも、単なるサポーターでいる気分だったのかもしれない。お疲れさま、ありがとう。
写真1
MDPのインタビュアーとして大原を訪れたときの千島=12歳
写真2
第21回日本クラブユース選手権(U−18)で優勝したときの千島=16歳
〈EXTRA・2〉
 2009レッズサポーター望年会(12月13日14時〜/埼スタボールルーム)への期待、これまでの感想をご紹介します。概要、申込は「#209」へ。

●とても楽しみにしています。スタジアムにはたいてい一人で行っているので、いろいろな方の話をうかがえる数少ないチャンスだと思ってます。代表やレディースの選手なんか顔を出してくれたらうれしいですね。忙しいでしょうけど…。ゲームも楽しいし、抽選によるプレゼントも密かに期待しています。(男性)

●ふだんですと、やはり自分の良く知る仲間とだけしか話せないので、この望年会は貴重です。もっと多様な意見を聞いてみたい。僕自身は、今年のレッズのサッカーを実に面白く見ているのです。でも、他のひとたちはどう見ているのだろう、と。あれこれ語り合えたらうれしいなあ、と思います。(男性)

●昨年、今年とレッズは辛いサイクルに入り込んでしまったようですね。この望年会はそんな切ない気持ちを切り替えて来季への希望を新たにできる場だと感じています。同じ志を持った皆様と楽しい一時を過ごせることを心待ちにしております。よろしくお願いします。(女性)

●今年はレディースが優勝したので、そちらの話題もあるといいかなと思います。抽選グッズとしては、レディア貯金箱が欲しいです。(男性)

●いつも準備をなさっている有志の方々には頭が下がる思いでいっぱいです。お手伝いをしなくては思いながら、どうもスケジュールが合わないようで。ふだん全く違う場所で応援している方々が一堂に会するって機会はなかなかないですよね。それと、ふだんはテンパって埼スタに集まり、喜びor哀しんで埼スタから帰るわけですが、試合のない日に埼スタに向かうのは感慨深いものがあります。いつもなら考えないことが頭の中に浮かんだりしますね。(男性)
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