Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#230
1分の1
 僕は昭和32年生まれだ。昭和30年代は日本の高度経済成長が始まった時期で、後に「消費は美徳」などという言葉も生まれるのだが、僕の子どもの頃は「もったいない」というのが常識だった。穴の空いた服を着ているのは、ちょっと恥ずかしいが、“継ぎ”がちゃんと当たっていれば、それほど恥ずかしくはなかった記憶がある。食事を残すのは“最大の罪”だったし、茶碗についたご飯粒もきれいに食べるのが当たり前だった。
 プラモデルなど、ある程度の金額になる玩具を買える“原資”は、正月のお年玉とお盆の花火代しかなかったし、それもいったんは全部母親に取り上げられた。「何と何を買いたい」という僕と「それは多すぎ」という母の間で交渉があり、妥結した額だけが可処分所得として僕に下しおかれるというシステムだった。だいたいプラモデル1つか2つだったような気がするが、おかげでモノを買う前の吟味に非常に時間をかける癖が、大人になってもなかなか抜けなかった。まあ、それは子どもに持ちつけない金を持たせるのは良くないという母親の教育的配慮だったわけで、いま思えば当然の措置だったとは思う。
 僕の母親が偉いと思うのは、僕の家にはお金がなかったわけではない、ということだ。
 何回か書いたことがあるが、僕の父親は外国航路の船員をしていた。長い間、家族と離れて仕事をすることや、海外出張が続く、ということで給料は比較的高く、かつ航海中はお金を使うこともないから、家にはかなりの額が送金されてきていたらしい。贅沢を戒める当時の風潮もあったが、使おうと思えば使えるお金があったのに、将来の蓄えと息子の躾のために緊縮財政を常としていた母は、しっかり者だと思う。もっとも、そんなことに気がついたのは高校を卒業してからで、子どものころの僕は何度母親に「ケチ」と言ったかわからない。

 その一方で、他の家にはない“ハイカラ”なものが、我が家にはいっぱいあった。すべて父親の判断で買ったものらしい。たとえばカメラ。しかも三脚やフラッシュ(ストロボじゃないぞ)、セルフタイマーの機械(当時は外付け)まであった。ほかにはコーヒーを淹れるパーコレーターもあった。もちろんコーヒー豆を挽いたものも大きな缶でアメリカから買ってきてあった。チョコレートは「Hershey's」のキスチョコがいつも戸棚に大箱であった(僕は「チョコレートは明治」派です。ホントに)。つまりは仕事先でいろいろと情報を仕入れ、あるいは実際に食べたりしてきた父親が、これはあった方がいい、と判断すると、ポンと買ってしまうらしいのだ。
 だから“三種の神器”も導入が早かった。知ってますか?昭和30年代の三種の神器。電気洗濯機、電気冷蔵庫、そしてテレビ。もちろんモノクロだ。
 テレビは僕がもの心ついたときには、すでにあったように思う。父親がたまに帰ってきて、1週間から1か月くらい自宅で過ごすときにテレビがないと退屈だから、という理由で買ったのは早かったらしい。だから父は仕事先ではいつもテレビを見ていたのだろう。もちろん当時、航海中に見られるテレビがあったとは思えないが。
 昭和30年代が語られるときによく出てくる「街頭テレビ」というものは経験していない。あんなものは都会にしかなかったのだろう。その代わり、僕の家が「街頭」になった。しばらくの間、近所の人が見に来ていた覚えがある。そんなに長い間ではなかったから、みなさんもテレビを購入したのだろう。昭和39年の東京オリンピックと共に、我が家もテレビの普及に貢献したのか。

 そのときに見る番組は、ほとんどがプロ野球だった。当時のプロ野球中継は巨人戦しかなかった、というと大げさかもしれないが、少なくとも僕は巨人戦以外に見たことはない。日本シリーズだって僕が高校2年までは毎年ジャイアンツが出ていたのだから巨人戦には違いない。毎日のように見るわけだし、実際に強いから、男の子は大鵬や力道山が好きだったのと同じように巨人ファンになっていく。
 だが石川県の大人はそうでもなかったようで、母親は大洋ファンを公言していた。ただ、その理由が「巨人に(だけは)強いから」というものだったので、やはり巨人を意識せざるを得なかったことは間違いなさそうだ。

 さて、20世紀少年、みたいな時代の話はここまでにして、やっと本題。
 1965年(本題では西暦)から73年までの巨人V9時代。快進撃を続ける巨人を止められない他の5球団が批判を受けたことがある。
 他の球団が総がかりで巨人の優勝を阻止しなければ野球が面白くならないのに、どうせ巨人には勝てないからと優勝をあきらめ、2位、3位争いをしている、というのだ。6球団で争われる野球のリーグでは、上位3チームをAクラスとして、一応の合格ラインとしている。相撲の勝ち越し、負け越しのようなものか。優勝は無理でも、Aクラスになっておけばまずまずのシーズンだったということになる。だから巨人とやるときは最初から勝つのをあきらめ、他の球団との試合に全力を出すのだ、と。
 小学生の僕には不思議でならなかった。理屈はわかるが、巨人戦は手を抜いて他の試合は全力で、などということが可能なのか、と。でも、つまりはエース投手を巨人戦に登板させない、ということで調整できることを知った。たしかに先発投手は野手と違って1試合投げたら、何日か休みを入れるのが普通。エースを出しても勝てるかどうかわからない巨人戦には二線級の投手を出して、力のある投手は他の球団相手に出す。必然的に巨人には負けることが多くなるが、他の球団には勝てる。そして多くの球団がそれをやれば、巨人はますます独走することになる、と。
 純真な小学生は、こういやって駆け引きというものを覚えていく。


 投手の出来で勝敗がかなり左右され、しかも特別な場合を除いて同じ投手が2試合続けて先発することがないプロ野球なら、こういうこともある話なのだろう。もしかしたら今でもシーズン終盤では順位を計算して、こういうことが行われていても不思議はない。
 だがサッカーではどうだろう。
 いつも言うことだけど、今季の目標を聞かれて「5位以内」とか「一桁順位」とか「J1定着」というところもあるけれど、それは現実的な数字として挙げているのであって、リーグ戦の各試合にはどのチームも勝つために全力で臨むはずだ。もしかしたら連戦のとき、ケガの治り具合が微妙な主力選手を「温存」することもるかもしれないが、強いチームに対して主力を外すことは考えられない。弱いと思われる相手、あるいはカップ戦でそれを行いたくても「最強規定」があるから、あからさまなことはできない。
 リーグ戦の順位は、あくまで毎試合勝つこと、すなわち優勝を狙って戦った結果に他ならない。ACL出場権を目標にする、というとき、じゃあ3位でいいから鹿島と川崎には負けてもいいな、ということには絶対にならないのだ。

 明日の開幕戦。去年と同じ相手ということで、チームがどれだけ成長したか比べやすい、ということはある。だけど、もちろんそのための試合などではない。去年は「チームがどう変わろうとしているか垣間見えたが完敗」と言われた。今回、たとえばフィニッシュまで多く持ち込めたり、1点でも取ったりすれば、「1年間で大きく成長した」と言われるかもしれない。
 だが、そんなことで満足できるはずがない。
 よく、開幕戦はリーグ34試合のうちの1試合、つまり34分の1なのか、そうではないのか、という議論を聞く。これまでは、どっちでも同じことかな、と思っていたが、今はこう考えている。
 シーズンを終わって振り返ると、良くも悪くもポイントになった試合が必ずいくつかある。その試合は、単純な34分の1とは言えないだろう。だが、どこがポイントになるかは、その試合が終わってしばらくたってみないとわからない。日程表を見て、ここいらがヤマかな、と予想を立てても必ずそうなるとは限らない。比較的軽く考えていた試合が、重要なターニングポイントとなることだってある。
 だから34分の1ではなく、つねに1分の1なのだ。開幕だから、相手が鹿島だから、ということではなく、目の前の試合をあとから見てポジティブな意味でのポイントだった、と言えるようにしなくてはならない、と思う。一期一会、という考え方は、サッカーのリーグ戦にも当てはまる。

 アウェイで行うリーグ開幕戦は勝ったことがないから。相手が王者・鹿島だから。まだ2年目が始まったばかりだから。
 だから善戦でいいなどでは絶対に思わない。
 これまでアウェイでの開幕戦で勝ったことがないからこそ。相手が鹿島アントラーズだからこそ。チーム転換作業が2年目を迎えたからこそ。勝って「2010シーズンは開幕戦がポイントだったなあ」と言えるようにしたい。
(2010年3月5日)
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