Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#234
そば湯ほか
 先日、電車でアウェイに出かけた日のこと、自分の常識が通じなくなってきたのか、と思うことが3回あった。

 まずは些細なことだが、駅で朝食代わりに立ち食いそばを食べていると、ほかの客が店員に言った。
「そば湯ください」
 見るとざるそばを食したあとらしい。店員さんが「そば湯はないんですが」と答えると、
「そば湯がない?」と声を荒げる。店員さんが「はい。申し訳ありません」とわびると、なおも、
「そば屋なのにそば湯がない?珍しいそば屋だな」と言い残して帰って行った。
 そば湯は生そばを茹でたときのお湯で、そばの成分が溶け出しているものだ。あらかじめ茹でて1人前ずつに分けておき、客に出す寸前にお湯を通すだけの立ち食いそば屋にそば湯がないのは当然だ。そんなものを要求する方が「珍しい客だな」と言いたくなるが、僕の常識は違いますか?

 そばを食べ終えて電車に乗った。京浜東北線は、どの駅でも進行方向に向かって右側のドアが開く。浜松町から向こうは知らないが。
 だから左側のドアの方に立っていれば、駅で止まるたびに動く必要がない。荷物が多い僕はいつもそうしている。
 東京駅が近付いたので、荷物を持って右側のドアの方へ行った。僕の前、つまりドアのまん前には女性が外を向いて立っていてゲームをしている。電車が止まりドアが開いた。その女性は降りようとしない。すみません、と声をかけても動かない。仕方がないので横をすり抜けたが、試合のときは結構な荷物を持っているので大変だった。
 出入り口のまん前に立っていたら、自分が邪魔になるかもしれないし、電車が止まるたびに降りる人はいないか、気にならないのだろうか、という僕の常識は、時代遅れなのだろうか。

 そして試合が終わった帰り。スタジアムの最寄り駅から各駅停車に乗り、新幹線の乗換駅まで行く。目的の駅に着いた。今度はゲームをしている女性はいない。僕と相棒、ほかの客が数人、降りるためにドアの前に立つ。ホームには待っている人がだいぶいる。電車が止まる。ちょっと嫌な予感がした。ドアが開く。予感は的中した。ホームの人たちは降りようとする僕たちがまるで存在しないかのように、いきなり電車に乗って来る。嫌な予感、というのは電車が止まりかけてもドアの前をあけようとする気配がなかったからだ。やはり荷物を持っていた僕は苦労しながら降りた。相棒もあきれていた。
 電車やエレベーターなど出入り口が共通している場合は、降りる人が先、というのは子どものころから教えられてきた常識だ。単なるマナーというより、その方がスムーズだからだ。急いでいるときなど、降りる人が少なくなると、その両脇から乗り始める光景も見られるが、少なくとも降りる人がドアの前に立っているのに、いきなりど真ん中から乗ろうとするのは、ACLやA3で海外に行ったときは何度か味わったが、日本では初めての経験だった。そこまで日本は「国際化」してきたのだろうか。乗る人たちの後ろから「降りる人が先だろ」という声が聞こえたところをみると、「国際化」に反対する人もいるようだが。

 常識というのは時代とともに変わっていく。だいたい楽な方に流れていくことが多いと思う。特に言葉遣いなどは早いテンポで変わっていくようだ。「半端じゃない」→「半端ない」は僕は使わないが、もう普通に通用しているし、「ら抜き」言葉も気になるが出回っている。「〜たり、〜たり」と2度使わなければいけなかった「たり」も、1回で良くなっているらしい。
 これらは、その方が楽だからそうなってきたのだろう。仕方がないところはある。また言葉ではなくても、時代に合わなくなってきた常識をいつまでも守っている必要は必ずしもない、と思う。しかし、そば湯の件はともかく、あとの2つは完全な自分勝手だ。自分勝手が常識、としてまかり通るようになれば、だんだんと、やったもの勝ち、強いもの勝ち、の社会になる。そんな社会は決して幸せとは言えない。
 勝点を持ち帰れなかった日だったが、そんなことを考えさせてくれたことはプラスだった。自分が似たような自分勝手をしていないか、もよく考えてみないといけないが。
(2010年5月13日)
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