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Weps うち明け話
#295
青い帽子
「ハイ」と言ってエジが青い帽子を渡してきた。今年の2月何日だったか、大原サッカー場へ取材に行ったときのことだ。
 え?俺に?
 見ると「BRASIL」の文字にブラジルサッカー協会のロゴマークが入っている。
「何、これ?」と聞くと「サイショニ、テントッタノダレ?」と答える。
 最初に点取ったの?今年はまだ開幕してないから、プレシーズンだと鳥栖戦が一番早かったし、点取ったのはエジのはずだけど…。と思っていたら、「ロビーダヨ」と言う。
 ロビーだって?去年の話か。何のことだろう…。あ、そうか!

 去年の開幕前、エジと賭けをした。賭けというと聞こえが悪いから、エジに賞品を提案した、と言っておこう。リーグ戦でチーム初ゴールをエジが決めたら、その写真を大きくパネルにしてあげるよ、と申し出たのだ。
 ふだんから、選手のゴールの写真は(ちゃんと撮れていたら)焼いてプレゼントすることにしている。当然ながらエジには何枚もあげていたが、それよりも大きなパネルにするよ、と。
 レッズにやってきた08年、エジのファーストゴールは第4節の清水戦(日本平)。1−1から後半25分に挙げた決勝点だった。09年のシーズン初ゴールは、第2節のF東京戦(埼スタ)。1−1から後半3分に勝ち越しゴールを挙げて、3−1の勝利につなげた。いずれも試合を決める得点だったが、シーズンのチーム初ゴールではなかった。

 正直に言えば、チーム初ゴールは誰が取ってもよい。早く取ってくれさえすれば。08年は開幕戦(vs横浜FM)と第2節(vs名古屋)は無得点で連敗。09年も開幕戦(vs鹿島)は完封負けだった。今度こそ開幕戦で得点し、レッズに勝って欲しかった。その可能性が一番高いエジにハッパをかけたつもりだった。
 そういう申し出をしたところ、エジは「じゃあ、ファーストゴールを取れなかったら、俺が何かあげるよ。そうだな、ブラジルのシャツか何か」と答え、賭けのようになってしまったのだ。昨年のチーム初ゴールは第2節・F東京戦の決勝点となったロビーのPK。エジではなかった。“賭け”は僕の勝ちだが、その賞品を取り立てようとは思わなかった。だがエジは覚えていて、今年お父さんが浦和に来たときに持ってきた荷物の中からブラジル代表の帽子を賞品として僕にくれたのだろう。もしかしたら日本に来るときに「何か買って来てくれ」と頼んだのかもしれない(シャツのはずだったけど?というのは問わない)。

 エジの写真は何枚も、おそらく2〜3千枚くらい撮ったはずだ。どちらかというと、のんびりした表情が多いエジの写真の中で、大好きなものの1枚が去年の第4節・C大阪戦で決勝ゴールを挙げたあと、ゴール裏に向かって一瞬見せた鋭い表情だ―、というのはレッズのオフィシャルサイトに書いた(7月8日付け)。
 エジは結構、細かいことを覚えている。自分の成績などについては、本当に詳しい。自分がいつの何戦で点を取ったか、毎年何ゴールを挙げてきたかをちゃんと知っているし、当然通算何ゴールになるのか、それがJリーグ歴代何位なのかも自覚していた。6月22日(水)の福岡戦で挙げたレッズでの最後のゴールが、Jリーグ通算109点目であり、それはマルキーニョスと並んで、Jリーグ歴代4位タイであり、外国籍選手ではウェズレイに次いで2位タイになったことももちろん知って、カタールへ旅立ったに違いない。
 レッズでの110試合出場47得点というエジの数字は立派なものだ。
 しかし、レッズには素晴らしい成績と印象を残していった外国籍選手がいる。順不同だが、ワシントンは在籍2年と短いがリーグ戦(以下同じ)52試合出場で42得点という、とてつもない記録を残している。エメルソンも100試合出場71得点という成績だ。このJリーグ得点王2人と比べて霞んで見えないFWはそうそういない。FWでなくても、チームに大きな影響を与えたギドやウーベ、チキ、ペトロらの印象は永遠に消えないだろうし、何といっても在籍6シーズンで144試合出場33得点、4つのタイトル(天皇杯2回、リーグ1回、ACL1回)獲得に貢献したロビーの業績はレッズの歴史の中でひときわ輝いている。
 それもあってエジは、上記の選手たちのように絶大な人気があったとは言いがたい。少し点が取れない試合が続くと激励とは言えないヤジもだんだん増えていった。去年のC大阪戦も、開幕3試合で無得点だったエジに試合でのコールが皆無だったときだった。MDP363号の表紙にしたその写真を見せながら、「エジ。この試合、サポーターにムカついてなかったか?」と聞いた僕に、ニヤッとしたのは、おそらく肯定の意味だったろう。

 自分がブラジルからやってきて日本で成功を収めるきっかけとなった新潟に、エジは深く感謝している。それが08年、レッズに移籍してきたのは、もう一つ上の成功、すなわちタイトルを手にするためだった。毎年2ケタをマークしている自分の得点が、チームのタイトルに結びつくような環境に身を置きたいという、当然の野心を実行に移したのだ。もし07年の最終節でロビーが負傷せず、08年の開幕からフルでプレーできていれば、エジのゴール数もだいぶ違っていたかもしれないし、あのシーズンの成績は大きく変わっていたかもしれない。
 エジとレッズの歴史にタイトルという文字が一つも登場しなかったことはエジにとっても僕たちにとっても、最大の不幸だ。だが、お互いに幸せな時間は間違いなくあった。
 エジミウソンという選手がレッズにいた。そのことはやはり忘れない。あの青い帽子もあるし。
(2011年7月12日)

EXTRA
 C大阪戦のゴール後の写真がないと、意味がわからない人もいるだろうけど、このコラムにJリーグの写真は載せられないし、ということで、オフィシャルでの掲載を待っていたら、今度はMDPが忙しくなって、結局この日になってしまった。やや間が抜けた感じだけどお許しを。
 6月22日の福岡戦で、珍しく僕が青い帽子をかぶっていたのは、そういうわけです。「似合わねえ!」とみんなに言われたけど、この日は、かぶり続けました。お別れセレモニーのあった7月2日は?さすがにガンバ戦の日は、青を身につけられません。

(2011年7月12日)

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