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Weps うち明け話
#291
完売
 93年の12月15日。レッズの最下位がすでに決まっていたJリーグ第2ステージ(ニコスシリーズ)の最終節、G大阪との試合は、2−0で勝った。
 リーグ戦でようやく年間8勝目(全36試合)となったこの試合は、初の2点差勝利。同じチームに2度目の勝利も初めて。前々節の鹿島戦に続き、初のホーム連勝でもあった(もっとも前節はアウェイながら国立だったので、負け=ヴェルディの優勝を見たレッズファン・サポーターは大勢いたのだが)。
 もう一つ“初めて”があった。駒場の運営本部に顔を出した僕の耳に「マッチデー、完売しました!」という声が飛び込んできた。MDPが、第25号にして初の完売だった。

 前年の9月5日、ナビスコ杯予選リーグ第1節・JR東日本古河(ジェフ千葉のことだよ)戦の浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム第1号は、何と5000部も印刷された!ちなみに、そのときの入場者は4,934人(大宮サッカー場)だった。入場者はだいたい予想どおりだったから、当時の担当者・佐藤仁司さんは、入場者全員が買ってくれた場合を想定して印刷部数を決めたのだろう。何と甘い見込み、と言うかもしれないが、親子がそれぞれ1冊ずつ求めるのが普通になっているイングランドのスタジアムを思い浮かべれば、その発想も不思議はない。そして売れたのは、たしか157部。佐藤さんは残った4千数百部をデリカに積んで、当時まだ田町にあった三菱自動車フットボールクラブの事務所まで運んだ。納品時は印刷所から直接大宮に届いたから、荷物が増えたわけで、さぞ重かっただろう。
 その年は、ナビスコ杯であと3回ホームゲームがあった。入場者は8,948人(鹿島戦/大宮)、7,199人(横浜M戦/川越)、9,696人(名古屋戦/大宮)と、ほぼ満員に近い状態だったが、MDPの売れ行きはグンとは伸びなかったはずだ。正直言って、よく覚えていないが、1,000部を越えた記憶はない。しかし印刷部数は毎回5,000部から減らさなかったように思う。もしかしたら4回分すでに契約していたのかもしれない。
 当時はクラブも、MDPの発行で採算が取れるとは思っていなかった。広報物の経費として予算を組み、売れた分だけもしかしたら雑収入にしていたのかもしれない。だったら先着5,000人に無料で配ればいいじゃないか!
 とは、ならなかった。無料で配れば大事にされない。捨てられる、尻に敷かれる。試合に来たらマッチデー・プログラムを買って読むのが楽しみ、という文化を育てたい、というのが佐藤さんと、その上司である藤口光紀さんの考えだった。

 しかし翌年からJリーグが始まり、ナビスコ杯も入れると年間ホームゲームが20回。さすがに毎回4,000部以上余らせるわけにはいけないと、1試合あたり2,000部にMDPの印刷部数を落とし、編集経費も大幅に減らして再スタートした。徐々に常連読者も増え、1,000部以上は売れるようになってきた。ちなみに印刷部数は2,000部でも、その中にはSS席の引き換え分や、報道資料分なども含まれていたから、スタジアムで販売する分は1,500〜1,600部ではなかったか。駒場の入場者が9,000人台だった時代だ。毎回、試合の帰りに梱包を解かれないままのMDPが片付けられていくのを見て、残念に思う気持ちと、何とか売れるものを作りたいという気持ちを抱いていた。そんな年だったから、「マッチデー、完売」の報は、最終節の勝利と合わせて何物にも代えがたい喜びだった。

 だがMDPの完売を単純に喜んだのは、そのときぐらいだった。
 大きな衝撃を受けたのは、97年の4月19日。早いものでMDPも通算100号を迎えた。MDPが100号ということは、レッズのホームゲームが100試合目ということでもある。レッズは、数週間前から全歴代所属選手の顔を並べたポスターを作って、これを祝った。この試合が国立での広島戦ということもあったから、チケット販売のための宣伝もあっただろう。このポスターが人気を呼んだ。欲しいという希望が多く寄せられたのを見て、クラブはポスターを増刷し、MDP100号に記念品として付けることを決めた。初の「おまけ」である。この反響がハンパではなかった。試合当日、国立の開場と同時にコンコースのMDP売り場には列ができ、席を確保に行く仲間の分なのだろう、5冊、10冊とふだんでは考えられない勢いで売れていった。
 内容ではなく「おまけ」で売れていることに複雑な気持ちになりながらも、初めは「もっと印刷しておけば、多くの人に読んでもらえたのにもったいなかったな」ぐらいの認識でいた僕だが、あることに気がついた。
 この分で行くと、試合開始のはるか前に完売してしまう。ウォーミングアップが始まるころに来場する指定席の人の分は残っていないじゃないか!そして常連読者には指定席の人も多いのだ。
 このころは駒場も2万人のキャパになり、MDPの印刷部数もたしか4,000〜5,000部に増えていたと思う。この100号は1万数千部の印刷だったと記憶しているが、それでも欲しい人全員には行き渡らなかったのだ。特に、毎回MDPを楽しみにしてくれている人から「買えませんでした」という手紙やFAXをもらったときには、残念な気持ちでいっぱいだった。もうMDPに「おまけ」を付けるのはやめよう、佐藤さんと話した。

 それ以降、MDPが完売したと聞くと、それがいつの時点なのか必ず尋ねる。試合が終わってから完売したのならまだいい。しかしハーフタイムに場内放送で朝井さんが、「本日のMDPは完売になりました」とアナウンスしたときは、周りの人からは「すごいですね」と言われるが僕の顔は渋い。その時間に完売ということは、買おうと思って買えなかった人が相当いるということだし、さらには、いつも買ってくれている人で買えなかった人も必ず何人かはいるからだ。常連の購読者が1万人いたとして、1万人の中のたった数人だから…、という考えは間違っている。その人にとってみれば、買えたか買えなかったか、全てかゼロか、であり、1万分のいくつ、ではないからだ。

 このことについては、クラブと何度も話をしている。だが単純にたくさん印刷すればいいだろ、とも言えない。売れ残ったものは部数×300円の在庫として、しかも他のグッズと違い試合日を過ぎると価値が急にダウンするから後々売れる見込みの少ない「不良在庫」として残っていくからだ。毎試合2,000部残れば、年間20試合として4万部。1,200万円の不良在庫を抱えることになる。それは今のクラブにとって軽いものではない。
 だから印刷部数をどれだけに設定するかを、クラブの担当部長は毎回頭を悩ませている。在庫を抱えたくないだけなら、採算ラインを越えたところでできるだけ少なく印刷すればそれで済む。品薄感が出たほうが、購買意欲が上がる、などと江戸時代の悪い米屋みたいな考えも成り立つ。しかし、レッズの担当部長は、MDPを一人でも多くのサポーターに読んでもらいたいという気持ちと、万一いつも買ってくれている人が買えなかったら本当に申し訳ない、という気持ちは僕と同じか、それ以上に持っている人だ。クラブの管理セクションに対して、MDPは他のグッズと違うんだから多少の在庫は仕方がない、ということをいつも言っている。こう書くと、クラブの管理セクションが悪者みたいに聞こえるが、数字になってしまえばMDPも他のグッズも同じだから、それはそれで止むを得ないのだ。

 今回、6月5日の山形戦で、キックオフ前にMDPが売り切れたことに関しては、本当に残念に思う。担当部長も同じ思いだし、印刷部数を決めたのは彼だから、責任を強く感じている。完売で良かった、などとは決して思っていない。
 一つは「読み違い」だ。5月28日の新潟戦の入場者とMDPの実売部数から、山形戦の券売状況を見て判断したのだが、当日券購入者の数に「読み違え」があった。今年になって、当日券の売れ行きが昨年に比べて1試合平均1,000枚以上伸びているらしいが、山形戦は特にそれが多く、そこを読み違えたと悔しがっていた。
 だが僕は、もう一つの要因も重なったと思う。単純に言ってしまえば、入場者が減ってもMDPを勝ってくれる人が同じ割合で減るわけではないということだ。MDPがスタジアムで売れた部数をその日の入場者数で割ったものを仮にMDP購入率と呼ぶと、入場者が少なければ少ないほどMDP購入率は上がる。仮の数字だが、たとえば入場者4万人台のときの購入率を20パーセントとすると、3万人台のときは22〜23パーセントになるということだ。それはわかっていたことだが、では2万人台のときは、というとデータがない。新潟戦は25,272人の入場者で完売しなかった。山形戦での印刷部数を決めるときに、新潟戦での購入率をそのまま予想入場者数に掛けてしまったことが、二重に品不足を生んでしまったのだと思う。そのことを昨日、担当部長とじっくり話した。
 入場者2万人台のときの購入率データが蓄積していくのは良い話ではない。しかし今回のことは、貴重な経験になったはず。6月22日の福岡戦は、今季初の平日ホームゲームだ。担当部長はまたMDPの印刷部数で頭を悩ませるだろうが、苦い教訓を生かし、ピンポイントで部数を決めて欲しい。

 今回のMDP完売、というより品不足。本当に申し訳ありませんでした。

(2011年6月10日)

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